足跡
村を出た周辺、薄い桃色を帯びた
グランザ爺さんの家に行ったとき、爺さんの息子が見回りに出ていると聞いた。
あの人はいつもいくつかの場所を見回っている。だからその場所を虱潰しに当たれば、いずれは出会えるだろうと思ったのだ。
そして、その判断は正解で、三箇所目に人影を見つける。
茂みの中で息を殺す一人の男。こんなところで隠れる人間など、このむらには一人だけだ。
「……誰だ?」
「ギルダです。グランザ爺さん」
決して振り向かず、こちらに気づく爺さん。流石は現職だと感心しながら、彼の側にへ寄る。
細長い筒の杖を背負う、片目に傷を付けた老人。
されど景色に目を奪われた見物人にあらず。自然に気配を溶け込ませながらも、決して逸れることのない集中と観察。
この人こそグランザ。父とハウルアさんを除けば、この貧弱なる村で戦う力を持つ数少ない狩人だ。
「ギルダ。……ああ、バルドんとこの小僧か。剣なぞ持って何のようだ?」
「父の代わりです。訳あって村を離れましたので、その間のお手伝いをと」
依然一度も視線を向けることなく、それでも剣を持っていることを言い当てる爺さん。
流石はこの村の砦。俺が知る限り一度たりとも獣を通さぬ力量は、未だ衰えを知らぬらしい。
「バルドの? なれば必要ない。邪魔だ小僧」
未だ一瞥すらせず、低く重い声を俺に向けてくる爺さん。
だがそう言われたとて、はいそうしますと尻尾を巻く気は毛頭ない。
拒否を態度で示すように、俺は彼の隣に腰を下ろす。
一瞬、強烈に強まる圧。父や子供二人とは違う気迫、心臓を掴まれたかのような本物の敵意。
だが、こちとらそんなちゃちな脅しでびびれるほどまともな子供をやれちゃいない。
殺意と悪意に塗れた汚れ道を進んだ俺には、そんな生温い挨拶では懐かしさすら感じてしまう。
「……臆さずか。感じ取れぬ阿呆ではない、つくづく哀れな
一つ悪態をついた後、爺さんは勝手にしろと言わんばかりに口を閉じる。
俺への興味はなくしたらしい。ま、力尽くで帰されなかっただけでもありがたいか。
魔力を回し、訓練を続けながら周りを観察する。
無限に続く平原。
この景色で動くものと言えば、風に揺れる草木や遠くで動く獣くらい。もしラーナやルアリナが一緒に来ていれば、すぐに飽きて駄々をこね始めていたことだろう。
「……小僧。あれが見えるか?」
あまりの何もなさに、少しばかり肌寒くなってきた頃。
爺さんは唐突に口を開き、遠くの何かを指差しながらこちらへ問うてくる。
言われるままに目を凝せば、そこにあるのは極小の黒い点。
言われなければ見過ごしていた遠距離。魔力を目に回して視力を補足しながら凝視してみれば、そこには確かにぽつりと蠢く黒点が見える。
黒点は幾度か左右に揺れ動き、更に小さくなってやがては視界から消え失せる。
「……付いてこい」
少し大きめの獣だろうと推測していると、爺さんはおもむろに立ち上がる。
微塵も足音を立てず、獲物へ近づく歩き方。やはりただ者ではないと感心しながら、俺もそれに追従する。
村を囲う
「小僧。これを見ろ」
しゃがむ爺さんが指す場所に目を向けると、そこには大きな足跡がいくつも付けられている。
場所的にもさっきの黒点の正体がこれか。俺の掌二つ分ほど……随分でかいな。
「
爺さんが出した名前は、俺に驚愕と納得を与えてくる。
熟練の冒険者を容易に殺してのける強靱さ。
一対一に固執する戦い好きのイかれ具合。
獣族に近い知性を持ちながらも本能を重視することから、
「……ロッペル山脈からは距離がある。何でこんな所に?」
「恐らくだが追いやられたのだろう。こいつらが
髭を触りながら、爺さんは淡々と予想を続けていく。
……それにしてもよく知ってるな。あの村の狩人やってる分には必要ないだろうに。
「狩るんですか?」
「戯け。それが出来れば苦労はないわ」
爺さんは背負っている細長の筒──
ただこの時代のこれは装填数が一発のみで狙いが付けにくく、気配を殺しての狩りや集団戦でのみ用いられるものだ。
実際、俺も一度使ってみたが正直使いにくかった。狙撃以外は剣を使った方が効率的且つ堅実と言わんばかりの大味さに、対人や暗殺を主軸としていた俺には不要と判断した。
大規模な技術革新があったのは、確か始末屋の俺が死んだ一年前くらいか。
誰にでも使えて何発も撃てる、戦闘を覆すやばい代物をどこかの天才が作ったんだっけか。
まあ材料が高価すぎる且つつくりが精巧すぎただので量産は至難だったらしく、俺が死ぬ頃ですら大して普及してはいなかったのだが。
……そんなことはどうでも良い。
今は
「単独であればやりようはある。だが
……そうなのか。それは知らなかった。
「じゃあどうすれば?」
「どうもせぬ。村の結界は少なからず作用しているはず。こちらから刺激でもせねば、バルドが戻るまでの時間は稼げるだろう」
爺さんの出した結論にはおおよそ同意だが、聞き慣れぬ単語に興味を抱く。
「……結界って?」
「知らんのか? 村を中心に展開された四つの術印、それを
結界。……知らなかった。あの母さんが、そんなすごいものをこの村に敷いたのか。
「……知らなかったという顔だな。暢気なものだ。頑固なグリオめが
嘆くかのようにため息を吐く爺さんに、俺は何も言い返せない。
知ろうとしなかったのは俺自身、聞こうとしなかったのは自分の判断。
急いで尋ねずとも、どうせいつかは知れるのだと。
両親に過去を聞くのを後回しにし続け、その結果招いた無知なのだから。
城壁や堀が欠片も存在しない、村人の意識から無防備な村。
けれど獣の被害は皆無。獣に人が殺されたことは愚か、村の中へ進入されたことすらない。
普通ならまずあり得ない。少し考えれば何かタネがなければおかしいと気づけたはずだ。
普通の子供じゃないならその疑問に行き着くはず……いや、行き着かねばならない。
……情けない。相も変わらず自分のことしか見えていないのだな、俺は。
「……小僧。貴様を連れてきたのは忠告だ」
「忠告?」
「そうだ。
爺さんは少しだけ声色を重くして俺に警告してくる。
胸内に宿す下賤な企みなど、お見通しだと言わんばかりの冷たい視線。
まるで思考でも読んだかのように、そいつを獲物としているのをあっさりと看破してくる。
「……何を?」
「惚けるなよ。貴様の戦意が、その濁った目に滲み出ておるわ」
大人げない厳しい断定。それでも爺さんは確信を持って告げてくる。
この人は昔からそうだ。ルアリナやアルトラといるときだって、決して子供扱いすることなくこちらを睨んでくる。
……濁った目か。成程、確かにそうなのかもしれない。
少なくとも、こんな足跡を前に普通の子供が見せる目ではなかったのだろうな。
「貴様が勝手に挑んで死ぬのは勝手だが、それでも一度は忠告してやる。死にたがりの愚か者に掛ける言葉なぞありはしないが、それではあの二人に申し訳がたたんのだ」
俺が死にたがり?
……笑わせんな。
確かに悲劇を越えるために死んでもいいとは思っている。命を使い潰し、その結果大事な人達の未来を守れればそれで儲けものとは思っている。
けれど、それはあくまで妥協点。こんな幸福の日々の中、進んで死にたいと思えるほど俺はまだ人間を止めちゃいない。
「……そう、その目だ。童子らしからぬ汚れた瞳。グリオや村の連中が恐れるのも当然だ」
燗に障った言葉に少し怒気が漏れる。
だが爺さんはそんなものどこ吹く風と軽く鼻で笑うだけ。
……なにやってんだか。
こんな馬鹿みたいな悪態に揺らされるとか阿呆としか言い様がないな。
怒りは霧散し、
挑むなと言われた
今の俺に勝てるかは不明。もし番が側に控えていれば確実に連戦は避けて通れない。……爺さんの言うとおり、生きて帰れるか定かではない。
だがしかし。
もしもこれを乗り越えれば、俺は一皮剥けることが出来るのではないのだろうか。
自身が停滞し、伸び悩んでいるのは事実。一人でやると決めた以上、今の実力で満足など出来るはずもない。
分の悪い賭けかもしれない。
今挑んで死ねばそれこそ無駄死。次の年に起こる村の滅びが繰り返されることになってしまう。
それでも、今以上に強くなりたいなら。
俺には分不相応であろう
「わかりました。手を出しません」
──俺はきっと、この言葉とは真逆の道を、愚か者の選択ををするのだろう。
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