第12話
私は暗くて冷たい場所が苦手だった。水の中はとても暗くて、静かで、苦しくて。あのときを思い出してしまうからどうしても未だに暗くて冷たい場所には慣れない。水の中でもないのに息苦しさを覚える。
今この場所も、意識は浮上しているのにまぶたが上がらないせいかもしれない。目の前が真っ暗で、そして冷たい。無意識に呼吸が早くなる。床は感じて水の中ではないということはわかっているのに。このままでは駄目だと呼吸を整えながらも必死でまぶたを押し上げた。
「……どこ、ここは」
まず目に飛び込んできたのは鉄格子。ほのかに灯りがあることにホッと安堵の息を吐いた。私は手と足を縛られている状態で冷たい床に転がっている。視線を動かして窓の確認をしてみたけれどその窓がない、ということはここは地下室か。薄暗さのせいで時間の感覚もわからない。
もう一度鉄格子の奥を目を凝らして見てみると、どうやら見張りが一人ついている。私が目を覚ましたことに気付いていないのかこちらに背を向けたままだ。若干頭がカクカク動いているところを見てみると、恐らくうたた寝をしている。
「少しよろしいかしら」
「ぅへっ?!」
このままだと埒が明かないし、まずは情報収集だと見張りの人に声をかける。私の声に驚いたその人は顔を思い切り上げ、勢いよく振り返ってきた。少しよれている服装から、彼はどこかの騎士というわけではなさそう。
「ご機嫌よう、ここはどこかしら」
「し、縛られてるって言うのに随分冷静なお嬢ちゃんだな」
「あら、騒いだらこの空間だと耳に響いてよ」
「それもそうだ」
腕が前で縛られている状態でよかったと思いつつ、その腕で支えて何とか身体を起こした。よいしょ、と動いている私に見張りは黙って見ている。
「それで、ここはどこかしら。随分と立派な牢屋ね」
「お嬢ちゃんが知る必要はないね。黙ってそこで寝ときな」
「あなたは私の見張りかしら」
「ああ。ここから逃げ出さないためにな」
「この状態で逃げられないけれど」
手足がしっかりと縛ってあり尚且つ縄を切れるようなものがこの牢屋内にはない。鉄格子には鍵もしっかり掛かっている。ということで例え見張りがいなかったとしても自力で逃げれる可能性はとても低い。にも関わらず、軽装だけれど見張りをつけているということは私をここにぶち込んだ人物はそれだけ用心深いか、それとも――何かに恐れているか。
「私はここに入れられているだけかしら」
「用事が済んだら始末するらしいぜ。アンタが何をしたのか俺にゃわかんねぇが、ご愁傷様だ」
「ふむ……」
色々と計画を練っていて、そしてそれが予定通りに進めば私をここで始末する。ということか。流石は悪役令嬢、ヒロインや他の攻略対象者が傍からいなくなった途端死亡ルートへのフラグが乱立する。
その計画とやらは、もしかしたらもう少し時間のかかるものなのかもしれない。そうでなければきっと今頃私そのまま冷たくなっていただろうし。猶予があるのであれば、こちらもそれなりに色々と考えることができる。
ともあれ、体力は少しでも温存するべきだと思った私は折角起こした身体をもう一度横たわらせた。床が冷たくて固いため、とても寝心地が悪い。でも水の中でなければなんだってできると目を閉じた。
次に目を覚ましたとき、面白いほど何も変わってはいなかった。時間がわからないけれど、それなりの時間は経っているはず。お腹が空いたのだから。
「ちょっといいかしら」
「ぅおっ? お、起きてたのかい」
「何か食べ物をくださる? 何でもいいの、パンの一欠でもいいのだけれど」
くぅぅ、と可哀想な私のお腹が鳴いた。よしよしとお腹を撫でる私にあまりの緊張感のない音が鳴ったせいか、見張りが目を丸くしていた。
「……随分と呑気なお嬢ちゃんだな」
「あら、腹が減ってはなんとやら。それとも私がここで餓死してしまったら見張りのあなたにはお咎めはないのかしら」
「……! そ、それは」
あのゲームの悪役令嬢は暗殺もあったけれど、大体見せしめとして処刑されることが多かった。最期の最期で悪役令嬢の数々の罪状を口にし、お前に良心が残っているのであれば命だけはという慈悲に彼女は声高らかに笑う。そしてそのまま、というのがどのルートでも彼女がたどる最期なのだ。
ということで、恐らく私は今こうして牢屋に入れられているものの誰かしら何かを言いに来るに違いない。クライマックスと言わんばかりに私を糾弾するに違いないので、それまでは生かされるはず。
「……パッサパサのパンしかねぇぞ」
「ありがとう」
見張りは半分食べていたであろうパンを取り出し、鉄格子の間から手渡してくれた。礼を言いつつ受け取り迷うことなく口に運ぶ。確かにパサパサしているもののパンはパン、何も食べないよりずっといいと噛み締めながら咀嚼する。しかも彼は私が食べ終わるのを見計らって水まで渡してくれた。
「……あなたは、雇われでしょう? どうしてこの仕事を?」
「金が必要だったんだ、でっけぇ金がな。そしたらアンタを見張るだけで大金が貰えるっつーから……」
そんな簡単な仕事で大きな報酬とは、きっと裏に何かあると勘付いただろうに。それでも雇われたということは、彼は切羽詰まっていたのかもしれない。
「あなたが自分自身で決めたことにとやかく言うつもりはないわ。ただ、引き際はしっかりと見極めたほうがいいわね」
「……変わったお嬢ちゃんだなぁ」
一体どっちが悪女なんだか、という小さな言葉が聞こえたような気がした。
それから彼は大量に、というわけではなかったけれど少量でも私に食事を持ってきてくれるようになった。とは言っても恐らく残り物だろう。でも持ってきてくれるだけでも感謝だし、見つからずに持ってくるのも大変だろうに。いつも受け取るときにお礼の言葉を口にすれば、いつの間にか彼とは他愛のない会話をするほどの仲にまでなっていた。
「前に金がいるって言ってただろ? ……子どもがいるんだ、身体の弱い。だから治療費が必要でな……」
「そうなのね……お子さんは今は一人なの? 誰か傍にいてくれている?」
「……いいや、俺が帰ってくれるのを……待っていてくれてるんだ。ぅっ……」
我が子のことを思い出したのか、彼は小さく涙ぐんだ。子どもの治療費のために出稼ぎの彼、そしてそんな父親を一人寂しく待っている子ども。果たして子どもは父親が実は危険な仕事をしていると知っているだろうか。そのお金で、自分の身体が治療されることを。もし彼がこうして私に食事を運んでいることを知られてしまえば、そして私が死んだあとに彼はどうなってしまうのか。そこにはいい結果は待ってはいない。
「……よし。私が無事にここから脱出できたら、あなたを雇うわ。もちろん治療費だって出すしその他必要なものだって援助する。どうかしら?」
「なっ……! そ、それはありがてぇ話だが……だがよ、そしたらお嬢ちゃんが逃げる手助けを俺がしろってことになる、よな?」
「もちろんよ。これは取り引き。私はここで大人しく殺されるつもりはないし、脱出できたらあなたとそしてあなたの子どもの身の安全は必ず保証する。どうする? このまま危険な仕事を続けて、子どもに寂しい思いをさせたままにする?」
彼は狼狽え、口を開けては閉じてを繰り返して頭を抱えた。彼もわかっている、このまま続けていても保証はどこにもない。何となく感じ取っているはずだ、私をここに閉じ込めた人間が秘密を知っている自分を果たしてそのまま逃がしてくれるのかどうか。
しばらく待ってみれば、彼は無言で立ち上がり私に背を向けた。
「……縄が切れるようなものを、探してくる」
「ありがとう、助かるわ。ただし身の危険を感じたらすぐにやめて。あなたが傷付けば、きっとあなたのお子さんは傷付くだろうから」
「……ありがとよ。俺はハイリッヒ。その辺のしがない中年男だ」
「私はカトレア。頑張りましょう、ハイリッヒ」
ハイリッヒは振り返り力強く頷くと、まずは複数ある牢屋の部屋の中を探し始めた。
彼がこの場を離れるときは食事のときだけ。そのときは私も見張りがいなくなるけれど、手足は相変わらずそのままだから何もできず、体力が消耗しないようにするだけだ。戻ってきた彼はいつも肩を落として謝罪を口にする。ナイフや鋭利なものがそもそも置かれていないらしい。探そうにも行ける場所が限られているため探しに行くこともできないと言いながら、彼はパンを渡してくれた。
「ちなみに私を閉じ込めている人物ってわかる?」
「どこぞのお嬢さんらしいぜ。だが詳しい話は俺は聞かされていねぇ。ただ雇われが他にもいて、中にはゴロツキみたいな奴らもいるんだ。そいつらは出入り口の見張りを任されている」
「ということは、逃げるときはその人たちの相手もしなければならない。ということか……難しいわね」
「悪いけど、俺は本当に普通で……ゴロツキ相手にどうこうできる自信は、ねぇんだわ」
「大丈夫よ、不意を突いて逃げる方法を考えましょ」
魔法でも使えればよかったんだろうけれど、残念ながらこの世界で魔法を使うには才能がいる。だからこそあの学園内でも使える者はほんの一握りだ。できないことはどうしようもない、また普通の人間だからと肩を落とすハイリッヒを責める必要もない。
さて、どうしようかしらとパンを完食する。ほんの少し痩せてしまった腕を眺めつつ、もうそろそろ何かしらの動きがあってもいいのではないかとも思う。一応証拠は置いてきた、あのあと待ち合わせをしていた三人のうち誰かしら気付くはずだ。特にフリージアは私が約束を破るような人間じゃない! って豪語してくれそうだし。
「ハイリッヒ、私がここに閉じ込められて何日経ったの?」
「明日で丁度一週間だ」
そんな一週間だなんて、キリが良すぎる。もう明日何かありますと言っているようなものだ。果たして助けが来るのか、それとも犯人のお出ましなのか。私の勘だと、悪役令嬢ならばきっと後者だろう。
私に何かが起こる前にまずハイリッヒを逃さなければと、密かに計画を立てることにした。
翌日、なんとも妙にいい目覚めの朝――かどうかはわからないけれど恐らく朝――だった。一週間もお風呂に入れていないし、寝る場所とトイレが一緒なのだからもう最悪。どっちでもいいからこの状況を早く動かして、と思いそうになったところを急いで頭を横に振る。こんなところでポックリいくなんて絶対嫌、折角新しい人生を謳歌しようとあれだけ頑張っていたのにそれを水の泡にはしたくはない。
すっかりボサボサになった髪を手櫛で整え、黙って待っているとハイリッヒが朝食を持ってきてくれた。今日はなんとスープも付いている。なんだか慌ただしかったからどさくさに紛れて持ってきたという言葉に、喜んでいいのやら不安に思えばいいのやら複雑な気分だ。
「今日は濡れタオルも持ってきた。流石にもうベタベタして嫌だろ」
「ありがとうハイリッヒ……! とても助かるわ! ちょっと待っててね」
彼の気遣いに感謝して急いで濡れタオルを受け取り、拭ける範囲を拭っていく。手首を縛られているためすべてを拭くことはできなかったけれど、それでもさっきよりも断然マシになった。このタオルはこの隅に置いといて、次に朝食を受け取った。
「一応な、ゴロツキに投げられそうなもんはこっそり揃えてきたんだ。何もないよりマシだと思ってな」
「何から何まで悪いわね。牢屋から出たあととにかくたくさんゴロツキに投げましょ。ストレス発散だわ」
「ははっ、そいつはいいな」
彼だけは確実に逃さなければ、と心に誓いながら朝食を食べ終え今後の作戦を寝る。もし縄を切るものが見当たらなければそのまま私を担ぐと言い出したハイリッヒに、流石にそれはどうかと苦言を呈する。そうなると私だけではなく彼の両手も塞がってしまうのだ、ゴロツキに襲われそうになったときに何もできない。
鋭利なものがなければ陶器か何か、割れそうな物を割ってその破片で縄を切るしかない。ただし何かを割ればその音で相手に何をしているのか伝わってしまうためタイミングが難しい。何か騒動に紛れて、頃合いを見計らって割ってみるかとハイリッヒが言ったその直後だ。
「っ……?!」
「なんだ……? なんか上が騒がしいな」
複数の慌ただしい音に、何やら怒声も聞こえる。ただの内輪揉めか、すぐに終わるかと思っていたそれは中々終わらない。寧ろ騒がしい音はどんどん大きくなって、この地下室まで響くまでになっていた。
「ハイリッヒ、この地下室の上ってどうなってるの?」
「俺たち雇われの部屋が宛てがわれていて、そんで渡り廊下から向こうには立派なお屋敷があったぜ」
「そしたら渡り廊下からわざわざこっちに誰かが来たってこと?」
「いや、わざわざ渡り廊下を歩かなくても部屋に入れる扉なら別に――」
野太い音にそれに反してカシャンと甲高い音、これは間違いなく鎧の音だ。シン……と一瞬静まり返ったかと思えば、この地下室の扉が大きな音を立てて開かれた。ハイリッヒは震えながらも咄嗟に私を背に庇い、突然の来訪者に対峙した。
その人物は鎧を鳴らしながらツカツカと歩み寄ってくる。そして迷うことなく――ハイリッヒに向かって剣を構えた。
「彼は私の恩人なの! 殺さないでっ――王子!!」
無表情で剣を振り下ろそうとしていた、鎧姿の王子に鉄格子越しそう叫べは剣先はハイリッヒの眼と鼻の先でピタリと止まった。
彼がここに現れた理由はわからない。けれどその手は果たして私を助けに来た救いの手か……それとも、死亡エンドに導く悪魔の手か。
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