第26話 第三の刺客の思い出(ヘザー視点)

 バタン、と扉が閉まる音に、ヘザーはまるで、母親に置いて行かれた子供、もしくは一匹売れ残ってしまった羊のような気分になった。


 接点を作って欲しいとお願いしたが、まさかその日の内に、しかも時間を置かず、場を用意されてしまったため、心の準備が出来ていなかったのだ。


 カルロはそんなヘザーの様子など気にすることなく、持ってきたワゴンの上で、ティーポットの蓋に手を添え、カップにお茶を注ぎ始める。それを見たヘザーは慌てて、カルロに近づいた。


「カ、カルロ様。そのようなことは、私が致します」

「ヘザー嬢はお客さんとして、ここに来ているんでしょ。そんなことさせられないよ」

「しかし……」


 ヘザーはティーポットへと伸ばした手をそのままにして、カルロを見詰めた。


 カルロ様にお茶を入れてもらうのは、何年振りかしら。


 毎年何度かソマイア邸に来ていても、カルロ様にお会いできるのは、その内の数回程度。さらに、このようにお茶を共にするのは、片手で足りるほどだった。


 だから、お茶を入れてもらうことなんて、ほとんどない。まして、姉の側近のために入れることなど、まれなのだ。


 けれどヘザーには、過去二回だけあった。初めて入れて貰ったのは、ヘザーが今のカルロと同じ年齢の頃。つまり八年前のことである。



 まだジェシーの側近になったばかりの頃、お茶に呼ばれたヘザーは、今日と同じアイビーの間に通された。


 この頃のジェシーは、同じように魔法が使えるヘザーと遊ぶのが好きで、何度も邸宅に来て欲しいと手紙を出していた。

 同世代で使える者がいなかったのと、令嬢同士の交流の練習、という意味合いもあった。社交界での人脈作りも、また令嬢の嗜みの一つだったからだ。


 実は、長いことソマイア公爵家に仕えてきたバーギン侯爵家でさえも、魔力を持つ者は少なく。そんな中、ヘザーは十三歳で魔力に目覚めた。


 それを目の当たりにしたバーギン侯爵の喜びは、ただごとではなかった。ヘザーはジェシーと年が近かったため、側近にできると考えたからだ。


 故に侯爵家に魔術師を呼び、魔法の練習をさせた。一つは暴走させないために。二つ目は、魔法を扱えるようになるために。


 案の定、側近となったが、この日ヘザーは失敗してしまった。それも、一生懸命練習した魔法で。


 ジェシーは、度々お茶の席でも、魔法を見せてくれることがあった。そのため、ヘザーも見て欲しくなり、魔法を使ったのだ。指の先でちょっと火を出す、そんな安全な魔法のはずだった。


 しかし、加減を間違えたらしく、火は指先からではなく、右手全体を覆うように現れた。


「え?」


 ヘザーが驚いた瞬間、さらに火は勢いを増し、洋服の袖に燃え移った。


「いやぁぁぁぁぁぁ!」


 叫んでも、右手を振っても、火は一向に消えることなく、袖の下にある白い腕までをも焼き始めた。さらに手を振ったことで、スカートにも火が付いてしまった。


 このままでは大惨事になってしまう、と思ったジェシーは手をヘザーの方へと向けた。


「ヘザー、少し我慢してね。フラッシュフラッド!」


 そう言うと、ジェシーの手から勢いよく大量の水が放出される。


 まだ十二歳のジェシーも、どれくらいで火が消えるのか分からなかったことと、慌てていたことが重なり、すぐに辺りは水浸しになってしまった。当然、火は無事に消えた。


「ごめんね、ヘザー。今、誰か呼んでくるから」


 返事もできずにいると、ジェシーの姿は瞬く間に消え、ヘザーはただ呆然としているしかなかった。何が起きたのかようやく把握できたのは、部屋の入口から音が聞こえた時だった。


 顔を扉の方へ向けた途端、ヘザーは驚きのあまり、立ち上がった。実際は、立ち上がろうとしたが、上手くいかず、這いずるようにして、大きな水たまりから脱出した。


 そうまでしなければならなかったのは、当時七歳のカルロが、自身の身長より若干低いワゴンを押して、部屋に入ってきたからだ。


 何もしないでいたら、大きな水たまりにワゴンごと入ってしまう。水をたっぷり吸った服が重く立ち上がれなかったが、向かってくるワゴンは止めることはできる。


「カルロ様。ここで十分です」

「でも……」


 まだ距離がある、と言いたげな顔が、ワゴンから覗いた。


「大丈夫です。私がそちらに行くので」

「ダメ! 動いちゃダメ!」


 そう言うと、カルロはワゴンからタオルを取り出して、ヘザーに渡した。一枚だけじゃなく、何枚も。その度に、カルロはワゴンとヘザーの間を往復する。


「ありがとうございます、カルロ様」

「平気? 寒くない?」

「はい」

「そんなわけないでしょう!」


 気がつくと、カルロの後ろに、仁王立ちしたジェシーの姿があった。その後、お風呂に入れられている間に、代わりの服をバーギン侯爵家のメイドが持って来たらしく、それに着替えた。


 カルロが入れてくれたお茶を飲んだのは、全てを終えた後だった。ずぶ濡れになったヘザーが心配だったのだろう。帰るまで、傍を離れようとしなかった。



 あの時、初めて髪を触らせてくれた、カルロ様の赤い髪の毛。ジェシー様と同じ色だから、見る度にカルロ様を思い出していたのよね。


 ヘザーは伸ばしていた手を、カルロの頭にそっと触れた。


「!」


 カップに注いでいたカルロは、驚いてワゴンに足をぶつけてしまう。その上にあったカップは、中のお茶を揺らし、受け皿と音を鳴らし合う。

 ティーポットは蓋がズレたが、カルロが咄嗟に掴んだため、ワゴンに落ちることはなかった。


「すみません。その、大丈夫ですか?」

「大丈夫。危ないから、ヘザー嬢は座ってて」


 照れ臭そうに、カルロは先ほどヘザーに触れられた部分を摩りながら促した。しかし、ヘザーは素直に従わなかった。ただ、申し訳なさ過ぎて、どうしたらいいのか分からなかったのだ。


「あっ、もしかして、服にお茶が跳ねちゃった? 距離的に大丈夫だと思ったんだけど」


 しかし、その理由がお茶だと思ったらしく、カルロはティーポットをワゴンに置き、ヘザーに近づいた。少し屈んで、スカートに手を触れる。


「いえ、跳ねていません」


 ヘザーはカルロの手から逃げるように、さっきまで座っていた椅子へと走って行った。


 あまりにも自然な流れで、スカートに触れてきたことにも驚いたが、屈んだ姿がまるで、跪いているかのように見えたのだ。


 大きく鳴る心臓の音が、どれに反応したのか、ヘザー自身も分からなかった。

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