桜と君

詠月

桜と君

 運命だと思った。


 風になびく柔らかそうな髪。

 伏せられた瞳。

 ほのかに微笑む姿。


 包み込むように舞う桜が彼女を引き立てていて……


 ドキッと胸が高鳴った。


 妖精みたい、なんて柄にもないことを思う。今まで運命なんてもの信じていなかったのに。



 彼女に、一瞬で惹かれていた。



 別れと出会いの季節。





 ――僕は君と出会った。






◆◆◆



 (……まただ)


 僕は歩道の端に寄りブレーキをかけ自転車を止めた。


 毎朝通る学校までの道。傍にある小さな公園の桜の木の下にいつも彼女はいる。何をするわけでもなく、ただ木を眺めている。


 声をかけたことはない。けれどいつのまにか、そんな彼女の姿を外から見るのが習慣になっていた。


(桜が好きなのかな)


 最初はそう思っていた。でも最近は少し違うことに気づいて。


(やっぱり今日も。全然楽しそうじゃない……)


 嬉しそうにしていたのは初めて見た時だけ。彼女の表情や瞳にもあの時のような光は見えないのだ。淡々と桜を見上げているだけ。


(何をしているんだろう)


 すごく気になる。聞いてみたい。

 時計を見ればまだホームルームまでには大分時間がある。当然だ。このために今日は少し早めに出てきたのだから。


(今日こそは話しかけるんだ)


 僕はグッと気合いを入れると自転車から下りて公園に足を踏み入れた。遠かった彼女の姿が近くなっていく。


「っ、あ、あのっ……!」


 緊張で早鐘を打つ心臓を押さえ込みながら声をかける。振り返った彼女は僕を見て不思議そうに首をかしげた。


 思わず息を飲む。近くで見る彼女はもっと綺麗だった。


「……え、っと……その……」


 言葉がうまく出てこない。


「さ、桜! 嫌いなの?」

「え?」


 口にしてしまってから焦る。


 こんなの、まるで不審者みたいだ。

 絶対に不自然。どうしよう。


 わたわたしていると彼女は目を丸くして。

 プッと小さく吹き出した。


「あはは、なんかキミおもしろいね」

「へっ?」


 彼女は口許に手を当てフフッと笑う。

 その姿に見惚れていると。


「それで、なんで私が桜が嫌いだなんて思ったの?」

「え、えっと……全然、楽しそうじゃなかったから……」


 何かを堪えるような。そんな表情だったから。


「あれ、バレちゃってたかー」


 あははと彼女は頬をかいた。


「じゃあ、やっぱり……」

「うん、嫌いだよ。桜なんて」

「……それならどうして毎日ここに来てるの?」


 そう口にすると少女はキョトンとした。怪しまれないようにと僕は慌てて、ここ通学路でと補足する。


「あ、そうなんだ」

「うん。それで気になってて……」


 言ってしまってからはたと気づく。

 待って。僕今なんて。


「っ……!」


 バッと顔が燃える。


「いや、その、変な意味とかじゃなくてっ! 普通に!」

「あははっ、やっぱキミおもしろい!」


 そのまましばらく笑い続け、彼女はふうっと息をついた。


「あーおもしろかった」

「……そんなに?」

「うん、こんなに笑ったのいつぶりだろ」


 そう言って彼女は桜の木を見上げた。その横顔はどこか寂しげで。


 口を開きかけて僕は迷った。赤の他人の僕が踏み込んでもいいのだろうか……


「私ね」


 僕の迷いに気づいているのかいないのか。

 彼女は語り始めた。


「昔は桜が好きだったの。春が好きだった。だからね」



 今は大嫌いなの。



「……え?」


 矛盾しているようにも聞こえるその言葉をすぐに理解することはできなかった。


「なんで? 好きだったのに嫌いって」

「思い出しちゃうから」


 彼女はそっと腕を舞う桜へと伸ばす。


「私にとって過去は桜と繋がってて。見るたびに思い出しちゃう。それが嫌なの」


 その指が桜を掴むことはなかった。


「じゃあ来なければいいんじゃ……」

「ううん、それだとダメなの」


 自由自在に舞う桜が彼女の指先を通り抜けさらに踊る。


「逃げてちゃ、ダメなの。そう。逃げてちゃダメ……」


 自分に言い聞かせるように、彼女は呟いていた。僕はかける言葉が思い付かなくて。


 ハッと顔を戻した彼女が困ったように笑った。


「ごめんね、なんか変なこと言っちゃって」

「いや……」

「気にしなくていいよ……というかキミ、時間大丈夫なの?」

「えっ、あっ、もうこんな時間なの!?」


 まずい、早く行かないと遅刻する。

 でもここで帰っていいのかと僕は彼女を窺った。


「早く行きなよ、遅れそうなんでしょ? 私は大丈夫だから」

「あ、う、うん」

「いってらっしゃーい」


 ヒラヒラと彼女は手を振る。僕は公園の外に向かおうとして。


「っ、あ、あのっ!」


 振り返って見れば驚いた顔をした彼女。

 僕はぎゅっとハンドルを掴む手に力を込め一息に言った。



「また来ていいですか!?」



 彼女は大きな瞳をさらに大きくして僕を見つめ返して。



「……うん、いいよ」



 フワッと笑ってくれた。


 途端に心がポカポカと温かくなる。公園を出てからもそれは収まらなくて。


(……また明日も会える)


 嬉しさ以上に胸を占める想いは。


(彼女の抱えているものを軽くしたい。少しでも力になりたい)


 僕にできることは少ないかもしれないけれど。それでも毎日会えたなら、何かできるかもしれないから。変えられるかもしれないから。



 僕は自転車を勢いよく漕ぎ出した。


 流れていく風景の中で桜が舞っていた。

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桜と君 詠月 @Yozuki01

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