押し掛けカノジョの勘違い

 アラームが鳴っているのが聞こえて、僕は目を覚ます。

 瞼を開け、携帯端末で時刻を確認――定刻通りの起床。


 目を覚ますために、思考の回転率を上げていく。

 記憶やイメージを掘り返し、分析……夢や昨晩の仕事中に想起したモノを思い出す作業。

 誰かに説明するのが難しいが、脳内のログを読み取るようなもの。それをすることで見過ごしたイメージやネタを拾うことができる。


 昨晩は夢を見ていないし、仕事も忙しくなかった。

 何かあれば寝起きすぐにメモを取ったりするのだが、今日はその必要は無かった。



 ――さて、今日も頑張るか。


 ベッドから起き出て、朝食を取ることにする。


 キッチンシンクで顔を洗い、冷蔵庫を開けた。

 数日前に作り置きしていたチリコンカン、ヘタと種を取ったピーマンが入ったタッパーを取り出す。

 棚に置いておいた食パンをオーブントースターに入れて、調理開始。

 同時にチリコンカンも容器ごと電子レンジで温める。


 

 そうして調理時間の合間に、デスクに座って進捗確認。

 机の前に置いたホワイトボード、PCのモニターに張り付けた付箋、殴り書きのメモ、それらに目を通して「タスク」を定めていく。

 僕の仕事は色んなことを考え、まとめ、伝えやすいように形式的にアウトプットすることが求められる。

 同時にあれこれ考えては進めて、最終的にはバラバラに見えるものを他人に見せられるように資料を作成しなければならない。


 ――今日も忙しくなるな。


 先日、僕は親友から新しい仕事を請け負ったばかりだ。

 今はその仕事を優先しているが、他の案件も抱えている。今日中にできるだけ形にしなければ月末に地獄を見ることになるだろう。



 オーブントースターと電子レンジがアラームを鳴らした。

 キッチンの棚から適当に食器を取り出し、ガリガリに焼きあがったトーストと熱々のチリコンカンを取り出す。それをお盆の上に置き、食事用のテーブルへと運んだ。

 

 今日は忙しくなるから、なるべく手早く済まそう。

 たまにはオムレツを焼いたり、パスタを茹でたりしたいが、僕の仕事は初動が大事だ。機運を逃せば泥沼にはまってしまう。

 料理は好きだ。手間を掛けること自体が楽しいし、面倒だとは思わない。

 いくらでも時間を潰せてしまうからこそ、料理をするタイミングには気を付けなければいけなかった。



 そして、朝食に手を付けようとした矢先。甲高い電子音が部屋に鳴り響く。

 それは玄関に付けられているインターホンのものだ。

 手にしたスプーンを置いて、インターホン端末の画面を見ると――見知らぬ女性が映っている。


 ——誰だ、こんな朝早くに……



 否、見覚えがある。

 昨晩、僕の部屋の前に居座っていた女性——僕の「カノジョ」と名乗った女だ。



 ——いくらなんでも、早すぎだろ……!

 また来るかもしれないとは思っていたが、翌朝とは気が早すぎる。

 


『すみませーん、いらっしゃいますかー?』

 端末から流れるのは、彼女の明るい声。


 昨晩と同じショートヘアー、モニターで見える範囲では厚手の服を着ていることしかわからない。

 何か持っている……ようには見えなかった。


 ——居留守でやり過ごすか……


 ありがたいことに、この物件は防音がしっかりしている。

 部屋の中の生活音が漏れていた、なんてことは起こりにくいだろう。



『いらっしゃいますよねー? 開けてくださいよー、可愛いカノジョが来ましたよー』


 ドアをノックし始め、ドアノブをガチャガチャと回す。

 もちろん、施錠されているから開くわけがない。


 ——警察、呼ぼうかな……


 携帯端末を手にするために部屋へ戻ろうとした時、玄関のドアをノックする音がした。


『警察、呼んじゃダメだよ? 可愛いカノジョを通報するなんてひどいことしないよね?』

 インターホン端末から流れた声に、僕は思わず背筋が凍る。

 まさか、室内に盗聴器や隠しカメラでも仕込まれてしまったのだろうか?

 

 ドアノブがガチャガチャと音を立てる。

 どうしても入りたいらしい……



「ねーねー、可愛いカノジョを入れてくださいよー!」


 このまま騒がれるのは良くない。

 警察に通報するにしても、それなりの情報を得てからの方が確実だ。


 それに――



 ――どうして、カノジョなんて名乗ったんだ?


 俗に言う逆ナンパ……なのだろうか。

 だとしても、やはり不自然だ。

 


 ――やはり、確かめるしかないか。


 問題の解決には、根本的な要因を叩く必要がある。

 安直な解決策というのは大概問題の先送りでしかない。



 意を決し、玄関のドアまで歩み寄る。

 まだカノジョとやらが玄関前にいるのがわかった。

 

 最悪の状況が脳裏に浮かぶ。

 隠し持っていた凶器、それを振り上げ、僕に襲いかかるカノジョ――


 いくら気を付けていても、至近距離から襲われてはひとたまりもない。

 僕が取るべき行動は通報し、確実に排除すること……なのだが。


 それではあのカノジョとやらも可哀想だ。

 おまけに僕の好奇心も満たせない。知的労働に支障が出てしまう。



 ドアの施錠を外し、ノブに手を掛ける。

 僅かにドアを開け、前に立っている彼女の顔が見えた。

 そして、彼女は驚いたような顔をしている。


 

「近所迷惑になるのだけはごめんだ」 


 僕は端的に言う。

 そして、彼女と距離を取った。


 それが入室を促しているということに遅れて気付いた彼女は、頭を下げながら部屋に入ってきた。

 凶器を隠し持っているようには見えない。

 厚手のパーカーとジーンズ、秋から冬へと移り変わろうとしている寒い時期の服装にしては寒そうだった。


 彼女は部屋の中をじろじろと見回してから、開き直ったように堂々とした態度になる。自信満々の表情を浮かべながら、言い放った。



「さて、カノジョが一人暮らしの彼氏のために手料理を振る舞いに来ましたよ!」


「その設定、まだ続けるのか……」


 まるで勝手知ったる我が家のように、キッチンの冷蔵庫を開けた。

 中身を一瞥してから、不満そうな顔をこちらに向けてくる。



「こういう時は、料理できないってお約束じゃないの?」


「悪いけど、僕は君の交際相手じゃないからね。1人でなんでもできるよ」


 キッチン近くに置いた食事用のテーブル、そこに置いてある朝食に彼女が気付いた。用意した食器、暖めたばかりの料理――となれば、次の展開が見えてくる。



「実は料理下手なんでしょ?」

 制止しようとするより早く、彼女はスプーンを手にしていた。

 そのままの勢いで、保存容器に入っているチリコンカンに手を出す。



「――――うまっ!」


 熱々のそれをスプーンで口に放り込んでいく。

 時々、トーストや冷やした生ピーマンを囓っては美味しそうに微笑んでいた。


「生のピーマン、意外とイケるわね」


 ボリボリ、ムシャムシャ、咀嚼音が聞こえてくるほどに、彼女は見事な食べっぷりを披露する。

 それは本来、僕の朝食なのだが……この際、どうでもいい。


 用意していた食事を全て平らげてから、彼女はハッとしたように僕の方に振り向く。


「……ま、まぁまぁの味ね」

「完食しておいて、よく言うよ」


 コップに水道水を注ぎ、テーブルの上に置く。

 すかさず、彼女はそれを手にとって流し込んでいた。


 僕が作るチリコンカンはそこそこ辛い。

 長年作ってきただけあって、味と辛みのバランスには自信がある。

 


 空になった皿を下げ、シンクで洗い物を始める。

 一方、彼女は部屋を見回しているようだった。


 物音がして、彼女が席を立ったのがわかった。

 そして、僕の寝室兼仕事部屋のドアを開けようとしている。


 ――ま、まずい!

 僕は手拭きのタオルを掴んだまま、彼女とドアの間に割り込んだ。


 残念ながら、この部屋をそう簡単に入れさせるわけにはいかない。



「ほうほう、一人暮らしの男の部屋はそう簡単に見せられる状態じゃありませんからなぁ」


 ニヤリと不敵に笑う彼女。

 おそらく、大きな勘違いをしているに違いない。



「この先は仕事部屋なんだ。見せられない物もある


「大丈夫、わたしはに理解ある方だから」

 えへん、と胸を張る彼女。

 どうやら、意味が通じていないらしい。


「ちょっと待ってて」

「片付けならわたしも手伝うけど?」


「そういうのじゃない」


 ドアを僅かに開け、部屋に滑り込む。

 デスクの書類入れから目的の契約書とポールペンを取り出し、リビングへ戻る。


 すると、テーブルの方で座って待っていた彼女の前に書類とペンを置く。



「部屋に入りたければ、これにサインするんだ。しないなら帰ってくれ」


 それは客が来る時に必ず書いてもらう『機密保持契約書』だ。

 氏名、住所、連絡先、個人情報を書き込む必要がある書類である。


 ――これなら、どうだ?


 彼女は書類を手に取り、内容を確認する。

 それから、僕の方を見た。


「これさ、秘密を破ったらどうなる?」


「書いてある通りだ、情報漏洩で生じる可能性のある被害分の損害賠償を支払ってもらう。ちゃんと弁護士の先生に作成してもらったものだから、法的に効果があるし、無闇にサインするべきじゃないと僕は思うな」


 普通なら、面倒くさがってサインしないはずだ。

 それに彼女がこれ以上僕に干渉するなら、僕に個人情報を開示しなければならない。



「そっか、じゃあ秘密を守ればいいわけね」


 そう言うなり、彼女はペンを手に取った。

 迷う様子も無く、すらすらと記入していく。


 ――躊躇無しか……

 

 彼女はただの天然、もしくは相当な馬鹿。

 あるいは凶悪なストーカー犯であるという可能性が高まった。



「はい、書けたよ」


 書類には氏名と住所がしっかり書かれていた。

 これで本人を特定するのは難しくないし、警察にいつでも通報できる。


 名前は〈篠宮レイ〉、住所は僕が元々住んでいた地域に近かった。

 だが、彼女の名前も顔も知らない。覚えていないだけかもしれないが……


「いいけど、本当に君は何の用で来たんだ?」


「だから言ったでしょ、わたしは君のカノジョ――交際相手なんだから」

 得意気に笑う彼女――篠宮レイはそう言った。

 だが、それは嘘だ。僕に恋人がいた時なんて一切無い。


 少なくとも、この場をやり過ごしてから情報を集めよう。

 部屋が見たいなら見せてやって、飯が食いたいなら食わせてやる。彼女からの要求を満たして追い払うのが最も効果的な手段なはずだ。



「ちゃんと、契約書の内容は守ってくれよ」


 僕は仕事部屋のドアを開け、彼女を入室させる。

 すると、レイは興奮したように部屋を見回した。



「なにこれ、すごいじゃん!」


 僕の仕事部屋、寝室でもあるこの部屋は資料と機材がいっぱいだ。

 もちろん、応接間――打ち合わせ用の部屋でもある。

 本棚、ホワイトボード、大型テレビモニター、マルチディスプレイを設置したデスク、スキャン機能付きのプリンター、模型棚、仕事部屋として用意したものの全てだ。




「これ、去年末に発表したばかりのアニメ! この設定画見たことない!」

 これも、あれも、とホワイトボードや壁に貼ってある資料に興奮するレイ。

 どうやら、彼女はサブカル方面の趣味を持っているらしい。



「この作品って、『つむじ』ってアニメ会社の作品でしょ!? もしかして企画・脚本の仙堂っていうのは――」


「まぁ、僕のことだけど」

 目を輝かせて、彼女が近寄ってきた。

 その興奮度合いから、間違いなくオタクであることは疑いようも無い。


「去年やってた『マスクド・デュエル』、めっちゃ面白かった! あれも君が?」


「僕が原作書いて、『つむじ』で脚本に書き直した。ノベライズも自分でやってるよ」


「あれ? でも、企画は別の人の――そう、鷹水たかみずって人が企画と監督じゃなかったっけ?」

「――ああ、それね……」


 その鷹水という男は、僕の親友だ。

 地元で唯一の友達で、アニメ制作会社『つむじ』で色んな仕事をしている。

 元はアニメーターだったが、今ではプロデューサーや監督にまで上り詰めた。


 彼女の言った作品は、数年前に鷹水が泣きついてきた時に書いた脚本からできた物だった。



 だが、それを口走ってはいけない。

 それもまた、だからだ。



「脚本の執筆依頼を貰ってね。同郷のクリエイターってことで、たまに仕事をもらってるんだ」

 訂正したいが、これは特定の人員しか知らないトップシークレット。

 今期の覇権を争うアニメ作品を作ってる有名クリエイターが、中学からの親友に土下座して作品を作っているなんて事実が明るみになった日には……恐ろしいことになるだろう。

 


 再び部屋を見回してから、デスクや本棚を漁り始めた。

 止めたいところだが、彼女の好奇心を満たしてやってすぐに追い出したい。


 だが、すぐにその手が止まった。



「資料、めっちゃ整理されてる」


「悪いけど、仕事柄そういう事にはしっかりしている方でね……僕と付き合っているのに知らなかった?」

 僕の言葉に、レイはハッとしたような表情をした。

 そして、顔を真っ赤にして悔しそうな顔に変わる。


「――知ってたもん」


 ――いつまでこの茶番を続けるのだろうか……?



「それにしても、1人暮らしの男の人にしてはしっかりしてるよね」

「かれこれ、10年近くは1人暮らし続けてるからなぁ」


 レイが苦い顔をして、僕を見た。

 おそらく、彼女の中の僕――〈仙道 諒〉という男は堕落的で、自立できていなくて、怠惰な男性だったのだろう。

 だが、それは違う。

 それは、僕ではない。




「もうわかっただろう? 君は僕のことを知らないし、僕も君のことは知らない。これ以上、僕の部屋に押し掛けてくるなら警察に通報するという手段を講じなければならなくなる」


 僕は彼女がサインした契約書をコピーし、書類を彼女に突き出した。

 レイは書類を受け取り、折り畳んでポケットに入れる。



「悪いけど、僕の気が変わる前に帰ってもらってもいいかな?」


 彼女は真剣な表情をして、僕を見つめてくる。

 短い沈黙が続いた後、彼女が口を開いた。



「篠宮レイ、その名前に覚えは無い? わたしの顔も見覚えは無い?」


「無いよ。もし君が同級生だったとしたら、程度の関係だったってことさ」

 事実、僕は地元の同級生の事など覚えていない。

 会う事も、関わる事も無い相手のことを覚えている必要が無いからだ。

 それに、僕はそんなちっぽけなことよりも遙かに必要な情報を頭に叩き込む必要がある仕事をしている。


 だから、の人間関係など不要だ。




「今日は、一旦帰るけど――」


 彼女は僕に背を向け、玄関でスニーカーを履く。

 玄関のドアノブに手を掛け、振り向かずに言葉を続ける。




「――わたし、絶対にみせるから」

 最後に言葉を残し、彼女は――篠宮レイは部屋から出て行った。


 再び部屋が静寂に包まれる。

 僕の知的労働の効率のため、平和的解決のため、ストーカーと思われる女性を部屋に入れたのだが……結果的には、謎は深まるばかりだった。



 どうして、篠宮レイが僕に固執するのか。


 どうして、僕と彼女が交際していることにしたがるのか。


 だが、糸口は掴んだ。

 少なくとも氏名と住所があれば、個人を特定することは難しくない。

 場合によっては警察や探偵に頼るという方法もある。



 しかし、僕の好奇心はそんな手段で満たされないだろう。

 

 もどかしさと空虚さを胸に抱きながら、僕は仕事を始めることにした。

 朝食は……外で食べることにしよう。 

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