あたたかなものに包まれていた。

 ぬるま湯のような、いや、もっと優しい、羊水のような……。

 だいぶ長いこと感じられていなかった穏やかな気持ちがここにはある。

 そのうちに、気を失った狭間で私はどうやらうとうと夢を見ていたらしい。

 この世界に来る前の夢、を。



「お前がいると邪魔になるんだよ」

 そうだ、私は大学の先輩に屋上の端まで追い詰められたのだった。

「どうして……」

 私は恐怖を感じながら、なんとか聞いた。

 先輩、男性であったが、何故か事あるごとに私に冷たい視線を向けていたひとだ。

 はじめはなにか、気に障ることをしてしまったのか、と思っていた。

 だが、違うのではないか、とそのうち思うようになった。

 だって思い当たる節がまるでないし、そもそも接点がなかった。

 この年頃の男女によくあるような、恋愛絡みのもつれなどがある余地もない。

 まったく謎だったのだ。

 でもこの先輩、ああ、そういえば、対峙していた暗疎になんとなく似た目をしていた。どこかどろりとしたような。

 私はそれを見るたび、毎回ぞくりとしてしまい、そそくさと去っていたのだ。


「ここではなんの効果もないと見逃していたが、どうやらそうもいかないようだ」


 なにか言っていたけれど、恐ろしさに捕らわれた私はそれが理解できなかった。

 落ち着いていたとしてもわからなかったかもしれないが。


 『ここでは』とは。

 『効果』とは。


 まるで私がなにか能力かモノでも持っているようではないか。

 だが、それを聞く余裕もなかった。


 ドンッ……。


 私は先輩に押され、宙に放り出されていたのだから。

 ひゅっと、心臓だけが屋上に取り残されたような感覚を覚える。エレベーターで下りるときの感覚だが、そんな平和なもののはずはない。


 死ぬのか。

 死んでしまうのか……。


 私はぼんやりそう思い、浮遊感の中で、ゆっくり意識を失ったのであった。

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