とある蚤の市の後日談。
Planet_Rana
★とある蚤の市の後日談。
飴色の苦い液体が、ほんの少しの産毛と共に水面を揺らす。
それを口に含めば何とも言えない錆びついた香りが鼻を通って、やがて満たされた心が溢れ、溜め息になるのだ。
まだ肌寒い、夏の始まり。
地元民に愛される喫茶店の店主は……独りで淹れる紅茶とやらに嵌っていたりする。
真っ白な砂岩の石畳、白と鮮やかな欄干並ぶ石切りの町。
海風香る町の中心に喫茶バシーノはある。
「バシーノの旦那、芋揚げと果実水を二人前よろしく!」
「はーい。芋揚げに果実水二人前」
「バシーノの旦那! 魔法果実水一つに芋揚げと肉炒めよろしく!」
「はーい。魔法果実水に芋揚げと肉炒め一人前」
「バシーノの兄貴ぃ! 魔法果実水三つに芋揚げ五人前!!」
「魔法果実水三つに芋揚げ五人前、兄貴と呼ぶのは辞めなさい!!」
三つ目のオーダーにそう叫んで返すと、客と従業員が「どっ」と笑う。
その声を聴いて、やれやれと口で言いながら思わず口が緩む自分がいる。これが、喫茶バシーノの日常風景だ。
オーダーに合わせて揚げた芋をトマの実のソースと皿に並べ、カウンターに出す。果実水を揃えて、しゅわしゅわ弾ける魔法水と、そうでないものを分けた。
新商品として開発したばかりの魔法果実水は案外好評らしく、地元の人々を始めとして旅人や商人からも注文が入る。その中で肉炒めを作り上げて店員に渡すと、丁度入れ替わりの時間だと言ってピンチヒッターが厨房に入って来た。
「やあ、バシーノの旦那。そろそろ真昼ですし、代わりに来ましたよ」
「いつもありがとうピトロさん。昼だけでも助かるよ」
「いえいえ。あたしだって仕事と仕事の間を埋めたいだけだったりして。わがままに付き合って貰って感謝したりないのはこっちの方ですよっ」
快活に笑いながら厨房へ向かう女性にバトンタッチして、私は店の奥に引っ込んだ。
実は、この店の日常に一石を投じるように新人店員がやってきたのが記憶に新しい。
面長な顔に硬貨を歪めたような瞳。黒い角が二つ額から生え、どちらも鋭利に天を刺す。
「お疲れ様です、アイベックさん。お昼なので休憩にしましょう」
「……もうそんな時間ですか。あぁ、ピトロさんも来たんですね」
「ははは。流石に分かりますか」
「鼻は良い方なので。一度覚えてしまえば、ですけど」
獣人の彼はそう言って、たどたどしい笑みを私に向けた。
過ぎた蚤の市の一件から、壊れた壁や窓を直すのに大いに貢献してくれた (そうせざるを得ない半壊まで追い込まれたということでもあるのだが)彼は現在においても、日に四時間の芋洗いを専業に店へと通っている。
雇い始めの頃は、無口故の重苦しい雰囲気が人を寄せ付けない権化のような男だった。しかしその長身に似合わぬ細い身体をさらに丸くして芋を洗うので、人となりを知った今では威圧感より庇護欲を掻き立てられるような、不思議な人である。
これでいて腕っぷしはあるほうなので、彼に好意を向ける女子の口からたびたび零れるギャップ萌えとはこういうことを指すのかもしれないと思った。
休憩室の魔石コンロで湯を沸かしながら茶葉缶を選ぶ。昼食は調理時に出た賄いであることが殆どだが、飲み物は自由だ。店で提供しているラクスの果実水も良いが毎日それでは飽きてしまうので、私は紅茶を淹れるようにしていた。
「君、好きな紅茶とかあるかい?」
「……紅茶ですか。あまり気にして飲んだことがないですね」
アイベックが芋洗いの手を止め、最後の一個をザルに上げる。
「緑茶なら、息子が淹れたものを飲んだりしますが」
「ほうほう。なら、試しにどうだい?」
沸騰したお湯の中に茶葉を加えて蓋をする。蒸らして濾せば、店長特性の錆び紅茶ができあがりだ。
黒々とした紅茶の香りに首を傾げながら、恐る恐るといった調子で口に運ぶアイベック。
舌に纏わりつく苦味、喉ごしの悪い鉄の香りが鼻を突き抜ける――吹き出した。
「っ!! こ、これは、ちょっと、違いませんか、べぇ!?」
「違う? 私にとってはこれが紅茶だが?」
「多分淹れ方が違って……!! いや、違わないのか!? これが普通なのか……!?」
目を白黒させながら再度口に含み、悶える獣人。
いや、そもそも紅茶は多量に口に含む飲み物ではなく。ちびちびと飲みこむ嗜好品だろう。そう思いつつも、紅茶を注文されて提供したらお客さんが卒倒したことがあった気がする。記憶とは不思議なものだ。
私は自分の分の紅茶を一口含んで、痺れるような苦味に「うっ」となりつつも頬を緩める。そう、このパンチが利いた風味が好きなのだ。こればかりは譲れない。
「なんだか凄い声がしましたけど……あれっ、アイベックさん撃沈ですか」
「ピトロさん! そうだ、君も飲んでみてくれないか」
「飲む? 何を」
「紅茶を!」
私の言葉を聞いたピトロさんは「すっ」と真顔になって、それから撃沈している獣人へ視線を戻す。続けて私に向けられたのは苦笑だった。
「飲みませんよ。旦那が淹れる紅茶、不味いですもん」
「!?」
「昔飲んでぶっ倒れた記憶がまだ鮮明といいますか――って、まさか紅茶初心者にあのメタリックなやつを飲ませたんです? あちゃー」
固まった私の隣をすり抜けて、賄い片手にピトロさんが鍋を覗き込む。「どうして鍋なんだろう」とか、「茶葉入れた後も煮詰めてたりしませんか」とか、フリーズした頭には何も入って来なかったものの、彼女はどうやら紅茶を淹れ直すつもりらしい。
よしよし、分かった。お手並み拝見と行こうじゃあないか。
「そうだ。賄い代わりの油ものですが、これでも摘まんで落ち着いて下さいな」
「べ、べぇぇ……恩に着ますピトロさん」
「あっはっははは! この程度どうってことないって!」
平皿に盛られた芋揚げにトマのソースを入れた器を添える。アイベックと私は芋揚げを摘まみながら、意気揚々と紅茶を淹れ始めたピトロの動きを半分心配、半分期待の眼差しで追いかけた。
錆び味の紅茶で焼かれた舌に、芋揚げの油とトマの実の甘酸っぱさが優しく染みわたる。塩と香草を軽く振りかけたそれを口に運ぶたび、パリパリと皮付きの芋がすりつぶされる。しっかり火が通った芋はふかふかで、これがまた美味しいのだ。
皮付きの芋揚げ。売れ行きがやや伸びはじめたところに拍車をかけたのがアイベックの鼻だった。美味しい芋とそうでない芋が何となく分かるのだとか。
さて。本題に戻ろう。
しっかり三分ほど待ったあと、緑茶を淹れるような陶器に紅茶が注がれて戻って来る。ふむ、色は私が淹れたものより遥かに薄く、どぎつい鉄のような香りもしない。これがピトロの言う「紅茶」らしい。
喉に通してみれば、アイベックがなんだかほっとしたように目尻を緩めた。淹れ方を聞いている様子を見ると、どうやらピトロ印の淹れ方が気に入ったようである。
私はといえば、普段飲むそれにすっかりと慣れてしまっているので少々物足りなさを感じていた。先に入れた紅茶を自分の器に足して飲みこむと、懐かしい錆び味が口を蹂躙する。
一人でほっこりしていると芋揚げを摘まむ二人が一瞬訝し気な視線を向け、けれど諦めたように破顔した。
調理場に呼ばれてピトロが休憩室からはけると、アイベックが口を開く。食べ物にしても飲み物にしても、好きなように食べるのが良いのだと。そう言った。
「健康は大切なので、飲み過ぎには注意してほしいですが」
「ははは。私はこの紅茶を子どもの頃から毎日飲んでいるが、一度も胃を壊したことがないのが密かな自慢だったりするんだよ」
「……バシーノさん、代々鋼の胃なんですか?」
「まさか! と言いたいが、油ものばかりの商売をしていて内臓が丈夫なのは運がいいと言わざるを得ないかもしれないね」
鍋を片付けて器を洗う。アイベックは私の後ろでピトロが淹れた紅茶を飲みながら芋揚げを食べて、それからトマの実のソースに目を移す。
揚げ物をすっきりと流し込む、薄めの紅茶。
これは、思ったよりもいい組み合わせではなかろうか。
「……ひとつご提案があるんですが」
「なんだい?」
「お昼のピトロさんが居る時間だけ、芋揚げと一緒に紅茶を出してみませんか」
「ドリンクメニューを増やすということか。まあ、試しならいいけども。何故ピトロさんが居る時間だけなんだい?」
「ピトロさんの紅茶が美味しいからです」
「……君、慣れるのは良い兆候かも知れないが、歯に衣着せなくなってきたね……?」
「べぇぇ」
獣人は含みをもった笑いを見せて、空になった皿を洗う。
私は残った紅茶を飲み干して調理場に戻る。
喫茶バシーノはまだまだ発展途上の店だ。真昼の紅茶が思ったより良く売れるようになるのはもう少し先の話ではあるのだが。
そういうわけで。
今日も紅茶を淹れて、一人錆び味を嗜む。
「バシーノの旦那! 果実水に芋揚げ頼みますー!」
「はいよ。果実水に芋揚げ!」
海風吹き抜ける白塗りの町に、今日も日常が流れていくのを幸せに思いながら。
私はオーダーを繰り返した。
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