第173話 人格再填――亡者の誕生――

暗い泥水へ沈みゆく途中、突然引き上げられたようなそんな感覚。

纏まらぬ思考、焦点の合わぬ視界、大きく息を吸い込んだはずなのにその感覚すら鈍い。夢の中にいると言われれば納得のいく感覚。


何分にも、何時間にも感じられたそれも、実際には一瞬の事だったのだろう。

視界は急速に光を得て、自分が今、大地に横たわっている事を知覚する。そして視界の端には、一人の若い男が片膝をついて此方を見ていた。


「……ココハ」


自らの声のかすれに驚愕する。

まるで全身が鉛になった可能様で、手も、足も、口も、瞳も簡単には動かない。

一体何が起こったのか。確か、私はウォールの防衛戦に参加していて、まだ若いパーティーメンバーをサポートするため、前線へと回ったはずで……。


「聞こえていますか?」


男からの呼びかけに、思考は中断された。

口を動かすのもおっくうなので視線を向ける。

黒髪に、黒い瞳。この国では割と珍しい容姿だ。


「身体は動きますか?」


身体は……あまり動かない。それに理屈は分からないが、感覚が薄い。

喉が渇いている気がするが、それさえも薄い。すべてが1枚、透明な幕を張ったように感じられた。


「死後硬直の真っ最中なので、余り無理な動きはしないほうが良いかも知れませんね」


「……しご?……なんだ?」


『スキルで会話しましょう。私はワタル・リターナーです。アルタイルさん。念話チャットならスムーズに話せますよね』


ワタル・リターナー……どこかで聞いた覚えがある。

たしか、最近話題に成っていた冒険者だな。


『ああ、確かに話せるな』


どうやらスキルは使える状態らしい。麻痺などの状態異常にやられたか?


『良かった。目を覚まされたところ大変申し訳ないのですが、貴方にお伝えしなければならないことが有ります。というか、こういうのは最初が肝心なのでちょっと混乱すると思いますが、落ち着いて聞いてください』


『……ずいぶんな前置きだな』


『はい。端的に言いますと、貴方は死にました』


『………………?』


『あ、ちなみにここは現世げんせです。天国でも地獄でもありません。なんならステータスを開いてみると良いと思います。状態欄をご確認ください』


言われた通り、ステータス画面を開いて目を疑った。

そこには確かに、『状態:死亡』と書かれていた。


『……ばかな!?いったいこれはどういうことだ?』


死んでいる? 私が……既に? にもかかわらず、私はこうして考え、彼と言葉を交わしている。そんなことが有りえるのか?


『ウォール防衛線で前線部隊に随伴したあなたは、カマソッツの魔術から仲間を庇って負傷し、死亡しました。記憶はありますか』


『記憶は……ああ、そうだ。確かにある』


あの時、目の前に巨大な岩が高速で降り注いだ。

私は咄嗟に防壁を張ったが耐えきれず、入れ替えスキルを使って仲間と自分の位置を入れ替えて……。


『それで私は死んだのか?』


『はい。私は死にざまは見ていませんが、貴方の仲間と思われる方は負傷者として運ばれて行きました。おそらく無事でしょう』


『……そうか』


私は死んだが、彼らは助かったか。……僥倖だな。


『落ち着いていらっしゃいますね』


『幸い、魔導師も恐怖耐性はあるのでな。しかし、そうするとこれはなんだ? なぜ私はこうして話している?』


『はい。どちらかと言うと、こちらの方がショックが大きいかも知れませんが……私が死霊術師ネクロマンサーのスキルを使って、貴方の人格を肉体に呼び戻しました』


『……死霊術師ネクロマンサー


訊いた覚えがある。

神の定めた職業の中に、死体を操る、死者を冒涜するような職業が存在すると。

神は命を失ってなお、魔物を、魔王を倒せと人に示していると。そう言われていた職業が、確か死霊術師ネクロマンサーだったはずだ。


『私は死んだことが無いので、安らかな眠りを妨げられてご立腹なら申し訳ないのですが、まぁ、そう言うスキルだと思ってご理解ください』


『……安らかな眠りか。……わからんな。死んだというが、死んだ後の事は記憶にない。大岩につぶされた直後に目覚めた印象だ。気にするほどではない』


『そうであれば幸いです』


『しかし、そうすると今はどういう状況なのだ?空が青いという事は、それなりの時間は経ったのだろうが……たまに地響きがする。ウォールは無事か?』


『状況は……見ても分からないと思いますが、見てもらったほうが良いですかね。念動力テレキネシス動かします』


彼がそう言うと、身体が持ち上げられる感覚がして視界が動く。

最初に見えてきたのは大亀の背中。その先にウォールの街があり……亀は拘束されて居るのか?

尻尾が暴れているのが見えるものの、移動している様子はない。足が地面に待っている。なるほど、倒し切れなかったが、落とし穴のようなもので進めなくしたようだ。


『討伐はこれからです。おそらくですが、問題無いでしょう』


そして彼は私の身体を別の方へと向けた。

底には幾人もが横たえられており、身を整えている女性の姿が見て取れた。

……私と同じく、先の戦いで命を落とした者たちであろう。


『彼らは私と同じ死者か』


『はい。損傷した肉体は私のスキルで修復して、今も身なりを整えてもらっています。あなたの身体も、一応五体満足と言う状態までは復活させてあります。身体が動かないのは死んだ後に起きる特有の変化が原因で、後1日も経てばスキルの効果で自由に動かせるようになるでしょう』


生き物の身体は、一度死ぬと固く収縮するのだと彼は言う。

それが他の動物の肉と同じく柔らかく成るには、しばらくの時間がかかるらしい。

今はそれを待っていられる時間はなかったと、彼はそう告げた。


……時間が、か。


『なぜ君は私を目覚めさせた? あの亀の化け物を倒すのに人手が足りない、などと言う程度の話ではあるまい』


山陸亀マウンテン・タートルと呼ばれた大亀は確かに厄介な相手だろうが、私や、ここにいる者たちが加勢したところで大した戦力に成るとは思えない。

そもそもああして亀を捕縛でき、いくばくかの時間が経っているのだから、ウォールが死者の手を借りなければならないほど戦力が不足している、といった状態でも無いのだろう。


『はい。単刀直入に言うと、今後私に力を貸していただきたい』


彼の説明をかいつまんでまとめると、死霊術師ネクロマンサーとは死体をマリオネットのように操る職業らしい。

操れた死体は、生前の能力やスキルを活用することができるため、強力な死人であればあるほど、強い力を振るえる。

しかし、単に操るだけでは糸の付いた人形のようなもので、その能力を十分に発揮しているとは言えない。


人格再填リ・ロードは生前の人格をその肉体に降ろすことで、私の操作が切れた状態でも活動できるようになります。もちろん、貴方の意志で』


つまり、死して自らの亡骸という器に宿り、亡者の如く敵を屠る武器となれ、という事か。


『……こうして話をさせてもらって申し訳ないが、私に何のメリットがあると言うのだね?』


彼はおそらく善人なのであろうな。

私の力が欲しいだけなら、対話などする必要は無く、スキルの力を使っていう事を聞かせればよい。それくらいは出来るだろう。


自分が死んだ、と言うのもあまり受け入れたくない現実ではあるが、冒険者などと言う荒事屋をこの年まで続けていたのだ。いつか不条理な死を迎えるという覚悟はしていた。

だが、死して他人の操り人形とされるのは御免被りたい。


『そうですね。私の提示できるメリットはあまり多くありません。貴方の身体はあくまで死体ですから、スキルで操ろうとも腐敗は進みまず。スキルで修復は出来ますが、最悪自分の身体が腐り落ちていくのを見ることに成るのは、余り気持ちの良い物では無いでしょう』


……それはさすがに嫌だな。


『死体ですから、肉体的な感覚は鈍いです。操作に必要な感覚はありますが、視覚嗅覚はともかく、味覚や触覚は弱いようですね。代わりに疲れも痛みも感じないようですが……食事に楽しみを見出すことも、酒に酔う事も出来ません。睡眠も必要無いので、睡眠の快楽も、夢を見る安寧もありません。まぁ、そもそも私のMP依存なので、連続の稼働時間はそう長くないので睡眠の心配はするだけ無駄ですね』


嫌なことが増えた。

……一度でいいから味わってみたかったあの酒は、もう飲む意味もないのか。


『あなたを殺したカマソッツも倒してしまったので、自らの敵討ち、と言うのも申し訳ないですが難しいです。ああでも、すべての魔物を殺しつくしたいと言うのであればもろ手を挙げて歓迎しますよ?』


『私は修羅でも戦闘狂でもないんので御免こうむるよ』


この男は実は馬鹿なのでは無いだろうか?


『残念ながら死んでますからね。生きてやりたかった事を成す、なんてのにはとんと夢かないらしいですよ、このスキルは。おかげで交換条件を探すのも大変です』


『……それでは交渉の余地はないではないか』


『そうですね。……ああ、でも生きている内にやりたかった事でなければ、望むものもあるかも知れません?』


『……何?』


それまでのにこやかな表情を収め、その深淵の入り口たる眼でこちらを見つめ、告げた。


『……貴方の大切な人に、別れの言葉を告げることができます』


その言葉は、止まってしまった私の心臓に、確かに突き刺さった。

深く深く突き刺さり身体を貫いて、そこから染み出た漆黒の渇きが、私の心に妄執を抱かせる。


『たとえぬくもりを感じられなくても、その手が冷たくても、貴方の大切な人を抱きしめ、言葉を交わすことは出来ます』


それは悪魔の囁きだ。自然の理に反する、死者のみが持ち得る渇望だ。

生きた人間にはいだくことを許されない、禁断の願いだ。


『そしてあなたは……もう一度、貴方を死ぬ場所を選ぶことが出来る。貴方を愛した誰かの腕の中か、幸せな記憶の中にしかない思い出の地か、それとも生きた証を立てるための戦場か。そのいずれで無くとも、貴方が私と歩む限り、貴方の意志に、それを選ぶ機会を与えられる。それくらいです』


ああ……私は気づいてしまった。

そうだ。私にはやりたいことがあった。朧気だが無し得たい夢もあった。だがそれはもう果たされない。生者の望みは、死者の私では成すには至らない。


……だがこうして、私が私としてここに在る……これが神の奇跡だというならば!

終わり逝く者の願いくらいは、渇望しても許されるものだろう!


心に力が満ちるのが分かる。これは生気ではない、いうなれば死者の念。妄執。呪い。そういった類のものか。

……それでいい。亡者は今一度求めるのだ。死ぬより悪い事などそうありはしない。


『ああ、それともう一つ。これは私に関してのメリットに近いですが』


『……なんだね』


『貴方を殺さなくてみます』


そう言って彼は笑う。


『私を……殺さなくて……すむ?』


彼の目は澄んでいる、本当にそう思っているようで……思わず笑ってしまった。


『ふふふ……はははっ……はっはっはっ!面白い!』


私に死んだと告げた男が!私を殺さなくて済むという!

どういうことだ!簡単だ!彼は今大真面目に、私が死んでいないと思っている!自らのスキルで生み出された、魂が籠っているかも分からぬこの私を!生きていると認識している!

死者を操る死霊術師ネクロマンサーが!死人の生を信じるなどと、こんな面白いことが他にあるか!


『ああ、良い。わかった。十分だ。それに貴殿にも興味がわいた』


出来れば生前に会いたかったが、それではおそらく対した交流を持つことは無かっただろう。

死霊術師ネクロマンサー、魔術の系統から除外された、魔術師ギルドでは邪道とも呼ばれるなり手に、良い興味を持つことなどなかったであろうからな。


『重力の魔導師・アルタイは、私が終焉を望むまで、いついかなる時でも貴殿に力を貸そう!』


……私の人生は既に終わってしまった。

しかし晩節を汚すことなく大人しく眠れと言われれば、それはまっぴら御免である!

今、ここに、亡者としての私が、たしかに生まれ落ちたのだ!

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□あとがき

ワタル以外の1人称視点を書くのは、実は初めてになると思います。

タリアやロバートさん達アインス組の戦い、魔物たちはすべて地の文章は三人称で書いてました。

違和感ありませんでしたでしょうか。

貴方のブクマ、評価、感想などいただければ励みになります。よろしくお願いいたします。

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