閑話「卒業を教えて」

 オタク君の学校では、例に漏れず3月に卒業式がある。

 普通は3月1日であるが、今年は土日を挟むために、オタク君の学校では卒業式は3日に行われる事になっている。


 2月28日(金)

 卒業式の予行練習が終わり、放課後となった。

 学校内には、自由登校になっているというのにも関わらず、数多くの3年生の姿が見受けられる。


 卒業する彼らが学生で居られる時間はもう残り僅か。

 せめて悔いが無いようにと、仲間内でだべったり、部活の後輩へ挨拶をしているのだろう。 

 別れを惜しむように、すすり泣く声がどこからか聞こえてきたりもする。


 そんな中、第2文芸部は平常運転であった。

 何故なら、お世話になった先輩が居ないからである。

 部活も、部員はオタク君達だけで、上級生は誰も居ない。

 なので、上級生との思い出は何もないので感傷に浸るような事はない。


「明日のライブ楽しみでござるな!」


「うん。初めての現地チケットで、前方の席って神過ぎない!」


「ゴッドですぞ! 小田倉氏isゴッドですぞ!」


 卒業式などそっちのけで、オタク君達は盛り上がっていた。

 3人一緒の席をオタク君が予約し、抽選の結果良い席を取れたために彼らのテンションは天井知らずである。


「しかし、夢見輝子殿は顔も声も本当に可愛いですな」


 PCの画面には、可愛らしい少女の3Dモデルが映し出されている。

 その可愛らしい少女の名は夢見輝子。今流行りのVtuberである。

 チャンネル登録数は、100万を超えており、特に若い世代を中心に人気を集めている。

 CDを出せばオリコン上位に入り込み、コラボをすればコラボ商品が飛ぶように売れる程である。


 そんなバーチャルアイドルに、オタク君はハマっていた。

 普段は人気があり過ぎると逆に敬遠してしまう、めんどくさい逆張りオタクなチョバムとエンジンまでもハマっていた。

 それほどの魅力が、彼女にはあるのだろう。


 部室ではBGM代わりに、彼女の過去のライブ映像が垂れ流されている。

 明日のライブはどの曲が使われるか、MCが楽しみだ、ゲストは誰が来るのだろうか等と話題がコロコロ変わり、気づけば先ほどと同じ内容の話をしている。


『夢見た世界はいつでも』


「「「フワッフワッ!!」」」


『輝くだけじゃ物足りない』


「「「フッフー!!!」」」


『だから、応援してねーッ!!!』


「「「応援するよーッ!!!」」」


 普通に雑談をしているオタク君達だが、曲のコールが始まると唐突に雑談を辞め同時にコールをし始める。

 別に取り決めたわけではない。ただなんとなく、他の2人もやるだろうとそれぞれが思った結果である。

 コールをした後に「何やってるんだよ」と言いながら笑い合う。悲しみとは無縁の空間である。

 いや、悲しみとは無縁の空間であった。そう、この時までは。


「そう言えば、そろそろ重大発表があると言ってたでござるが、なんでござろうな」


 一旦映像を流すのをやめ、椅子に腰を下ろしパソコンを操作し始めるチョバム。

 なんでござろうな等と言っているチョバムだが、内心はワックワクである。


「さぁなんでござろうな?」


「ソロでドームライブするよりも驚く事なんてないでしょ」


 何が来ても僕たち驚きませんよと言わんばかりのオタク君とエンジン。

 情報が早く知りたいチョバムとは違い、彼らは明日のサイリウムやグッズの確認作業をしている。

 しかしその顔は緩みきっており、やや紅潮させている。

 チェックもザルで、チョバムの様子を横目にチラチラ見てながらの作業である。


「んぎょえー!?」


 唐突に声を上げ、そのまま椅子ごと後ろにバタンと倒れるチョバム。

 古臭いリアクションの、とても危ない倒れ方である。


「チョバム何やってんだよ! 危ないだろ?」 


「全く、リアクションが多すぎですぞ」


 呆れながらも、流石に危ない倒れ方をしたので心配するオタク君とエンジン。

 こんな事でケガをして、明日のライブが行けなくなったら笑い話では済まない。  


「せ、拙者は良いからPCの画面を見るでござるよ」


 心配する2人に対し、良いからPCを見ろと指さし叫ぶチョバム。

 いちいちオーバーだなと思いながら、PCの画面を見たオタク君とエンジン。


「「んぎょえー!?」」


 直後、彼らもチョバムと同じように真後ろに倒れた。

 先ほどまでは周りに配慮し、それなりに声量に気を使っていたオタク君達が、思わず叫んでしまう。


 PCの画面では、「重要なお知らせ」とでかでかと書かれている。

 その内容は、簡潔に言うと引退である。


『私、夢見輝子は明日のライブを持ちまして卒業する事になりました』


 重大発表というので、何かお祝い事かと思っていたのだが、まさかの引退である。

 倒れた姿勢のまま、呻き声でPCの画面を指さしたり、お互い見当たりしている。

 多分お互いに何を言っているのか理解していないのだろう。そもそも自分が何を言っているのか理解しているかすら怪しいレベルである。

 それ程に唐突だったのだ。


 彼らが落ち着きを取り戻すまでに、十数分の時間を要した。

 落ち着きを取り戻したが、立ち上がる気にはなれないようだ。

 3人揃って川の字で倒れたままである。


「うっぐ……ヒック……」


 やっと落ち着いたチョバム。

 落ち着くにつれ、現実を受け入れ始め、そして涙する。

 オタク君やエンジンが近くに居るというのに、気にもせずに嗚咽を混じりながら泣き始める。


「どうして……どうして……」


 彼らが夢見輝子を応援し始めたのは1年程だ。

 年月で言えばそう長いわけではない。


 だが、第2文芸部で3人が知り合い、一番最初に話したのが夢見輝子の話題である。

 多分、彼が泣いた理由は単純に好きだからではなく、そういった思い出も込められてたからだろう。

 

「チョバム、違うだろ」


 チョバムの肩をオタク君が掴む。

  

「笑って『おめでとう』と言って笑顔で送り出すのが、ファンの最後の務めですぞ」


 反対側からエンジンもチョバムの肩を掴む。

 チョバム程ではないが、オタク君もエンジンも目を赤らめ鼻をすすっている。


「そうでござるな……でも拙者、もうちょっとだけ時間がかかるでござる……」


 涙を拭きとるチョバムだが、それでも止め止めなく溢れていく。

 

「そんなの、いくらでも待つですぞ」


「そうそう。友達だろ?」


 しばらく天井を眺めながら、ボーッとする3人。

 本当は色々話したいが、話し始めたら多分泣いてしまうだろう。

 そんな予感がしたのか、誰も口を開かない。


「そろそろ帰ろうか」


 オタク君がそう言ってゆっくり立ち上がる。

 チョバムとエンジンも同じく立ち上がり、服に着いた埃を払う。


 静かに第2文芸部を後にする3人。



 翌日。

 会場近くで待ち合わせたオタク君達。

 流石にドームライブなだけあって、お祭りのように人がごった返している。

 待ち合わせ場所と時間を決め、時間通りに着いたが、それでも合流するにはやや時間がかかったようだ。


 チョバムとエンジンはキャライラストの入ったTシャツに、公式の法被を着込んでいる。

 オタク君も、普段のような一般人に擬態した格好ではなく、ライブTシャツに公式の法被姿である。

 もはやオタクであることを隠そうとすらしていない。

 まぁ、周りも似たような恰好の人達ばかりなので、逆に目立たない格好ではある。


「今日は、絶対に笑顔でいような!」


「勿論ですぞ。チョバム氏以外は大丈夫ですな」


「フンッ、拙者はたとえ泣いたとしても笑うから、大丈夫でござるよ」


 3人同時に、笑顔で頷き合う。

 

「さぁ行こう!」


 会場へ向かう途中、様々な人とすれ違う。

 笑顔で居る者、難しい顔をしている者、泣きそうになっている者それぞれである。


 無事入場し、近くの席の人達に挨拶をするオタク君達。

 話題はやはり、卒業の事ばかりである。


「そろそろ始まりますね」


「あぁ、目いっぱい楽しんでいこう!」


 会場の照明が落ち始める。

 目の前にある大きなモニタから宣伝の映像が一旦途切れ、協賛の文字が表示された。

 協賛企業の名前が表示されると、それを皆で叫び始める。


『皆、今日は夢見輝子のライブに来てくれてありがとおおおおおおおお!!!!」


「うおおおおおおおおお!!!!!」


 モニタに映る夢見輝子が挨拶を始めると、会場に響き渡る程の声援が聞こえてくる。

 注意事項を読み上げる度に、皆が「ハーイ!」と返事をし。

 ちょっとしたミスで、皆が同時に笑う。


 そして曲が始まれば、皆が同じようにコールをする。

 会場がまるで一つの生き物のような、そんな一体感に包まれていく。


 だが、そんな時間もあっという間である。

 最期のアンコールは、彼女のデビュー曲を歌い、残るは彼女のMCだけである。


『お知らせを読んだと思うけど、私は今日を持って引退します』


 そんな彼女の言葉に、ある者は涙を流し、ある者は不満の声を上げる。

 既にチョバムはボロボロに泣き始めているが、オタク君とエンジンも割とギリギリである。


『本当はデビュー曲で終わりにする予定だったんだけど、どうしてももう1曲だけ歌いたいから』


 モニタに映る3Dの少女、夢見輝子。

 ライブの華やかな衣装をしているが、くるりと一回転をするとセーラー服に衣装が切り替わる。


『これ、一度言ってみたかったんだ。それじゃあ言うね。えー、あーあー……在校生、ご起立ください!』


 訓練を受けたわけでもなく、練習をしたわけでもない。

 なのに示し合わせた可能に、会場に居る皆が同時に立ち上がる。


『それでは最後の曲は、誰もが知ってる曲になります。歌える人は、一緒に歌ってください』


 流れるのは、誰もが知っている卒業ソング。

 古今東西、日本なら卒業式で流れるあの曲である。


 曲が始まる前に、オタク君の涙腺は決壊したようだ。

 そして曲が始まると同時に、エンジンの涙腺も決壊していた。


 だが、3人はそれでも歌った。

 いや、彼らだけではなく、会場の誰もが涙しながら歌っている。


 曲が終わり、別れの挨拶も終わった。

 会場の照明も付き始め、ライブはこれで終了である。


 誰よりも泣いているチョバムの肩を、オタク君とエンジンが組む。


「帰ろうか」


 彼らは泣いていたが、それでも最後まで笑っていた。

 


 週明けの卒業式。

 オタク君達は、泣いていた。

 ライブの残滓がまだ残っているのだろう。


 だが泣いているのは、オタク君達だけではない。

 普段の卒業式よりも、明らかに泣いている生徒が多い。

 多分、オタク君達と同じようにライブを見た者達だろう。


 この日の卒業式は、日本全国で普段よりも泣く者が多い卒業式となった。

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