二次元の推しにハマッた女子高生の末路【KAC20222】

予感

私の末路

〈1〉


 目覚ましのアラーム音が鳴る。寝ぼけた意識の中に、彼の声が響いてくる。

『美沙、まだ寝てるのか。もう七時だぞ』

 少し投げやりでかったるそう、それでいて内に優しさを秘めているような、そんな声だ。

『早く起きろ、馬鹿美沙。まったく、しょうがない奴だな』

「うーん、もうちょっとだけ」

 二度目の寝返りを打ったところで、ハッと目を覚ます。

「なんてやってる場合じゃない! 今のはナシ!」

 私はガバッとベッドから飛び起き、「おはよう、来琉くーる」と声をかけて、スマホのお目覚め来琉アラームを止めた。


 今日は『ご当地カレ市』の総選挙、つまり来琉が全国一位になれるか否かという運命の日だ。私は朝食もとらず、来琉のイラスト付き白トレーナーと、来琉の髪色と同じミントブルーのミニスカートというセットアップに着替え、会場へと急いだ。


『全国ご当地カレ』というキャンペーンが始まったのは、ちょうど一年前だ。地域活性化のため、全国から五十の市が名乗り出て、ご当地二次元を作った。各市の特徴を生かしたキャラクターは、生い立ちや性格、趣味嗜好や生活サイクルまで、まるで本当の人格があるかのように細かく作り込まれていた。それはたちまち人気になり、グッズの通販が始まり、声優が当てられ、スマホのガジェットが作られ、コンビニでコラボドリンクが販売された。


 その頃高校生になったばかりの私は、自分はアイドルにハマらないタイプだと、高みの見物を決めていた。しかしコンビニのドリンク売り場で、ペットボトルのラベルの中にいた北見来琉と出会った瞬間、脳天に稲妻が走ったのだ。


 スラリとした七等身、清潔感のあるミントブルーのマッシュヘアー、冷めた切れ長の瞳、スッキリした鼻筋に笑わない唇。北海道東部に位置する北見市の特産品であるハッカ、その清涼感を全て詰め込んだキャラクターが来琉だった。その日から、私の生活の全てが来琉色に染まってしまった。


 スマホの待ち受けを来琉にし、フリー素材やガジェットの全てをダウンロードした。次に「勉強のモチベーションにしたい」などと親に頼み込み、ペンケース、下敷き、ポーチ、シャープペンシルなどを買ってもらった。それで勉強に励んだかというと、結果は真逆である。頭の中が来琉でいっぱいだったため、勉強にリソースを割けなくなった。当然成績は、下降の一途を辿る。


 にもかかわらず、さらに値の張る来琉トレーナーや来琉リュック、来琉シーツに来琉枕などをねだるようになると、さすがに親からも「自分のお小遣いで買いなさい」と断られたので、バイトを始め、自分で稼いだお金で推しのグッズに埋もれる幸せを味わった。



〈2〉


 アリーナに到着すると、私と同じくご当地カレ市グッズを身に纏った人々が、会場を埋め尽くしていた。年齢性別は違えど、身につけているグッズを見れば、推しが誰なのかは一目瞭然である。私は見ず知らずの誰かと大好きなもので繋がるという、不思議な一体感を初めて味わった。


「それでは、全国五十の参加都市から、最終決戦に残った、八人のカレ市達をご紹介します!」

 ステージ上に司会の男性が登場して、イベントの始まりを告げた。

 正面の巨大なスクリーンに『第一回全国ご当地カレ市総選挙☆最終決戦』という文字が現れる。


 二ヶ月前から始まった人気投票は、直接投票だけでなく、グッズの売り上げやダウンロード数、レビューの多さなど様々なアルゴリズムによって算出された。私の推しである北見来琉は、一次予選を勝ち抜き、さらに二次予選まで勝ち抜いて、最終決戦に残ったのだ。


 ああ、いよいよ来琉に会えるんだ。朝から晩まで生活を共にしている推しに、こんな大きな会場で会えるなんて。私の心臓は早鐘を打ちっぱなしである。


「まずはキョウト男子、京都みやびくん!」

 スクリーン上に3DCG化された着物男子が登場し、小首をかしげて「よろしゅうたのんます」とはんなり挨拶をした。会場からキャーッと歓声が上がり、雅のイメージカラーである、橙色のペンライトが揺れた。


「次にイズモ男子、出雲八城やしろくん」

 短髪黒髪の袴男子が登場する。黄色い歓声の中に「ヤシロー!」という男性の野太い声が混じり、会場に笑いが起こった。


「そしてヨコハマ男子、横浜真凜まりんくん!」

 一番人気と噂される真凜が現れると、会場には割れんばかりの歓声が起こった。都会的な風貌の真凜は、「よっ。応援よろしく!」と目の横で二本指を立て、ウインクをした。マリン・ブルーのペンライトが、さざ波のように揺れる。

 

 会場は興奮のるつぼと化した。私の心拍数も異常事態宣言である。もうすぐ来琉が登場する。


「次はキタミ男子、北見来琉くん!」

 司会の男性が叫ぶと、私のボルテージが最高値を叩き出した。来たー! 来琉だ!

 私はミントグリーンのペンライトを精一杯振りながら、声の限りに叫んだ。

「来琉ー!!!」


 来琉は清潔そうな白いシャツに白いパンツというコーデだった。美しいミントグリーンの髪が、いっそう際だっている。来琉はポケットに手を突っ込み、斜に構えたようなポーズで、ちょっぴり投げやりな口調で「よろしくな」と言った。


 私は全身全霊で歓声を送り、拍手をした。このイベントは、ネットで全国に生中継されている。私はこの日のために、クラスメイトや部活の友人、先輩、先生、親、兄妹、親戚、果ては公園で遊ぶ近所の子供達に至るまで、幅広く来琉の魅力を伝え続けた。ネット投票してもらえるように、お願いをしてまわった。いっそのこと自腹で買いこんだや男梅グミを配り買収しようかと思ったけれど、すんでの所で思いとどまった。


 私は拍手を続ける。来琉が全国一位になれば、聖地である北海道北見市の知名度も上がり、観光客で賑わうことだろう。私はまだ行ったことのないその街に思いを馳せる。そこはきっと、爽やかなハッカの風が吹く素敵な街だ。素朴なのに優しさを感じる、来琉みたいな街なんだろう。全国のみんなにも、来琉の良さが伝わって欲しい。大丈夫、いける。来琉は絶対に、優勝する。



〈3〉


 戦いは終わった。ある者は満面の笑みを湛え、ある者はタオルハンカチを目に押し当てながら、一人二人と会場を後にする。私ものろのろと座席から立ち上がり、歩き出した。叫びすぎた喉がひりひりと痛む。

 来琉は優勝できなかった。横浜真凜くんの圧勝だった。でも全国三位だなんて大健闘だ。


 エントランスの近くにテレビクルーの一行が見えた。退場するファン達にカメラを向け、一人ずつインタビューを行っている。


「あなたにとって、推しとは何ですか?」

 ピンクのハンカチで涙を押さえた少女は、「世界中で一番大切なものです!」と答えた。

「あなたは?」

「癒しです」とOL風のお姉さんが答える。

「生きるモチベーション」と地雷系メイクの少女が答え、「彼氏っしょ」と派手なギャルがピースサインを出した。


 もうすぐ私も、あの場を通り抜ける事になる。どうせなら皆がハッとするような名言を残したい。いい言葉を探したが、なかなか浮かんでこない。悔しい、語彙力が足りない。来琉は賢い女の子が好きなのに。


 来琉の好みのタイプは、頭が良くて、自分の意見を持っている、凜とした女子だ。私はいつかそんな女性になって、聖地巡礼の旅をする。そのままそこに移住して、来琉と一緒に北見市の発展に尽力したい。

 私みたいなファンはガチ恋勢と揶揄されるけれど、この会場にいる子のほとんどがそうだ。ガチ恋勢で何が悪い。二次元キャラに恋をして、誰かに迷惑を掛けただろうか。


 そこまで考えていた時、ふと私の前を歩く二人連れの女子の会話が耳に入った。小柄な女子の方が、「悔しい。絶対雅が一位なのに……雅を一位にしてあげられなかった……」と泣いている。隣を歩く長身の女子が、「まあ残念だったけど、雅もよく頑張ったじゃん」と慰めている。

「でもでも……負けちゃったもん……雅が可哀相だよ……」

 いつまでもグズグズと泣きじゃくる女子に、だんだんイラついてきた様子の長身女子は、ついにその会場では言ってはいけない最大のタブーを言い放った。


「ああ、雅雅って鬱陶しいなあ。こんなの町興しのために作られた、単なる二次元キャラじゃん! このキャンペーンが終わったら、企画そのものが消えて無くなるただの絵だよ。ガチ恋したって、付き合えるわけでも、結婚できるわけでもないのに、泣くほど悔しがってバッカみたい!」


 ガチ恋したって、付き合えるわけでも、結婚できるわけでもないのにバッカみたい――。



〈4〉


「その言葉にショックを受けた北見議員は、一念発起して政治家を目指したんですね?」

「そうなんです。周りにはそんな動機でって、散々笑われましたけどね」

「でも見事、国会で二次元婚を認める法案を通しましたよね」

「はい、多様性の時代ですから。たとえ相手が二次元アイドルであっても、結婚を認められるべきだと思ったんです」

「そしてご自身自ら、二次元婚の第一号となって、ご当地カレ市の北見来琉氏とご結婚された。それから北見市へと移住され、今度は市議としてご活躍されている」

「はい、そうです」

「ところで二次元婚の制度に関して、様々な社会問題が取り沙汰されていますが、その点はいかがですか?」

「そうですね、まだできたばかりの制度ですし、今後検討を重ねていくべきだと思います」



「最後に、『あなたにとっての推しとは?』の問いには、何と答えたんですか?」

 私はマイクを向けてくる女性リポーターに答える。

「一生一緒にいたい相手です、って言いました」

「なるほど、有言実行されたんですね。それで、どうですか、結婚生活は」

「はい、毎日幸せですよ」


 私が笑顔で答えると、カメラマンがパシャリとシャッターを切った。

 細く開けた窓から、ハッカ畑をすり抜けた風が、吹きこんで来た。



    ー終ー


 

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