第37話

登山と暗雲


ミルピス商店を出た薫は利尻島の一周ツーリングを再開する。

この後行く礼文島へのフェリー乗り場、沓形港のフェリーターミナルを軽く確認してから再び海沿いを走り出した。


今日は天気が良くてツーリング日和だ。

などと思っていたのだが、走り始めて20分もしないうちに辺りが白く陰りだした。

霧が出て来たと言うよりは、霧の立ち込める島の南側に薫が突入してしまった様だ。

走るのに支障のない程度ではあるが、薫がオタトマリ沼に到着しても霧は晴れない。

視界は数十メートル程であろうか?観光には全く迎ない。

薫の到着したオタトマリ沼。

北海道銘菓で有名な白い恋人のパッケージがこの近くの丘から見た利尻山だとの事。

「これはダメねぇ。」

沼の対岸も見えないし、丘からは沼すら見えなかった。

薫は諦めてキャンプ場に戻る事にする。昼食には早いが戻ってゆっくり用意しているうちにお昼になるだろう。

霧で全身湿っぽい。

薫はFZのエンジンが冷める前に再び走り出した。


そんなこんなで薫は鴛泊の町まで戻って来た。

一周60km程、寄り道しながらのゆっくりとしたツーリングながらも1時間半も掛からないで一周してしまった。

霧の方はオタトマリ沼を出発して直ぐに晴れ、出発時と同様の快晴となってしまった。

薫は他にこれと言った見所は知らない。鴛泊の近くに幾つか展望台が有るらしい程度だ。

そこらに寄っても良かったのだが、午後の為に取っておく事にする。


今日の昼食は度々お世話になっている旅のお供。袋麺。

帰る途中に町の小さなお店に寄ってみたのだが、賞味期限的な物が『嘘でしょ』ってレベルの感じだったのに驚いて買い置きの物だ。

乾物ならと思い何気に手に取った、水で戻す切り干し大根に記載された賞味期限の日付は3年も前の物だった。

離島とはいえ恐ろしさを感じて何も買わずに退散して来た。

薫は賞味期限などに無頓着なタチなのだが、流石に限度がある。


時刻は10時半。

昼食の用意には早すぎるが、何処かへ出掛けるのには中途半端だ。

テントの前に腰掛け空を見上げてぼうっとする薫の耳に、カチャカチャと金属音と足を踏み鳴らす足音が飛び込んできた。

二人組の登山者だ。

40代前後に見える男女。夫婦だろうか?

今から登るのには遅いのではないだろうか?

ふと疑問に思ったが、その男女の後ろにも何人かの登山者の姿がある。中にはご年配の男女もいた。

(まぁそんな感じの山なのだろう。高尾山的な?)

着の身着のままとは言わないまでも、たいして大きな荷を背負っていない彼らを見て、薫は何気なくそう思った。

「そう言えば太郎君が登山道の登り口の甘露泉って湧き水が凄く美味しいって言ってたなぁ。」

登山には興味の無かった薫だったが、この時間から登り始める登山者達の姿にミルピス商店のお母さんとの会話が重なった。


 「一度登ってみな。普通の山と違った景色が見れるよ。」

 「へぇ〜どんな?」

 「それは登ってみないとねぇ。」


「私も今から登ってみようかしら?お昼は頂上でってのも良いかも。」

途中の甘露泉で水を汲んでそれで袋麺でも食べようか?

薫は深く考えもせずに興味本位の思い付きでそう決めてしまった。

薫には登山の経験も知識も無い。

有るのはキャンプ生活で学んだアウトドア経験と、趣味のサバゲーでのミリタリー知識。

薫はいつも使っている大きなウエストバッグに昼食の用意と必要そうな小物を見繕って放り込んでいく。

いつものジャングルブーツにGパンにTシャツ。一応薄手のウインドブレーカーを腰に巻きウエストバッグを襷掛けに背負う。

10時45分、薫は利尻山登山を開始する。


先達の登山者が向かっていた北麓キャンプ場の奥に進むと登山道入り口を見付けた。

森を分け入る様な登山道を進む事10分程、少し開けた所に甘露泉水の木製看板を発見。

苔の生した岩の間から結構な勢いで流れ出ていた。

水を汲む前に飲んでみる。

甘露泉水と言う名前のイメージによるものか解らないのだが、若干甘味を感じる柔らかい飲み口だ。

美味しい。

薫は500mlのペットボトル2本に、岩の段差を利用して甘露泉水を注ぎ入れた。

溜まった水を入れるのは抵抗がある。エキノコックスとか?

まぁこの島にはキタキツネは居ないと思うから大丈夫だろう。因みにヒグマも。

最後にもう一口甘露泉水で口を潤してから歩き始める。

暫くはこんな感じで森の中を進むのだろうか?

クネクネとした山道をちょっとした段差を越えつつ進む。

上り坂は緩く、登山をしている実感は余り無い。森を散策でもしているイメージである。

身体を動かしたせいか?気温が上がって来たからなのか?少し暖かくなって来た。

木々の影で陽は当たらないのが幸いして、非常に心地よい感じだ。

木々の間を抜け黙々と歩き続け1時間も掛からずに6号目の見晴らしの良い場所に出た。

辺りは背の高い樹木は無くなり、薫の頭が出るほどの高さの背の低い木々ばかりとなっている。

一番に目に入ったのは海の向こうに浮かぶ礼文島。手前には鴛泊の町や港が見える。

森の中にシミの様に見えるのは北麓のキャンプ場かもしれない。

「ヘェ〜!良い景色!」

小一時間程で随分と登って来た様で景色が良い。

多少の疲労感はあるものの、身体の調子は良い様で小休止を取る程でも無い様だ。

喉だけ潤して再び登り始める。

6号目の見晴台から程なく、登山道が様子を変えて来た。

まるで日光のいろは坂を思わせる九十九折りの道、足元は適度に荒れていてかなりの斜度である。

これでもかと執念く続くがれ場を、ようやく終えると薫は長官山に辿り着いた。

ここは利尻山への途中にある頭一つ飛び出た所。黒く大きな岩の記念碑が立っている。

そこからみる景色は格別の絶景だった。

随分と尖って見える利尻山の頂と、そこへ至る鋭利なこれから進む登山道が有るであろう尾根が続く。

兎に角、空の青と山の緑のコントラストと山頂へと続く山の遠近感が、物凄い存在感を薫に見せ付けてくる。

それに比べ、眼下の眺めは展望台の時よりも全てが遠く小さく見えた。

霞掛かった向こうに小さく礼文島が見える。本来ならその向こうに稚内やサハリンが見えるのかもしれない。

そして、随分と尖って見える利尻山山頂と今登って来たがれ場を思い返して、不意に思う。

(ご年配も登れるのだからと甘く見ていたかもしれない。)

体力や体調は全く問題無いものの、兎に角暑くて喉が渇く。

薫は強い陽射しに既に汗だくだった。

汲んできた甘露泉の水も1本目を飲み干す勢いだった。

「山頂でラーメンだなんて馬鹿な考えだったなぁ。」

後悔先に立たず。今更だ。

「まぁここまで来たからには山頂までは行かないとね!」

幸いにも見える尾根の途中に登山者のカラフルなジャケットがチラリと見える。

今現在、薫と変わらない場所を登っている登山者がいるのなら大丈夫だろう。

薫は小さくなりつつある先行者追うようにを再び登り始めた。


長官山から10分程、多少降った先に少し背の高くなった木々に隠れる様に木造の小屋が現れた。

小屋には利尻岳山小屋とある。

遠目には小さく見えた赤い屋根のその小屋は、近寄って見れば10人以上が余裕で入れる結構な大きさだった。

ぼうっと見ながら歩を進める薫の前方の先行登山者がスッと小屋の中に消えた。

「!?」

そして唐突に理解した。

あの時間から登る登山者は山で一泊し翌朝の日の出を見に登るのだ。前日早くに登り始める必要は無い。

そう。

日帰り登山者はあの時間から登らない。

「やってしまったかなぁ?」

一人呟くも時は遅く、この時間に此処に一人居るのは事実。当然寝袋などの装備は無い。

考えが浅かった。と嘆くも後の祭りだ。


時刻は13時30分。

利尻山山頂はまだ先。

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