天使の腕輪(エンジェルリング)に願いを込めて

かざみまゆみ

第1話 天使の腕輪(エンジェルリング)に願いを込めて

 豊かな穀倉地帯が広がるヘスティア王国の田舎町。


 そこから更に離れた丘陵地帯に大きなバナナの木々に囲まれた一軒家があった。


 冬の晴れ間の柔らかな日差しが降り注ぐ中、庭では放し飼いにされた鶏たちが追いかけっこをしていた。


 エルヴィールは庭の外れにある、石と粘土で作ったドーム型の石窯に火を入れて料理の準備をしていた。




 明日から始まる光神祭の二日間は火を使う事と殺生する事が禁止されている。


 各家庭では前日に当たるこの日に天使の腕輪エンジェルリングと呼ばれるリング状のパンを焼き、明日からの二日間はそれだけを食べて過ごすのが一般的であった。


「セレスタン! 鶏の卵は用意できた?」


 鳥小屋に卵を取りに行かせた息子に声をかける。


 頭に敷き藁のカスと鶏の羽をつけたセレスタンが、籠いっぱいの卵を抱えて鳥小屋から出てきた。


 エルヴィールは息子の髪の毛に絡まったゴミを丁寧に取り除く。


「全くもう、どこまで潜り込んで卵を拾ってきたの?」


 セレスタンは屈託ない笑顔を母親に見せる。


雄鶏おんどりが卵を守ろうとして飛びかかってきたんだよ!」


 ボクは頑張ったんだよ、と胸を張るセレスタンの髪の毛をエルヴィールは撫でた。


(ルーセルと同じ髪質)


 夫ルーセルと出会ったのも同じ光神祭の準備をしている時だった。




「うちの天使の腕輪エンジェルリングはチーズをたっぷり入れて焼くから美味いんだ」


 日に焼けた笑顔に精悍な体つきの青年ルーセルは自慢げに言った。


 王都生まれのエルヴィールにとって天使の腕輪エンジェルリングは作るものではなくて、街のパン屋で買って用意するものであった。


 そう学友に話すと、私の田舎ではまだ自分たちの家で作っているから、今度の光神祭の休みは遊びにおいで、と誘われたのであった。


 光神祭の休みに合わせて学友の家に遊びに行った時、知り合ったのがルーセルであった。


 学友の幼馴染でもあったルーセルは毎年一緒に天使の腕輪エンジェルリングを作っていた。


 この年もエルヴィールたちが到着すると、既に料理の準備を終えて待ち構えていた。


 料理自体がほぼ初めての経験であったエルヴィールは、穀物の粉末やチーズの握りつぶす感触に悪戦苦闘しながらなんとか生地を練り上げた。


 生地を伸ばしリング状に形作ると、バナナの葉っぱに乗せて大きな木ベラで石窯の中に投入し焼き上がりを待った。


 生地とチーズの焼ける香ばしい香りが漂い始めると、ルーセルは焦げる寸前に石窯から取り出し、エルヴィールたちの前に天使の腕輪エンジェルリングを並べる。


 少し膨れ上がったパンの上で焼けたチーズがフツフツと気泡を浮かべる。少し焦げたチーズが食欲をそそり、みんなのお腹を刺激した。


 初めて焼きたての天使の腕輪エンジェルリングを食べたエルヴィールは満面の笑みを浮かべる。


 その後、毎年のようにルーセルのところを訪ねるようになったエルヴィールはいつしか恋に落ち、結婚し待望の息子セレスタンを授かったのだった。




 それから数年後、ヘスティア王国と隣国の間で大きな戦いが起こり、田舎町にまで徴兵の命令が下った。


 ルーセルも村の青年たちと一緒に戦地へと赴き、もう二年も帰って来ていなかった。


 セレスタンはもう六歳となっていた。


 王都にある実家からセレスタンを連れて帰ってくるように言われたが、エルヴィールはセレスタンの生まれたこの家でずっと夫を待つ事に決めていた。


 ここを離れてしまうとルーセルが二度と帰って来ないように思えたのだ。夫が帰るまでこの家で待ち続ける、エルヴィールはそう心の中で誓った。


 エルヴィールは穀物を精製した粉に、セレスタンが集めてきた大量の卵を割って入れる。そこに山羊の乳から作ったチーズを大量に入れると、石窯のそばで温めて溶かした動物性油脂を振り掛けて水を加えながら両手でしっかり捏ね始める。


 初めて天使の腕輪エンジェルリングを作った時より格段に料理の腕は上がっており、エルヴィールは手慣れた手付きで生地を練り上げた。


 生地を少し分けてバナナの完熟した甘い実を潰して一緒に練り上げる。こっちはセレスタン用の天使の腕輪エンジェルリングになる。


 石窯の火を見て楽しんでいたセレスタンを呼び寄せると、二人で一緒に生地を小さな団子にしていく。


 すべての生地を小さな団子にすると、一つずつ細長く成型してリング状に整えていく。


 隣で生地を捏ねていたセレスタンが母親の顔を見上げる。


「ねぇ、お母さん。腕輪以外の形も作っていい?」

「いいけど、ちゃんと食べられる形にしてね。あまり変な形にすると光神様に怒られちゃうからね」


 エルヴィールは笑顔で息子に答える。





 成形が終わると切り出した大きなバナナの葉っぱの上に生地を並べ、大きな木ベラを使い丁寧に石窯の中へ投入していく。


 パチパチと薪が弾ける音共にパンの焼ける匂いが漂ってくる。エルヴィールが石窯の中を覗くとパンから飛び出たチーズが焼けてグツグツと泡立って見える。焼き具合の良さそうな物から順番に取り出しては新しい生地を投入していく。


 エルヴィールが天使の腕輪エンジェルリングを焼き上げている間、セレスタンは一生懸命にバナナの入った生地でなにかの形を作っている。


 最後の天使の腕輪エンジェルリングが焼き上がった後、エルヴィールは息子に声をかける。


「セレスタン、後はあなたの生地だけよ。こっちに持っていらっしゃい」

「焼けるまでママに秘密にしたいから、ボクが石窯に入れてもいい?」


 セレスタンはバナナの葉っぱで生地を上下に挟んで見せないようにしている。


「わかったわ。でも一人だと危ないから、バナナの葉っぱを被せたまま一緒に入れましょうね」


 そう言うとエルヴィールは木ベラにバナナの葉っぱで包まれた生地を載せて、二人で一緒に石窯の中へ挿入した。


「後は焼けるまで待つだけよ」


 セレスタンは石窯の中を覗き込んで焼き上がる様子をずっと眺めている。その間にエルヴィールは焼き上がった天使の腕輪エンジェルリングを一つ頬張る。


 サクッとした歯応えとモッチリとした生地。チーズの塩気と香ばしさが口の中一杯に広がる。


「美味しい」


 今年も満足する出来栄えになった。でも食べ過ぎてしまう訳には行かない。明日から二日間はこの天使の腕輪エンジェルリングだけで過ごさなければいけないのだ。


 エルヴィールは一つだけ食べ終わると息子の待つ石窯へ向かった。石窯の中から焼けたバナナの甘い匂いが溢れ出る。


「そろそろ焼けたかな?」


 木ベラを器用に使い焼けた生地をすくい出すとテーブルの上に滑り落とす。セレスタンが焼き上がった天使の腕輪エンジェルリングを見て歓声を上げている。


 エルヴィールも一緒に並ぶと焼けた生地は人の形をしていた。


 大きいのが二つと小さいのが二つ……


「セレスタン、これは何を作ったの?」


 エルヴィールが息子の顔を見ると、彼は笑顔を浮かべて答えた。


「パパとママとボクだよ! 光神様に戦争が終わって早くパパが帰って来ますように、ってお願いしたの」


 エルヴィールは息子をギュッと抱きしめると、長い間その手を離さなかった。

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