平らかな日常

桝克人

平らかな日常

「娘の影響で推し活してるの」


 掃除機を滑らせていると、ふと大ごみの清掃当番で近所のママ友が嬉々としてスマホを見せてくれたことを思い出す。そこには若くて顔立ちが整った少年がポーズを決めていた。彼女が言うには人気急上昇のアイドルらしい。


「娘とライブに行ってからすっかり嵌っちゃって。この年でこんなものに嵌るなんて思っても居なかったけど、不思議と元気を貰えるのよね」


 目をキラキラさせて彼女は少女のように語る。以前はその娘さんとの仲がこじれていると聞いていたから、彼女本来の明るさを取り戻せたのだと気持ちが和んだ。


 掃除を終えると三時過ぎ。いそいそと冷蔵庫を開けて昨夜次男が買ってくれたコンビニのお菓子を取り出した。薄紅色のそれは春限定のイチゴプリンだという。いちごの甘酸っぱさとプリンらしい甘さに舌鼓を打ち家事の疲れを癒した。

 あっという間に空になった入れ物をそのままテーブルに置いてスマホを手に取った。


「お、し、か、つ」


 検索バーに彼女が元気になった源である聞きなれない言葉を入力すると、『推し活とは』『流行りの推し活ってなに?』など様々なサイトが表示される。どれを見ればいいのかわからないので、とりあえず一番上に表示されたサイトをタップした。


『アイドルや俳優、アニメのキャラクターなど、自分が好きなものに対して応援し活動することを推し活と言います。具体的には推しに会いに行ったり、推しに関するグッズを買ったりします。また推しを広く勧めることも推し活にあたります。特にお金を投資しなくても推しを思い感じることも推し活になります』


 なるほど…趣味の一環ってわけか。内容の全てが理解できたわけではないのだろうけど、そう理解した。彼女の笑顔を思い出し推し活の良さを間接的に実感する。


(本当に楽しそうだったわね)


 彼女に推し活を薦められたけど、そういった対象がすぐに思いつかなかった。この年になるまで趣味と言う趣味を持ったことがない。


 人生を振り返ってみると子供の時から『良い子』だったと思う。特に悪さもせず、大人を困らせるような子供ではなかった。可もなく不可もないような成績を残し、友達はそこそこいた。今では連絡もしないくらい疎遠になってしまったけれど。

人に話せるような趣味もなかった。読書と、ラジオから聞こえる音楽を楽しんでいる普通の女の子だったと思う。

 私立の大学に通って、中小企業の事務員に就職出来た。私の時代はそれほど就職活動が難しい時期ではなかったから、今の子供たちを見ていると偉いなって感心する。

 それはさておき、一、二年程働いてから両親に薦められた縁談で夫と出会い壽退職をした。有難いことに二人の子供にも恵まれた。

 それからは忙しい毎日を送っていた。家事に子育てに奔走して自分の楽しみを見つけるとか考えたことがなかったのだ。


 サラリーマンの夫は物静かで仕事が生きがいだと言うような人だ。私自身お喋りが得意ではないし、面白いことも言えるようなタイプではない。だから不満なんか指摘されるまで想像もしなかったし、そんなものは一度も感じたことがなかった。ただ傍で寄り添って共同生活をうまくやれていることが何よりも幸せだった。

 二人の子供たちものんびり大学に通っている。起きるのが苦手で夜更かしが大好きな男の子だ。成人したとはいえまだまだ子供っぽい。それでも単位を落とさないように真面目に大学に通い、特に上の子は三回生ですでに就職活動が頭にあるようだ。こういう地道なところは両親によく似たのであろう。下の子もそんなお兄ちゃんをみて、「来年からは俺も頑張らないと駄目だよなぁ」とぼやいている。二人とも突出した特技はないと言うが、優しくて真面目な可愛い息子たちだ。

 まだまだ手のかかることも少なくはないけれど、毎日が楽しくて充実している。


ふと時計をみると四時近くなっていた。カレンダーに書き込んだ家族の予定を確認すると、今日は特に何も書かれていない。つまり家族四人分のごはんが必要だ。

スマホを置いて台所に戻り冷蔵庫を開けた。鶏肉、野菜も充分揃ってる。何かしらおかずが出来そうだ。

 家族のごはんを用意して、家を清潔に保ち、近所づきあいもそこそこに頑張る。何にも代えがたい家族が快適に暮らせる手助けが出来ていると思えば大変なこともあるけれど苦にはならない。


 そうか、これが私最大の『推し活』なのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

平らかな日常 桝克人 @katsuto_masu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説