No.8【ショートショート】ヒノトリ

鉄生 裕

ひのとり。

空を飛んだ。


鳥の羽根を蝋で固めた翼で、少年は空を飛んだのだ。


空を飛べる人間なんてものは、彼を除いて誰一人としていなかったから、

彼は皆から感心され褒められた


そして、偽物の翼のおかげで空が飛べるようになった少年は、

より高い場所まで飛ぶことに執着した。


でもそれは、少年が慢心していたわけでも、ましてや傲慢だったわけでもない。


彼はただ、大好きな人たちにもっと褒めてもらいたいだけだった。

彼はただ、大切な人たちにもっと喜んでもらいたいだけだった。


彼は、空を飛ぶにはあまりにも幼過ぎたのだ。


そして少年が限りなく太陽に近づいたその時には、

『蝋が熱で溶けてしまうので、太陽には近づきすぎてはいけない』

という大人たちの忠告なんてすっかり忘れていた。


太陽の熱で蝋が溶け、海面に叩きつけられて死んだ少年の遺体を見た大人たちは、

“あれほど忠告したのに、大人の忠告を無視するからこうなるんだ”

“子供の自分だけが空を飛べると、どうせ大人を馬鹿にしていたのだろう。自業自得だな”

と、少年をこれでもかと蔑み嘲た。


だが、大人たちは心のどこかで思っていたのだ。

自分たちがもっと本気で少年を止めていれば、彼が死ぬことは無かったのではないかと。


大人は、“空を飛ぶ”という自分たちが成し得なかった願いを成功させた少年に夢を見て、

幼かった頃の自分を少年と重ねていた。

そしてその幼過ぎる背中に、自分たちの夢を押し付けていたのだ。


大人たちは心のどこかで思っていたのだ。

彼を殺したのは自分たちではないかと。


大人たちは心の片隅にある少年への罪悪感を押し殺すために

空から落ちてきた少年の遺体にこれでもかというほどの罵詈雑言を浴びせ続け、

大人としての責任や役割すらも、その少年に背負わせようとしたのだ。


そして大人たちは少年を忘れることで、心の片隅にあった罪悪感という良心すら捨ててしまったのだった。




それから何世紀も経ち、空を飛んだ少年の話が神話と呼ばれるようになったその日

一羽の不死鳥が突然人々の前に姿を現した。


最初こそ、初めて見る不死鳥に恐れ戦いていた人々であったが、

不死鳥がもたらす不思議な力に気付くと、人々は不死鳥を崇め奉った。


不死鳥が空を舞うと、その身体からは光り輝く黄金の粉のようなものが出た。

その粉は、不治とまで言われた病すら一瞬にして治したのだ。


その粉があればどんな病でも治せるとわかった人々は、薬の研究もそっちのけで不死鳥を生け捕りにする方法を何年にも渡って探り続けた。


そして彼を生け捕りにする準備が整い、彼を生け捕りにしようとしたまさにその時、人々は一つの神話を思い出した。


“太陽に近づきすぎた少年は、翼を燃やされ死んだ”


その神話を覚えていた人々は、すんでのところで不死鳥を生け捕りにするのは間違っていると気が付き、彼を捕らえることを辞めた。


人々は、不死鳥を捕らえるという愚かな行為をしなかった自分たちを誇りに思った。


そしていつの間にか、不死鳥は人々の前から姿を消していた。




不死鳥が姿を消してから四年程が過ぎ、人々はある異変に気付いた。


不死鳥が宙を舞った後の土地では、なぜか農作物が育たないのだ。


だが、人々はそんなことは大した問題ではないと考えた。


それよりも今は、不死鳥の粉を浴びることが出来なかった人々のために、

不死鳥の粉を浴びた人々の身体を徹底的に研究する方が重要だと思ったのだ。


幾度とない失敗を重ねることでようやく、

人類は不死鳥の粉を浴びた人々の身体から、万能薬を作ることに成功した。


万能薬を作り出した人類は、ここにきてやっと農作物の事を真剣に考えるようになった。


だが、いくら試しても不死鳥が舞った後の土地では農作物が育たず、

数少ない限りある土地で、人々は一心に農作物を育て続けた。




人々が飢えに苦しみ始めてから数年が経ち、

彼らは不死鳥がもたらしたもう一つの奇跡に気が付いた。


人として生きていける栄養はとっくに失っているはずなのに、

何年経っても死なないのだ。


飢えに苦しみ自害しようとした者もいたが、どうやっても死ぬことが出来ない。


腹を裂いても、裂いたそばから傷が塞がっていく。

縄で首を絞めて窒息しようとしても、数秒後には息を吹き返す。


不死鳥の粉は万能薬であると同時に、不死の薬でもあったのだ。

ちなみに、不死鳥の粉を浴びた人々の身体から作った万能薬を飲んでも

不死にはなれなかった。


不死鳥の粉を直に浴びた人のみが、不死の恩恵を受けたのだ。


そして幸か不幸か、不死は遺伝しなかった。


子供を作ったところで、飢えですぐに死んでしまう。

だが、生きている事こそ地獄のこの世では、死ねるという事は大層幸せな事だと、

不死になった人々はそう思っていた。


だが、これだけでは終わらなかった。

さらに追い打ちをかけるように、新種の疫病が発生したのだ。

しかもその疫病には、万能薬が効かないのだ。


それから何種類もの疫病が発生したが、不死鳥が姿を消してから発生した疫病には万能薬は効果が無かった。


人々は慌てて新たな薬を開発しようと試みたが、そのころには研究に割くお金も、人手も、労力すらなくなっていた。


万能薬が完成して安心していた人々は、まさか万能薬が万能薬じゃなくなる日が来るなんて想像すらしていなかった。


不死鳥は人々の病を治したが、病にかからない身体にしたわけではなかった。

不死鳥は人々を不死にしたが、不老にしたわけではなかった。




『蝋が熱で溶けてしまうので、太陽には近づきすぎてはいけない』


その忠告だけがあまりにも有名になり過ぎて、

大人たちが少年に言ったもう一つの忠告を人々は忘れていた。


『蝋が熱で溶けてしまうので、太陽には近づきすぎてはいけない。それに加え、

蝋が湿気でバラバラにならないように海面に近づきすぎてはならない』


少年にとっての太陽は夢で、海は現実だったのかもしれない。

夢を追い続けた代償として、最期は現実を叩きつられて死んだ。


少年は夢を追い続けるのに必死で、現実を見れていなかった。


不死鳥に夢を抱いた人々は、不死鳥を捕らえるという夢を断念したどころか

農作物の育たない土地や、万能薬の効かない病が人々を脅かす時が来るかもしれないとい現実を見て見ぬふりをしたのだ。


空を夢見た少年と不死鳥に夢を抱いた人々の唯一の共通点は、

一つのことにしか目を向けることが出来なかったことだろう。


どちらが正解というわけでもないし、

だからと言って最初から何もしないという選択肢も、当然正解だと思わない。




一人の人間の視野には当然限度があるし、

一人の人間の手が届く範囲には当然限界がある。


でも、今この世界には

一人の人間が

何十億人もいるじゃないか。

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No.8【ショートショート】ヒノトリ 鉄生 裕 @yu_tetuki

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