第39話 虎の威を借る第三の刺客(ヘザー視点)

 お茶会の当日、ヘザーは張り切っていた。何故なら、カルロへの土産話をすると約束したからだ。


 しかし、ジェシーが狙われていることや、セレナのことは話せない。ましてや、コルネリオのことなどもっての他だった。

 そんな制限がある中、せめて自慢できるような、カルロが見直してくれるような話をしたい、とヘザーは思っていた。


 なるべく楽しい話もして差し上げたいわ。何がいいかしら。カルロ様が関心を持つようなもので、私も何か関われるものだといいんだけど。


 ふと、ヘザーは給仕たちに指示を出す、ミゼルの姿が目に入った。その右手にはジェシーから貰ったブレスレットがしっかりと身に付けている。さらにその近くには、


「まぁ、シモンちゃんったら」


 護衛するかのように、ミゼルを見守るシモンの姿があった。安堵したヘザーは、もう一人同じブレスレットを付けている者の姿を探す。


 ジェシーの側近になったばかりのコリンヌは、挨拶回りをしているかのように、会場内を大きく回っていた。

 時折、一緒にいるレイニスに何か小言を言われているのか、困ったような顔をしたと思ったら、狙いを定めたように令嬢のみが座る丸テーブルに挑んでいた。


「手広く広げるのではなく絞れ、と助言を受けたのね」


 うん、その方が良いと思うわ。広く浅くいくと、本当に挨拶回りと思われてしまうから。狭く深い関係になった方が、踏み込んだ話がし易くなるもの。


「さて、二人にはサポートをする必要がなさそうだから、もう一つの方に取り掛かることにしましょうか」


 そう言って、ヘザーはある人物を探した。ジェシーに頼まれたもう一つのこと。セレナのことを調べるには、ある人物に接触するのが手っ取り早いと考えたからだ。


「きっと、場違いな所に来たと思っているから、令嬢と談笑しないはずだから、きっとあの辺りを探せばいるのかもしれないわ」


 舞踏会だったら壁際。それが屋外で開催されているお茶会なら、建物の近くにいる。そうヘザーは読んだ。案の定、目的の人物はそこで腕を組み、会場内を眺めていた。


「ごきげんよう、エストア卿」


 スカートの裾を掴み、そっと挨拶をした。ランベールの側近の一人であるフロディー・エストア侯爵令息に。



 ***



「バ、バーギン嬢……」


 フロディーはヘザーの姿を見ると、まるでお化けにでも会ったかのように、顔を青ざめた。


「あら、顔色が良くないですね。あちらでお座りになりますか?」


 ヘザーの家の爵位も、フロディーのところと同じ侯爵家だったが、あまり交流はなかった。それは偏に、仕える公爵家が違う、というだけの話なのだが、それはヘザーにだけ適合されていた。


 何故ならエストア侯爵家は、メザーロック公爵家の傘下の家門だからだ。

 サイラスが同じ爵位のフロディーを、ヘザーに近づけさせるようなことはしなかった。ましてや、傘下の家門の令息などは、特に。


 フロディー辺りの令息が、ヘザーに近寄ろうものなら、あとで何をされるか分かったものではない。この会場には、サイラスもいるのだ。身の危険を感じたフロディーは、首を横に振った。


「い、いえ、こちらで結構です」

「そうですか。では、少しお伺いしても構いませんか?」

「えーと、……はい」


 その返答にヘザーは首を傾げた。メザーロック家の傘下である限り、この反応は仕方がない。けれど、何故諦めたような返事をしたのだろうか。


 ヘザーはフロディーの視線が自分に向いていないことに気づき、そのまま追う。すると、凄い形相をしたサイラスがこちらを見ていた。


 反射的に、ヘザーはカーテシーで挨拶をする。その途端、サイラスの表情が笑顔に様変わりした。


 何だか罪悪感が凄いわ。気持ちにお答えできないサイラス様と、気の毒なエストア卿のお二人に。


 それでもヘザーはフロディーを助けることはしなかった。むしろこの状況を利用しなければ、フロディーから情報を引き出せないと思ったからだ。


 普段はシモンたち同様、王子宮にいるのか、王城にいても遭遇することがない。だからといってエストア侯爵家を訪ねて、噂になるのも困る。それ故、この機会を逃すわけにはいかなかった。


「できれば手短にしてもらえますか? 視線が怖いので」

「それはエストア卿次第ですよ。シモンちゃんたちみたいに素直に答えていただければ、いただけるだけ、早く終わりますもの」

「……やはりあの噂は本当だったんですね」


 ヘザーが話を振る前に、早く切り上げたいはずのフロディーが話題を変えた。


「噂、ですか?」

「あちらにいるサイラス様のことです。明らかに気づいて言っていますよね」


 お気持ちに、とフロディーが一歩前に出て、小声で言った。その瞬間、ジェシーの言葉が頭をよぎった。


『利用し過ぎて痛い目に逢うだけよ』


 ヘザーはその相手がサイラスか、恋慕れんぼする令嬢だと思っていた。フロディーという思わぬ伏兵に、後退る。


「私には別に――……」


 好きな方がいるんです、と言おうとした途端、ヘザーの足元に何かが現れた。


「え? 何?」


 驚き、確認しようと体を傾けた。咄嗟の出来事だったからか、足がもつれたことに気がつかなかったらしい。ヘザーはバランスを失い、前に倒れるように傾いた。


「大丈夫ですか?」


 それをフロディーが受け止めるのは当たり前のことだった。目の前にいる淑女レディを助けるのは紳士の嗜み。


 だが、相手が悪かった。フロディーはヘザーの肩を抱き、腰に手まで当ててしまっていたのだ。


「ありがとうございます、エストア卿」


 そんなことなど気にする様子がないヘザーは、フロディーの肩に手を乗せながら、足元を確認する。


「犬?」


 茶色い毛並みをした、まだ子供の犬がヘザーのドレスの裾に、すり寄っていた。


 こんな所にどうして犬が、という思考は、


「何をしている!」


 サイラスの声によって遮られてしまった。


「い、いえ、これは。バーギン嬢が倒れそうだったので、お支えしただけです」

「サイラス様、エストア卿を責めないで下さい。私がこの犬を見ようとしたら、バランスを崩してしまったんです」

「犬だと?」


 はい、と視線を下に向けたが、もう犬の姿はなかった。


「何処にもいないじゃないか」

「確かにいたんです。茶色い子犬が。エストア卿も見ましたよね」

「はい。小さかったので、サイラス様の目には入らなかったのではないでしょうか」


 フロディーの言い方が悪かったのか、サイラスは怪訝な顔を向ける。


「私、ロニ様にご報告に行ってまいります。子犬とはいえ、王城内にいるのは危ないですから」

「それはフロディーに任せればいいだろう」

「いえ、このお茶会の主催はミゼル嬢です。その友人である私が伝えるべきかと」


 ヘザーは右手を胸に当てて主張した。


「……分かった。だが、足元には気をつけるように。さっきみたいになり兼ねない」

「ご忠告ありがとうございます」


 お辞儀をするためにスカートの裾を掴もうとした瞬間、


「バーギン嬢!」


 フロディーに呼ばれ、手を止めた。


「あまりスカートの裾を持たない方がいいかと。その、もしかしたら、足を挫いた可能性がありますので」

「そうですね。そのような足を見せるのは、お目汚しになりますから。重ね重ね、ありがとうございます」


 それでは、とヘザーは会釈だけしてその場を後にした。右手のブレスレットの魔石が光っていることも知らずに。



 ***



 ヘザーの元からいなくなった子犬は、お茶会内を彷徨っていた。幸い、中央付近ではなく、建物沿いに歩いていたため、騒がれることはなかった。


「まぁ、子犬だわ。迷い込んだのかしら」


 犬に慣れた緑色のドレスを着た令嬢が、子犬を抱き上げた。


「この子、首輪をしているわ」

「飼い犬と言うことですか。どうりで、人に慣れていますのね」


 抱き上げた令嬢が、子犬の頭を撫でる。さらに、可愛いと言って、頬擦ほおずりまでする始末。それを見た青いドレスを着た令嬢が羨ましそうに手を伸ばした。


「私にも、抱っこさせてください」

「いいですわよ」


 ご機嫌に子犬を渡す令嬢とは裏腹に、当の本人はお気に召さなかったようだ。子犬は嫌がる素振りをして、令嬢の手からすり抜けた。


 そして、無事に着地をすると、そそくさと何処かへ行ってしまった。名残惜しそうに見詰める緑色のドレスの令嬢が気の毒に思ったのだろう。青いドレスの令嬢が声をかけた。


「残念でしたね。あちらで、お茶でも飲みませんこと?」

「そうですね」


 二人はそうして、丸テーブルの方へと歩いて行った。数十分後、その選択が誤りだったとも気がつかずに。

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