再・激闘

 辰之助が向かったのは、長屋だった。

 私があまり行ったことのないほうだ。

 けれど思いあたるところはあるのだろう。

 辰之助は迷うことなく走って行く。私も引かれるままについていく。

「……このへんか」

 辰之助がようやく足を止めたのは、長屋ではなかった。居住区も通り過ぎたエリア。

 町の外れ。

 山に近いところ。

 そこで私は閃くように思い当たった。

 子一郎が前に言っていたのだ。


「竹刀は裏山から竹を切り出して作るんだぜ。おれが今、使ってるのもおれの背に合わせて辰にいちゃんが作ってくれたんだ!」


 とても自慢げに、自分の、まだ子供サイズの竹刀を抱えて、嬉しそうに。

 だから、竹刀を新しく作るのだと思った子一郎はここに来たのかもしれない、と辰之助は予想したのだろう。

 そしてそれはその通りだったのだ。

 今ばかりは『残念ながら』であったのだが。


「……てめぇ! 子一を離しやがれ!」


 辰之助が急に叫び、私はびくっとした。

 上に向かって怒鳴った辰之助。

 私がそちらを向くと、探していた子一郎は確かにいた。

 が、ぐったりしているようだ。

 ある男の腕に抱えられて。

「旭光か。意外と早く来たもんだ。すべて終わらせておくつもりだったんだがな」

 子一郎を抱えていたのは暗疎であった。

 陰陽師のような服はそのまま、裏山の高台からこちらを見下ろしている。

「もう少しで完全だったんだがな……、まぁいいだろう」

 暗疎は辰之助の言ったことなど聞くはずがないだろう。

 なのに、そっと子一郎を地面に下ろした。子一郎はぐったり地面に横たわる。

 私はひやひや、どころか体が凍り付きそうに恐ろしくなる。

 今すぐ助けに駆け付けたいのに。

 抱き上げて「大丈夫?」と聞いてあげたいのに。

 それができる状況ではなさそうだ。

「てめぇ……!」

 辰之助が、あそこまで跳びあがろうとしてだろう、足に力を込めるのが見えたけれど、そこにすっと、暗疎が手を出した。まるで制するように。

「俺と遊ぶよりも面白いことがあるぞ。たくさん楽しむといい」

 その手のひらからぶわりと膨れ上がった、黒いもの。

 行き先は辰之助ではなかった。

 暗疎の前に横たわった、子一郎。

 黒い霧が子一郎の体を包み、まるでその霧が支えているように、子一郎の体を起き上がらせる。


 なに、これ、まさか、あのときのように……。


 私の頭に嫌な予想が浮かぶ。前の出来事がフラッシュバックする。

 それは勿論……。

 ふらりと立ち上がった子一郎。

 けれどその目にはいつもの明るく無邪気な色はなかった。

 ただ、どこも見ていない、虚ろな目である。

 私は知った。

 あの、道場破りをしてこようとした男。

 あれと同じだ。

 憑りつかれているのか、取り込まれているのか……とにかく。

 今の子一郎は、子一郎であって、子一郎ではない。

「くそ! ガキにまで手ぇ出すたぁ、外道とも呼べねぇ!」

 辰之助はすらっと刃を抜き出した。ざっと空を切って構える。

 すぐに柄が橙色に染まった、けれど。

 その色はここまで私が見てきた比ではなかった。

 燃えてしまいそうに熱い色だ。

 柄だけでなく、刃にも橙色が移っていく。

 刃はまるで、打たれているときのような、燃えるような色になった。

 辰之助が構えたのを悟ったように、子一郎がふらっと動いた。

 その手には竹刀がある。

 だが、予想などできる。

 普段の子一郎とは違うのだ。

 辰之助があっさり勝ててしまうような腕前だろうか。

 ふらっと動いた子一郎は、竹刀を構えて、飛び下りてきた。

「はぁ……っ!」

 大胆に飛び下り、辰之助の面を狙うように竹刀を振り下ろす。

「おら、よっ!」

 辰之助は橙色の刃でそれを受け止めた。

 が、軽く言った口調はすぐに固くなる。

 子一郎の振り下ろした刃。

 ガッ、と辰之助の刃に食い込んでいたのだから。

「くそ……!」

 辰之助は刃を引かざるを得ない。

 その仕草でぶつかり合いは解け、子一郎はタッと横に降り立っていた。

 もう一度、ゆらっと竹刀を構える。

 その竹刀。

 黒いものが集まりつつあった。

 どろどろとしたものがまとわりついていく。

「子一! しっかりしろ……!」

 辰之助が呼ぶ声は悲痛だった。


 なんとかこれで気が付いてくれれば。

 覚醒してくれれば。

 そんな響き。


 そう言ったって通じるわけがないことなんて、もう散々妖魔と対峙してきた辰之助にはわかっていただろうに、それでも言わざるを得ないのだ。

 私の胸が引き裂かれそうに痛む。

 こんな対決、望んでいなかった。

 見たくもなかった。

 きっと二人だってそうだろう。

「……」

 勿論、子一郎であって子一郎でない存在は答えなかった。

 ただ、竹刀、これももう竹刀とも言えないだろう、妖魔の憑いた剣を構え、辰之助に向けた。

 辰之助がぎりっと奥歯を噛み締めるのが見える。

 なにを考えているのか、どうしたものか、と思っているのか。

 私はぞくぞくしつつも見守るしかない。

 そのとき、胸元をぎゅっと握ったときに、こつっとなにか硬いものに手が触れた。


 ……これは。


 私がそこに『入れた』ものを思い出したとき。

 再び二人の打ち合いがはじまった。

 パンッ、カァンッ、と、日本刀と竹刀とは思えない音が立つ。

 子一郎の動きはどろどろとしていたが、素早かった。なかなか辰之助に踏み入らせない。

 辰之助も防戦というわけではないが、即座に切り込むとはいかない様子。

 竹刀を受け、弾き、こちらからも斬りかかる。

 しかしそれは弾かれる。

 向き直る。

 その繰り返し。

 私がはらはらしつつも、ふと上を見ると暗疎はただこちらを見下ろしている。

 表情に薄い顔であるが、わからないはずがない。

 楽しんでいるのだ。

 この状況を。

 私のお腹の中が、かっと熱くなった。今は不快な熱に。

 子一郎を浚った挙句、乗っ取って。

 辰之助を襲わせ、二人を戦わせ。

 怒りを覚えないはずがない。

「はぁっ!」

 不意に声が上がり、私ははっとしてそちらに視線を戻した。

 そこではまだ打ち合いが続いていたけれど、私はぞくっとしてしまう。

 辰之助の掛け声を共に払われた子一郎の竹刀。

 パンッと弾かれて、黒いものが散っていたのだから。

 ここまでくれば。

 私は前回のことからそう思い、そして辰之助も同じように思ったようだった。


「子一……! 目ぇ、覚ませ!」


 辰之助が大きく日本刀を振りかぶる。

 刃に、ぱぁっと光が集まった。

 刃から発光しているように強く光る。

 私は実感した。


 私の持つ力、『戌の加護』。


 確かに辰之助の中に入ったのだ。

 前回とはあまりに様子が違うのだから。


 パンッ!


 もうひとつ音がして、次の瞬間には竹刀が砕け散っていた。

 辰之助が竹刀ごと、どろどろしたものを斬ったのだ。

 真っ二つになった竹刀はばらばらと傍らに落ち……ふっと子一郎の体から力が抜けた。

「子一!」

 辰之助は慌てて手を伸ばし、子一郎の体を抱き留めた。

 子一郎は最初、見たように目を閉じてぐったりしている。

 その体はまだどろどろとしたものにうっすら包まれていたけれど、辰之助は構わずに子一郎の体を抱く。

 そしてその額に手を当てた。

 ぱぁ、と光が生まれて、子一郎の額を光らせた。

 その光は子一郎の額から体に吸い込まれていく。

 それと同時に、まるで逃げていくように黒い霧は散り散りになって、子一郎の体から離れて行った。

「……いいだろ」

 辰之助はそれを見守っていたけれど、やがて口の端を上げた。

 私からは安心した、という表情に見えたそれ。

 辰之助は、抱きしめた子一郎の体をうしろに回す。地面の上にそっと寝かせた。

 私は呆然と立っていたところから、慌てて駆け寄る。辰之助が私を見て、今度ははっきり笑みを浮かべた。

「もう大丈夫だぜ。夜留子、見ててくんな」

「は、はい!」

 そう言われて私のほうもほっとした。

 膝をついて、子一郎の体を抱く。頭を膝の上に乗せた。

 子一郎の顔は穏やかであった。眠っているだけ、のように見える。

 きっと道場破りのあの男のように、眠れば元通りの状態で目が覚めるのだろう。

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