第36話 クリスティーナとエイドリアン

 私がこの神殿で暮らすようになったのは冬の終わりだった。いつのまにか私のドレスの袖は短くなり、若葉が生い茂る季節になった。


 ちなみにこの夏用のドレスが届いたとき、シンディーはよくお似合いですと静かに笑ってくれ、バージルは自分のセンスを褒め称え、トラヴィスは顔を赤くし口を押さえて固まった。まだ、私と組む神官は決まっていない。


 この半年ほどの間に、私はバージルから『寝坊しても凛とした聖女に見せられる編み込みの方法』を教わり毎日実践していた。



 話は変わるけれど、聖女として4つの力を持つ私には、7人の先輩がいる。


 『先見の聖女』の先輩がひとり、『戦いの聖女』の先輩が三人、『癒しの聖女』の先輩が三人。『豊穣の聖女』の先輩はいない。


 だから、『豊穣の聖女』だった4回目のループのときは神殿にある巨大な図書館に通い詰め、ペアの神官と一緒に必死で勉強した。


 私はその神官のことをとても信頼できる人だと思っていた。まあ結論から言うと、ただ私の頭がどうかしていただけなのだけれど。


 ここは、神殿の敷地内にある図書館。王宮にある王立図書館に匹敵する蔵書数を誇り、数少ない聖女や神官が利用するためのものだ。


 そして今、私の視線の先では、4回目のループで私の相棒だったその神官が異母妹・クリスティーナと一緒に勉強している。……いやなんで?


「何を見ているの?」

「母親違いの妹と、(昔組んでいた)神官が二人で顔を寄せ合いきゃっきゃしながらお勉強しているところです」

「目障りなら退かそうか」

「や、やめてください」


 一歩踏み出したトラヴィスの腕をがしっと掴むと、彼は「冗談だよ」と言って笑った。


 以前からずっと思っていたことだけれど、トラヴィスは老若男女問わず人に好かれる……というか熱狂的なファンを抱えがちという習性がある。そしてものすごく外面がいい。


 けれど、こうして仲良くしたいという意思を示してくれるのは私に対してだけで。誰のことも好きにならないと決めているのに、その特別扱いがうれしくなることがあるから困る。困る。……困る!


 両頬をぺしっと叩いた私は、こそこそと遠くのほうを指差した。


「向こうを通って行きましょう」

「いやいいよ。後ろめたいことなどないだろう?」

「うーん……でも」


 できることなら見つかりたくないところだった。


 神殿内ではたまにクリスティーナに遭遇することがある。エイムズ伯爵家でのお茶会での一件以来、スコールズ子爵家の後妻とその娘に気をつけろという評判は社交界に広まった。けれど、彼女の性格は変わらない。


 喉元過ぎればなんとやら、さりげなく私よりも優位に立とうとしてくるところは一緒で、面倒でしかないのだ。


 ちなみに、誰にでもお腹を見せ威厳を欠く神獣・リルもクリスティーナだけにはお腹を見せることはない。私も「あ、ちゃんとわかってるんだね」と安心したところだった。


「冬のエイムズ伯爵家でのお茶会以来、元婚約者から接触はないんだよね?」

「はい。異母妹との関係も切れたようです。騙された、と吹聴しているようで。醜聞もいいところで、両家にとって地獄ですね」


「許せないな?」

「あ、でもその醜聞のおかげで私に関するひどい噂は完全に消えましたから。むしろ感謝したいぐらいです」


 なぜ私がこんなに詳しいのかというと、定期的に届くお父様からの手紙に書かれているからで。私と、継母・異母妹のどちらが強いのかをチラチラ窺うお父様ってなかなか最低だと思う。


「トラヴィス様、何かお探しでしょうか」


 突然の声掛けにびくっとすると、そこには4回目のループで私の相棒だった神官・エイドリアンがいた。さっきまで彼が座っていた場所は空席になっていて、クリスティーナがこちらを睨んでいる。


「いいや。彼女の付き添いなんだ」

「それは、失礼いたしました」


 暗に『放っておけ』というトラヴィスの応えにエイドリアンは深い礼を見せた。神官たちは皆トラヴィスが王族であり大神官様の腹心にあたることを知っていて、一目置いているようだった。


 加えてエイドリアンは私の能力鑑定の場にいた。だからトラヴィスが連れているのは特別な聖女だということも知っている。けれど、巫女……主に私の異母妹、は違う。


 私たちのやりとりを見ていたクリスティーナは立ち上がりつかつかとやってきた。


「……ここは大神官様の許可を得た巫女しか使えない図書館と聞いています。セレスティアお姉さまはきちんと許可を?」

「いえ……でも」


 私たち聖女や神官に許可はいらない。この図書館は私たちのための場所。それを説明しようとしたところで、クリスティーナの注意はトラヴィスに向いた。


「そちらの殿方は……神官のトラヴィス様、ですわよね。前にお茶会でお目にかかりました。あの時は妙な誤解があり、お恥ずかしいですわ。……隣にいるのは私の姉なのです」

「……」


 何も答えないトラヴィスを見たエイドリアンが割って入る。


「クリスティーナ嬢。その辺でおしまいにしてください。……申し訳ございません」

「でも! なぜエイドリアン様が頭を下げるのですか? 私の姉ですわ」


 蒼い顔をしたエイドリアンが謝罪をするのを、クリスティーナは心底不思議そうに見ている。


 バージルに負けず劣らないキラキラの滑らかなブロンドヘアに透き通ったアメジストの瞳。私たちが並んだら、文句なしにクリスティーナのほうが聖女に見えると言いそうな気がして、悲しい。


 そして、決して馬鹿ではなくむしろ策略家タイプのエイドリアンがクリスティーナの物言いを明確に叱らないところを見ると、本当に深い仲なのかもしれない。


 え、いつから? 変わり身速すぎない?


 心の中で茶化しては見たけれど、不安の種がむくむくと育っていく。


 エイドリアンの、黒い髪に知的な印象の切れ長の瞳。眼鏡をかけているので表情がわかりにくい感じはするけれど、表情だけでなくすべてがわからない人だ。


 4回目のループ、私は彼に王宮のバルコニーから突き落とされた。あれは舞踏会の夜だった。


 最後の記憶が少し蘇って、頭から血の気が引いていく感じがする。指先が冷たい。こわい。


 私は無意識のうちにトラヴィスが着ているシャツの袖を掴んでいた。


「……セレスティア?」

「何でもありません。大丈夫です。トラヴィスは何も仰らないでください」

「だけど」


 トラヴィスの心底心配そうな声が降ってくる。


 今私が眩暈を覚えているのは、クリスティーナがこわいからではない。4回目のループで私を殺した相手が、何を考えているかわからないからで。


 でもここでトラヴィスの陰に隠れていてはクリスティーナと一緒だ。嫌なことは全部他人に任せて、自分は傷つかない。そんなの私らしくない。


 声が震えるのを堪えながら、私は努めて凛とした声で話す。今朝、編み込んだ髪の毛に意識がいく。


「エイドリアンさん、クリスティーナ。ここはそういった応酬をする場ではありません。図書館自体に用がなく、まだそのような会話を続けるようでしたら退出を」


「……! な!」


 一瞬でクリスティーナの顔が赤くなったけれど、エイドリアンがその背中を押して礼をする。


「聖女・セレスティア様の仰る通りです。失礼いたしました、退出いたします……行きましょう」

「え、エイドリアン様!」


 二人が出ていくのを見送った後で、トラヴィスはいう。


「……何かあったんでしょ? 話してほしいな」

「話せません。でも、もう少しだけ袖を借りていてもいいですか」

「……もちろん」


 エイドリアンとクリスティーナは去ったけれど、ほかの神官の集団が近づいてくる気配がして、私は頭を振り目を瞬かせた。きっとひどい顔をしている。しゃきっとしなければ。


 トラヴィスは集団から私のことが見えないよう、遮るように立ってくれた。


 彼が一歩近づいたときに感じた香水の匂いは一度目の人生と変わらなくて。なんだか安心した。

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