第101話 主人公になりたいモブ

分厚い雲に覆われている空が少し明るくなり始めていた。

夜が明けた時間帯になったようだ。

雨が降ってきても、音のようなものがしないくらい細く柔らかいものである。

全長50mの鉄くずを継ぎ接ぎし造られているいかだは、緩やかな波に揺らされ、いろんな箇所からきしみ音が聞こえていた。

地上世界から迷い込んでしまった300人以上いる漂流者達は、慣れている感じで特段雨を気にする様子はない。


その漂流者達は、300m級の旗艦ポラリスに乗って現れた聖女から、地上世界に帰す宣言を聞いた当初は戸惑っていたものの、深真樹からの言葉を聞いて海王生物を呼んでいるクラーケン達がいる外洋を突破し地上世界に戻る決意をした。

一度は捨ててしまっていた地上世界に帰るという希望を取り戻し、浮島全体が活力に満ち溢れている。

クラーケン達が出現する深海エリアを突破する事には不安を抱えているのだろうが、深真樹が与えた勇気の方が上回り、漂流者達の士気はどんどん高まっていた。


ペンギンの指示で、50m先の沖合いに碇を下ろし停泊をしている旗艦ポラリスまで医療物資を取りに行くため、タグボードに乗り込む準備をしている漂流者達の姿が見える。

緋色の嫁と紹介されていた2人の女子が深真樹のサポートとして皆の取りまとめを行なっていた。

至る所から絶え間ない張りのある笑い声が聞こえ、ボロボロな恰好をしている漂流者達の表情は笑顔に変わりその瞳はキラキラと輝いている。

お祭りムードが漂う中、空気感の違う者が1人いた。

旗艦ポラリスに乗船しないで、浮島に残ることを決意した緋色だ。

皆から離れた場所に独りいじけた様子でポツンと座っていた。

そんな緋色へ、深真樹がポラリスに乗船するように説得している姿がそこにある。



「緋色。どうして一人でここに残るのですか。理由を教えて下さい。」



その声からは、相手を心配している感情が伝わってくる。

緋色は深真樹の言葉に反応する事なく遠くを見つめているが、その焦点は定まっていない。

声は聞こえてはいるのものの、その言葉は頭に入っていないようだ。

ちなみにだが、深真樹以外の者は誰も緋色を気にしている様子はない。

いらなくなったので、ポイ捨てされた感じの扱いをされているのかしら。

私がここに来た際には浮島のリーダーであると自己紹介をし、自身に満ち溢れていた様子であったのだが…。

突然、緋色が深真樹の両肩を掴み、堰を切ったように喋り始めた。



「元の世界に戻ってしまったら、俺は主人公でなくなる。モブキャラに戻ってしまう。だから、地上世界へ戻れるわけがないんだよ!」

「どういう事ですか。緋色は、スキル『フロート』を使って、私達を救ってくれたではありませんか。自信を持って下さい。」



『フロート』とは緋色が持つスキルだ。

触れている物を海に沈めないようにする効果があり、この浮島が沈まないように継続的に浮力を与えていた。

だが、一度沈んでしまったものには浮力を与えることが出来ないため、その汎用性が低く、地上世界ではあまり役に立たなかったそうだ。

もしも沈んでしまった物を浮かす事が出来たなら、沈没船を引き上げて簡単に大富豪に成れただろう。

海域限定であるとか、触れなければならないと発動しないといった条件付きなのが更に使いづらいものにしている。



「深真樹は聖女さんと地上世界へ戻ってくれ。ここにはまた別の者が迷い込んでくるだろうし、俺はその人達のためにここに残るよ。」

「人の役に立ちたい気持ちは立派です。それに主人公でなくても緋色は緋色です。自分らしく生きたらいいじゃないですか。」



緋色は、正論を言われてしまい、押し黙ってしまった。

きっと心の中では、『そんな事は分かっているし、それが出来るなら、もうやっている!』と叫んでいるのではなかろうか。

正論とは、基本相手をやっつけるために使用するものだ。

そんな緋色が声を絞り出すように、恨めしい言葉を吐いてきた。



「俺が地上世界に帰ったとしても、結局、深真樹も俺から離れていくんだろ。」

「…。」

「みんなから頼りにされ、必要とされている深真樹には、俺の気持ちなんか分かるはずがない。」



緋色は泣いていた。

そして、深真樹の説得は失敗したようだ。

だが、緋色にここに残られてしまうと私が困る。

誤爆ではあるが、99話で緋色には『SKILL_VIRUS』を撃ち込んでしまっている。

つまりスキル『フロート』は現在進行形で崩壊しつつあるということだ。

そんな状態でラグナロク領域に残られてしまうと、この浮島は沈んでしまい、緋色は確実に死んでしまうだろう。

その行為は、同族殺しと見なされ、信仰心が下がるものと予想がつく。

緋色には自身の意思にかかわらず、私のために強制的に地上世界へ連れて帰らねばならない。

はい。ここは鉄拳制裁により緋色を気絶してもらいましょう。


一歩足を進めようとした時、正面の床に何か違和感を覚えた。

床がグニャリと変化をし、少しずつ歪んでいく。

そこに何かが得体の知れない存在が潜んでいるよう気配を感じた。

その歪みの中央が黒く盛り上がっていく。

そして、床から首を垂れて片膝を付いた人の姿をした何かが現われてきた。

僅かであるが弱い神気を感じる。

その得体の知れない存在が、こうべを垂れたまま自己紹介をしてきた。



「私は、空の支配者であるホルム神の四柱の一角を担うイムセティという者です。三華月様が、空を覆う厚い雲を突き破ってくれたおかげで、少し力を取り戻し自由となる事ができました。」



ホルスとは異界の天空神である。

厚い雲に覆われた現状況では、天空からの加護は受けられないため、イムセティと名乗る者は神とはいえ大した力は感じられない。

私へ頭を下げているし、敵意も感じないが、このタイミングでお礼を言うために姿を現してきたとは思えない。

そう。緋色へ鉄拳制裁を打ち込もうとした行為を妨害するために、わざわざ割り込んできたように思える。



「イムセティ。あなたを助けるために雲を突き破ったわけではありません。礼にはおよびません。私の前から消えて下さい。」



動く様子がないイムセティを迂回しようとすると、体を入れて緋色への進路を妨害してきた。

理由は不明であるが、緋色に接触させたくないというのは間違いない。

神気が感じられるイムセティがどれほどの力を持っているかは不明だが、信仰心のためなら、異界の神でも処分させてもらいましょう。

―――――――――運命の弓をスナイパーモードで召喚する。

真っ黒な雲から落ちてくる雨に濡れていた手に3m以上ある白銀に輝く弓が姿を現した。



「イムセティ。私の邪魔をしたら、あなたを排除させて頂きます。」

「三華月様。緋色自身はここに残りたいと希望しています。本人の意思を無視して、力ずくで連れていく行為には賛同しかねます。」

「あなたからは意見を求めておりませんし、聞くつもりもありません。私と敵対する意思があると受け取りました。ここは実力行使させて頂くことに致します。」

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