第18話

 目を開けて飛び込んできたのは、見慣れたマンションの自分の部屋……ではなくて立派な天蓋。ああそうだ私今カトレアだったと視線を少し動かした。

「っ……?!」

「目を覚ましたか」

 人の気配はあったけれど、きっと心配していたフリージアが付きっきりで傍にいてくれたのねとそう思っていた。思っていたら、視界に飛び込んできたのはまさかの人物で。

「王子……?!」

「無理に起きるな、身体に響く」

 反射的に起きようとしていたところ、やんわりと肩を押されて動きを止められる。近くに置いてあったクッションを手に取った王子は楽な体勢ができるようにとそれを腰の下に滑り込ませてくれた。王子がこの場にいるのも驚きだし、そんな行動に出たのも驚きで果たして目の前にいる王子が本物かどうかも疑ってしまう。

「体調はどうだ」

「え? えっと、そうですね……お腹、空きましたかね」

 一週間まともな食事はしておらず、救出されたあとに気を失ったしまったようだから流石にお腹が空いた。その証拠にくぅぅとお腹から可哀想な音が響いた。王子、というか男性の前でお腹を鳴らすとは淑女としては如何なものかと思うけれど、仕方がない鳴るものは鳴る。

 王子も王子で別に笑うことなく至って真顔で呼び鈴を鳴らし、メイドを中へ呼んだ。

「食事を」

「かしこまりました。お嬢様、少々お待ち下さいね」

「ええ、ありがとう」

 かなり心配をかけさせてしまったのか、アルストロ家のメイドは常に平常心を心がけているというのにほんの僅かに涙目だった。あとで謝っておかないと、と思いながらそっと隣の様子を伺う。なぜこの場にいるのか疑問だし、私が目を覚ましたらこの場から去っていくというのに未だに王子は腰を落ち着かせたままだ。

 特にお互い何かを話すわけでもなく、なんだか居心地が悪いまま時間が経つのを待っているとようやくメイドが食事を持ってきてくれた。小さなパンに、消化にいいようにと作ってくれたであろうスープ。確かにいきなり色々と食べるとお腹にきそう、と苦笑しながら礼を言って食事を受け取った。

 久々のあたたかい食事だ、美味しくすべて完食するとサッと王子がトレーを受け取りメイドに渡した。さっきから妙に動きが素早い。パタン、と扉は閉じて再び王子と二人きりという気まずい雰囲気に。

「……まずは、報告をしよう」

「あ、はい。お願いします」

「率直に言うが、今回の誘拐の首謀者はリリー・ナスターシャという女子生徒だ」

「……えっ?」

 嫌がらせの首謀者、ならばそうだろうなとは思ったけれど。まさか誘拐のほうでも首謀者だったとは。流石にヒロインと言えど協力者なしてここまでのことはできない。ということは、あのとき姿を見せたシミオン・オーキッドはその一人なのかもしれない。それならば何もないところから水が降ってきたことも納得できる。攻略対象者の一人であったにも関わらず姿が見えなかったということは、すでにリリーのほうに協力をしていたということだろう。

 それと、私が囚われていたあの牢屋付きの屋敷。あそこの所持者はウィンクル家なのだと王子は続けた。どうやらあそこの息子はやらかすところまでやってしまったらしい。

 なるほど、魔法が使えるシミオンにそれなりの財産があるフィリップ。あのヒロインはそれなりに強かだったようだ。

「ウィンクル家ということは、もう、あれですよね」

「ああ、取り潰しだろうな。シミオン・オーキッドのほうは反省の色がありこちらにも協力的なため猶予はあるが」

 事がどれほど大きくなってしまったのか、また自分がどれだけのことをしてしまったのか、それをしっかりと理解しているらしい。どういう策を練っていたのか、また何をしていたのかすべて洗いざらいに話しているところから彼の罪は多少軽くなるとのこと。まぁ、元が大きいだろうから多少とは言ってもまだそれなりのものだとは思うけれど。

「あの女は俺を惑わし君を殺害しようとした罪で、処刑だ」

「……随分と重い刑ですね」

「現に君は死にかけた」

「生きておりますけどね」

「……アルストロ家の意見は、聞き入れるそうだ」

 お父様は恐らく許さないだろうから、きっと私がどうするかで決めるのだろう。実際の被害者は私なのだし。寛大な処置ありがとうございます、と頭を下げればその必要はないと軽く肩を押され顔を上げさせられた。

「報告は、ここまでだ」

「はい、ありがとうございました」

 ではな、とまた短い言葉でこの場を去っていくのかと思いきや、動かない、王子が。そもそも報告するためだからと言って彼がこうも長々と話しているのを初めて聞いたし、こんなに目を合わせたことも初めてでこんな至近距離も初めて。何もかも初めてで正直明日、いやもう今日空から槍が降ってくるのではとまで思っている。

 そんな王子はというと、少し目が合いそうになったらサッと視線を逸らす。そうそうこれが私の知ってる王子、となぜかその反応で落ち着くのだからおかしなものだ。何かまだ言いたいことがあるのだろうかと、辛抱強く待ってみればようやく「その」と小さな声が聞こえた。

「すまなかった」

 一体何の謝罪なのか、と一瞬思ったけれど今回の件だろうか。寧ろ助けてもらったこちらが謝罪をしなければならない。なので、急いで頭を下げようとしたけれど王子の言葉はまだ続いていた。

「今まで君に対する態度は不誠実だった」

「……あっ、そういうこと……? ですか! お気になさらないでください王子、それについてはもう幼き頃から諦めておりますから」

「あ、諦めていたのか……?」

「ええ。王子がそれとてつもなく人を疑り深い性格ということを存じておりましたから。なので王子の信用を得ることができなかった私の力不足なだけでございます」

「いや……君は、悪くないだろ……」

「いいえ、嫌っている相手を信用するなどなかなかに至難の業でございますから」

「き、嫌ってなどはいない!」

 目を丸くしパチパチと瞬きをする。王子の大声などあのパーティー会場以来だ。この人ちゃんと大きな声出せたのね、と変なところで関心しながら若干の現実逃避も入っている。私はずっと嫌われているものとばかりに思っていたから、まさかの言葉にまだしっかりと言葉の意味を理解できていない。

「……反省、しているんだ。エディからあまりにも無関心だと言われてな。確かに関心を持とうとはしなかった。結局俺たちが互いにどう思っていようとも、婚約は決まったものだと思っていたからだ――だが、君は違ったな」

 小さく微笑む王子に何も言葉が出てこない。目の前にいる王子は今まで目にしていた、常に追い詰められている様子ではなくどことなくリラックスしているように見える。

「婚約破棄について、頷かなくて悪かった。パーティー会場でもみっともなく声を荒げたりして……」

「……理由を、聞いてもよろしいですか?」

 私があなたを追いかけていたのはただ理由が知りたかっただけなのだと、そう伝えたら彼は軽く頬を掻き視線を彷徨わせ、そして白状したかのように小さく息を吐きだした。

「……情けない話だ」

「情けない話なんて、誰にもありますから」

「君は俺の元から離れないと信じて疑わなかったんだ」

 幼き頃から決められていた婚約、確かにどちらかに余程のことがない限りそれは破棄されることなくそのまま結婚となっていただろう。普通であれば。これが乙女ゲームの世界でなければ。ただ私と王子に関しては何もしなければ婚約破棄の道になるのだけれど。

 と、それを口にするわけにもいかずやや顔を引き攣らせたまま黙って王子の言葉に耳を傾ける。私のそんな様子に気付かないまま、顔を少し俯けた彼はいつものような毅然としている態度ではなかった。ほんの少しだけ、丸まっている背中がなんだか頼りなく見える。

「君がいてくれたから、他の令嬢たちから声をかけられることはなかった。情けないことに俺は最近までそれに気付いていなかったんだ。そうやって気付かないままこのまま結婚して、君は隣にいるものとばかり思っていた。君の気持ちを蔑ろにしたまま、な」

 だから婚約破棄の話が出て頭が真っ白になったと言った彼に、そんなことがあったのかと私のほうが唖然とした。どうせ彼は喜んでいるものだと思っていたから。

「なんだろうな……君と俺は、同じだと思っていたんだ。親に勝手に決められて、『責任』を背負い込むことを普通とされて。俺たちはそのまま『国のため』という言葉で縛られたままなのだと……俺は、君のように自分の意志で動こうとはしなかった。諦めていた。だから君が一人で勝手にどこかに行こうとしているような気がして……頷けなかったんだ」

 小さく震えている背中にそっと手を添えて小さく擦る。私は前世の記憶持ちで中身はもう二十歳を十分に超えている。でも私の目の前にいる王子は、同じ歳だけれど彼はまだ十五歳だ。高校生になったばかりの男の子がすでに国のために考え動かなければならない。その重圧は一体どれほどだろうか。

 そんな中、自分と同じと思っていた相手が自分と同じではなかった。焦りがあったのかもしれない。どうして同じように苦しんでくれないんだという感情もあったのかもしれない。私はそこを失念していた。

 でもそれは決して、好意を寄せている相手が離れていく、という感情ではない。

「……王子、ごめんなさい。私、あなたのことちゃんとわかってあげていなかった」

 やんわりと抱き寄せて背中を擦る。私の肩口で鼻を啜る音が聞こえた。

「でもね王子、私に離れてほしくないという感情は、私が好きだからという感情ではないんです。きっとそれは寂しいからですよ」

「……寂しい……?」

「婚約破棄、もう少しあとにしましょうか」

 彼の顔がゆるゆると上がり、少しだけ距離を置く。小さく苦笑してみせて力の入っている拳に手を添える。

「王子が心から添い遂げたいと想う人が出てきたら、そのときに婚約破棄をしましょう」

 私の言葉に王子は目を丸め、そしてようやく顔を綻ばせた。私はそれでいいのかと聞かれたけれど、大丈夫ですと笑顔で答える。

 断罪イベントも失敗して、しかも誘拐なんてものもされたけど今のこの王子が憎さあまりに私を処刑するとは思えない。わざわざ助けに来てくれたし何より今までの無愛想ぶりをこうして頭を下げて謝ってくれた。彼の人間嫌いはなんとなくわかっていたためほぼ諦めてはいたんだけれど、もしかしたらそれも今後改善できるかもしれないし。

「長話して悪かったな。ゆっくりと休んでくれ」

 随分と柔らかい声色でそう告げた王子は失礼したと立ち上がり扉のほうに向かって歩き出した。その王子の背中に慌てて声をかける。

「王子、助けてくれてありがとうございます」

「……君を助けることができてよかった」

 軽く手を振れば彼は小さく頷いて部屋から出て行った。身体の力が抜けてベッドに後戻りする。まさかあの次回作のヒロインがそこまでするとは思っていなかったし、彼女はもしかしたらゲーム感覚のままでいたのかもしれない。まぁ、私は彼女ではないからそこまではわからないのだけれど。

 今回フリージアにもきっと心配かけさせたし、謝り倒そうと苦笑をもらす。それよりも先にお父様に怒られるかもしれない。目が覚めてからもやりことは盛りだくさんねと息を吐きだした。

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