だだちゃ豆(仮)
南沼
第1話 上
朝、ゴミを捨てに出た。
玄関を出てエレベータホールへ。そこで、同じフロアの老紳士と出会った。いつ見ても上等そうなスラックスとジャケットに身を包んでいる。何でもアーリーリタイアし、悠々自適の生活を送っているとか。まあ、その程度の世間話をする仲だ。
「おはようございます」
「ああ、どうも」と老人が会釈を返す。
「大分涼しくなってきましたね」
「ですな。生ゴミが臭わなくなって大変結構」
老人も、ゴミを捨てに出た帰りのようだった。
老人と別れ、私はエレベータに乗り込んだ。と言っても、4階から1階へ行くだけだから、ほんの数秒だ。
ゴミステーションは、一階の裏口を出たところ、駐車場の脇にある。
ドアを開け、ゴミ袋を放り込む。
裏口へ戻ろうとしたとき、頭上でカアと声がした。見上げると、ゴミステーションの屋根にカラスが留まっている。
カラスが私を見て、もう一度カアと鳴いた。
だから、人を攫う事にした。
早速、その日から計画を立てた。
非力で無知だが、ある程度身体が成長している方が望ましいだろう。
丁度、ベランダから校門の見えるほどの近所に高校があった。
あの学校の生徒が良い。それも女生徒だ。
どこかで、カラスの鳴き声が聞こえたような気がした。
それから三日間、時間を掛けてじっくり観察し、生徒の目星を付けた。
まずは遠くから双眼鏡で校門を観察する。登下校の際に誰とも一緒でない生徒が良い。
何人か、候補が見つかった。
候補とした生徒の尾行を始めた。
車や徒歩でそれとなく後をつけ、下校ルートを探った。
まずは一人目。
その日は下校した後、駅前で誰かと待ち合わせてカラオケ店に入っていった。相手は校外の男性だった。歳の頃までは分からないが、明らかに成人していた。
そのまま時間を潰しながら待っていると、二人して退店後そのままホテル街に消えていった。
次は二人目。
その娘は、その日もまた次の日も、脇目もふらず帰宅した。家は近所だった。一度帰宅してからは、出てくる様子は無かった。
三人目は、速足で塾に駆け込み、夜遅くまで勉学に勤しんでいた。週に何日も通っているようだった。
ここまでの調査で、一人目に決めた。
きっと夜遊びも毎日の事で、何日か姿を消そうが誰にも気に留められることはないだろう。
更にもう何日か掛けて行動パターンを把握し、物品や部屋の準備を整えてから、いよいよ計画を実行に移した。
まずは改めて、下校後の尾行からだ。
この日は、駅前で誰かと待ち合わせのようだった。
大理石の柱の前でスマホを弄り、声を掛けてきた男と合流した。スーツ姿で、眼鏡を掛けた若い男だった。この前とは違う男だ。
二人は隣だって歩き、そのまま近くのホテルに入っていった。
彼らの後ろを尾けていた私はホテルの前を通り過ぎ、ホテルの入口が監視できるファストフード店に入った。二人が出てくるまで2時間ほど待つ必要があったが、苦にはならなかった。
二人がホテルの前で分かれ、男が十分離れたのを確認してから、私も店を出た。
待ち合わせは夕方でまだ日も残っていたが、その頃にはもうすっかり暮れていた。
人気のない夜道で、少女は毛先を綺麗に切り揃えたボブを揺らしながら無防備に歩いている。
この道を彼女が歩く事は想定済みだった――まあ、そうでないならまた日を改めれば良いだけなのだが。
もうすぐあの場所に差し掛かる、というところで改めて周りに誰もいない事を確認し、私は足早に少女へ駆け寄った。なるべく足音を立てないように柔らかい靴底のものを選んで履いてきたので、彼女はその瞬間まで私の存在には気付いていなかったかもしれない。
手の届く距離まで近づくや、私は取り出した手拭いを後ろから少女の首に廻し、思い切り締め上げた。少女は咄嗟に手足をばたつかせたが、遅かった。手拭いと首の間に遮るものは何もない。ここまで締め上げてしまえば、手拭いに手を掛けて引き剥がそうとしても無駄だ。そこを、死んだならそれでしょうがないという強さで手に巻き付けた布を力いっぱい引き続けた。
夜目にも、顔が紫に鬱血するのがはっきりと分かった。私の方からは見えなかったが、眼球も飛び出していただろう。
暫くすると、ぐったりと手足から力が抜けた。手の力を緩めて地面横たえると、幸いにもまだ息はあるようだった。
負ぶうように担ぎ上げて、もう少し進んだところにあるコインパーキングに停めてある車の後部座席にそっと横たえると、運転席に乗り込みエンジンに火を入れた。一路、マンションに向かう。
駐車場に乗り入れてもまだ少女は気を失ったままだったが、顔の鬱血は少しマシになったように見えた。姫君を抱き上げるようにそっと持ちあげ足で車のドアを閉めてから、恭しい足取りで裏口からエレベータホールに向かった。
私の部屋に連れ込み、防音室に運び込んで、椅子に手足を縛りつける。椅子は頑丈な木製で肘掛けが広く、手首や指の一本一本まで固定することが出来るようになっている。愛用していたアンティーク品の私物をわざわざ改造したものだった。
これで準備は整った。
記念すべきこの日を、1日目とする。
2日目
戦利品たる少女を矯めつ眇めつしているところで、彼女が目を覚ました。
最初は目の焦点の合わぬ風だったが、覗き込む私の顔を見て身体を強張らせた。
明るいところで見ると、黒目がちではっきりした二重瞼の可愛らしい少女だった。顎の線は細く、唇の薄さと相まって儚げな印象をもたらした。
驚きの余り咽たのと、喉へのダメージが残っているのだろう、苦しそうに咳き込むので、ペットボトルからミネラルウォーターを飲ませてやった。
「ここどこ」
けんけん、と咳のまだ止まらぬまま少女が問う。
「僕の家だよ」
「おじさん誰?」
「僕に見覚えはない?」
少しだけ考えて、少女は「ない」と言った。
「だろうね」
少女は少し苛ついたような表情を浮かべた。
「私に何するつもり?」
私は答えない。
少女は、いよいよ苛立ちを露わにした。
「怖がらなくてもいい」
「は? 怖がってないし」
「逆に、何で怖がらないんだ? 知らない男の家に居て、しかも身体の自由が無いのに」
がたがたと少女は身体を揺するが、床にがっちりと固定された椅子はびくともしない。
「帰してよ」
「駄目だ」
「お願いします、エッチなことでも何でもしていいから。生でも中でも」
「駄目だ」
途端に、少女は力の限り叫んだ。甲高い声だった。
私は涼しい顔をして、声の止むのを待った。
「無駄だよ。防音だから」
本当だった。元々は楽器を弾くつもりで改装した部屋だ。分厚い防音材を敷き詰めたせいで部屋が少し狭くなってしまったが、その甲斐はあった。
「気は済んだ?」
少女が何かを答える前に、殴りつけた。
顔の真ん中を、右の拳で思い切り。
鈍い音と手応えと共に、首ががくんと後ろに折れた。
前歯が折れ、鼻血がとめどなく流れ出す。
遂に、少女は泣き出した。
「後で食事を持ってくる」
少女が泣き止むのを待たず、私はそれだけを言って部屋を出た。
勿論、持って行くつもりはない。
ベランダの外で、カラスが鳴いたようだった。
3日目
朝、右手の痛みで目が醒めた。昨日あの後、拳のあたりが切れている事に気が付いたのだった。少女の歯で切ってしまったのだろう。
シャワーを浴びて、トーストとコーヒーで朝食を摂った。トーストにはバターをたっぷりと塗った。
そう言えば、今日はゴミの日だった。月に二度しかない軟質プラスチックの日だから、出しそびれると後で困る。ものぐさで料理らしい料理を殆どせず店屋物やレトルト食品で済ませる事が多い私の生活様式では、ただでさえプラスチックゴミが多いのだ。
私はぱんぱんに詰まったビニール袋を両手に持って、部屋を出た。
ゴミステーションを出る時、またカラスと目が合った。
何日か前に見たのとはまた違う個体なのかもしれない。体の大きさこそ似ていたが、妙に白目がちなカラスだった。
カラスは私を見据えたまま口を開き、明瞭な声で「見たぞ」と言った。
深みのある男声だった。
幻聴に違いないので、私は無視した。
そもそも、口唇もない鳥類の口腔を使って、流暢な人語を喋れる筈がない。
マンションに入ってエレベータに乗ろうとしたときに、老紳士とすれ違った。
老紳士は私を見てにちゃりと粘着質な音をたて歯を見せながら笑い、「おはようございます」と声を掛けてきた。
「ああ、おはようございます」
「今日は、何かいいことでも?」
「いえ、ありませんが。どうかなさいましたか?」
「鼻歌を歌ってらしたようですから」
廊下の方まで聞こえていましたよ、と老紳士は言う。
「気のせいでしょう」と言って、私はその場を離れた。
振り返る事は無かったが、背中にじっとりと視線を感じた。
自分の部屋に戻り防音室に入ると、少女は既に目を覚ましていた。
もしかしたら眠れなかったのかもしれない。無理もない事だった。
鼻血はとうにとまっていたが、鼻の周りは蒼黒く変色し腫れ上がっていた。
私を見て少女は身をよじる。
つんと鼻をつくアンモニアの臭いが、部屋に充満していた。生理現象だ、我慢が出来なくなったのだろう。
「ごめんなさい」
目を伏せて少女が言う。
欠けた前歯から空気が洩れる音が滑稽で、少し笑いそうになってしまった。
「かまわない」と言うと、少女は露骨にホッとした顔になった。
「あの、そこにある道具は、何に使うんですか」
恐る恐る尋ねる少女の視線の先にはひとつの作業机があった。事前の準備のひとつだ。天板の上には様々な道具が置いてある。ペンチ、ピンセット、糸鋸、釘、大きいナイフに小振りなナイフ。紐にガーゼ、その他にも色々。
「君に使う」
半ば予期していたであろう答えに、少女は身を竦めた。
「どうして私なんですか」
「どうしてだと思う?」
少女は消え入りそうな声で「分かりません」と言った。
私は黙ってハサミを取り上げた。
「ごめんなさい。止めて。許してください」
機嫌を損ねたと思ったのだろう、少女は半べそになった。
なぜ泣くのだろう。まだ何もしていないのに。
「だって……家に帰りたい」
「本当に?」
「本当です!」
「家に帰らないで、知らない男とセックスをしているのに?」
少女は少しの間黙って俯いた。改めて心当たりがないか思い返しているのかもしれない。
「ごめんなさい。反省します。だから」
そこで少女は喋るのを止めた。私がハサミを構えたからだ。
身体を固くする少女を無視して私はしゃがみ込んでスカートを捲り上げ、下着を切り裂いた。少し考えてから、スカートも切った。
少女の下半身が露わになった。
「嫌」
少女は足を閉じようとしたが、それも椅子の脚に固定されて出来ない。
「恥ずかしいのか?」
少女は答えない。
「何でもしていいんじゃなかったのか」
「でも」
私はそれ以上は何も言わず、軽く蒸らした布で丁寧に下の世話をした。
少女はうつむいたまま何の抵抗もしなかった。
あらかた汚れを拭き終えてから汚れた布を脇に置き、今度は小振りの斧を取り上げた。
ホームセンターで購入したものだ。確かキャンプ用品のコーナーで売っていた。木の柄に鉄の刃をかしめただけの、無骨な造りだった。
斧刃を顔に近づけ、また裏返しては眺め、まだ汚れの無いそれを愛でるように眺める。
少女の視線もそれを追った。
「これは何だろう」
「……オノですか?」
「そうだね」言うと同時に軽く振りかぶり、固定した右の小指の上に振り下ろした。
大した抵抗もなく、第2関節のあたりから指が飛んだ。刃は、分厚い肘掛けに軽く食い込んで止まった。
「びゃあああああああああああ!」
小さな断面だというのに、思いがけず大量の血が溢れだす。
「痛い?」
「びゃあああああああああああ!」
「痛い?」
何度同じことを聞いてもびゃあびゃあと五月蠅く、いい加減に煩わしくなったところで隣の薬指に斧の刃を沿えて、ようやく黙らせた。
「痛いか、と聞いているんだ」
「い、痛いです」
「嘘をつくな」
とん、と今度は隣の薬指を切り落とした。
「びゃああああああああああああああああああああああ!」
「痛みは後からやってくる。今はまだアドレナリンの作用で痛みは無い筈だ」
少女は答えなかった。派手な絶叫を途切れさせることなく再び小便と、今度は糞も一緒に漏らした。
血と共に糞便が床上のビニールシートを濡らしていく。
私は素早く指を縛り上げ止血を行うと、一度部屋を出てから掃除道具を持って戻った。床と椅子、それから少女の下半身と椅子を綺麗に拭いてやる。臭気はすっかり籠ってしまったが、この部屋は換気が出来ない。まあ、臭いは直に慣れるだろう。
拭き終わる頃には、少女は食いしばった歯の隙間から「ぶーっ、うーっ」と唸るような声を漏らしながら震えていた。
出血とショックによるものだろう。
一応、抗生物質入りの軟膏を肉の盛り上がった傷口にたっぷりと塗ってやったが、その時に少女の身体がビクンと跳ね上がるのが面白くて少し笑ってしまった。
それにしても、出血への対策は少し考えなければならない。
「今日はここまでにしようか」
ゆっくりお休み、と言って私は部屋を出た。
その後はソファでゆっくりとビールを飲みながら、お気に入りの映画を見て過ごした。
何度も繰り返し見ている映画の筈だが、今日はどこかで違うルートに入ったのか、途中から見覚えのないシーンが続いた。
大量のカラスが、何度も画面を埋め尽くした。
ヨん日目
いい加減食料が尽きてきたので、仕方なく外に買いに出ることにした。
まずは近所のスーパーに行くつもりだったが、よくよく考えれば今日びのドラッグストアなら大抵の食料品も手に入ると思い直した。料理などしないのだからレトルト食品やカップ麺で十分だし、その方が日持ちもする。
最寄りのドラッグストアで、医薬品と食品類を大量に買い込んだ。
初めて見る顔の店員は、たっぷりカゴふたつに満載した商品をにこやかに計上していった。
年若く勤勉な青年の腕は忙しく動き回り、時折3本くらいに増えたり肘が逆方向に曲がったりしている。
常人の倍ほどもある広い眉間に比して妙に小さな眼球は、左右別々に動いていた。
「お会ケイ、莠御ク?コ泌鴻蜈ォ逋セ蜀?〒縺斐*縺?∪縺」
その声は下手糞な和声のように濁って聞き取る事が出来なかったので、「一括で」と投げ遣りにクレジットカードを差し出した。
「あリが隕九※縺?k縺」
はち切れそうになったビニール袋を両手に提げて店を出ると、目の前のガードレールにとまっているカラスと目が合った。
「見ているぞ」とカラスが言った。
胴体の正面、胸の当たりに付いた口から、その声は発せられていた。
厚ぼったい唇は斜めに付いていて、その周囲と同じ艶のある濡れ羽色だった。
やはりホームセンターにも行こう、と私は進路を変えた。
「じゃん」と芝居めかした声と共に、私はホームセンターの袋から箱を取り出した。
「これは何でしょう」
少女は目を見開いた。右手は出血こそ止まっているものの傷口の肉はぶくりと膨れ上がり、そこに見える筈の白い骨の断面をあらかた隠してしまっている。
少女は答えない。
「何だと思う」
声のトーンをひとつ落とした私の問いかけに、慌てて取り繕うように言う。
「ドリル! ……ドリル、です」
「そうだね」
家庭用の100ボルト電源で動く電動ドリルだ。私はそれをいそいそと開封し、製品を取り出した。別売りのキリも、付属の工具で取り付ける。
「ごめんなさい、帰してください、お願いします」
「どうして?」
「いやだ、死にたくない」
「死ぬなんて、誰が言ったんだ」
「でもそれ、私に使うんですよね?」
「そうだね」
「いやだ、やめてください、お願いします」
「そんなに悲観する事はない。でも分かるよ、恐いのは」
「え、でも」
まずは水を飲んで、と私はペットボトルの水を優しく飲ませた。咽ないように、一口ずつ。
少女は従順にそれに従う。
焦ることなく最後まで飲ませてから、ついでに買ってきたゴムボールを口に突っ込んだ。
いきなりの事に、少女は抵抗すると言うより激しく狼狽している。
「歯って、神経の塊なんだってね」
言いながら、延長コードに電源を差して親指でスタートボタンを押す。
キリを取り付けたドリルは、甲高いモータの音と共に空回りした。
少女は、きつく拘束されたままだというのに精一杯全身をよじった。
「やえへ! やえへ!」
やめて、と言っているらしい。
「大丈夫、これぐらいじゃ死なない」
顎を左手でぐいと掴んで上を向かせ、親指で唇を捲る。何本かは根元から折れてしまっていたが、まだまだ削り代はある。
まずは、綺麗なエナメル質を曝す前歯に狙いを定めて、回転音を放つドリルを突き入れた。
「あええええええええええええええええええええええ!」
この日の成果は、たったの五本だった。
想像していたよりもずっと歯が硬く難儀したのと、あまりに暴れるせいで歯茎はおろか唇もその周りもボロボロになってしまったこと。それに思ったより出血が多かったのも原因だった。
調べてみると、歯にも血管は通っているらしい。
まあ、そういう事もある。
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