第10話

 親睦会のパーティーの日は授業がなく午前から午後まで、午後からは生徒たちの自由行動となっている。仲良くなった人と過ごすのもよし、交流を広めるために色んな人に声をかけるのもよし。その日一日だけは貴族や庶民などの隔たりをなくそうという学園側の考えなので、登校してからずっとフリージアと一緒にいても問題はない。

 教室でそれぞれ鞄を置いたあとはすぐにパーティー会場へ行っていいことになっているため、私も鞄を置いて行けばすでにフリージアが両手を振って待っていた。

「カトレア~! 今日は一緒にいようね!」

「そうね! そういえば立食もできるんだっけ? 何か食べる?」

「お肉」

「ふふっ、欲に忠実ね。色々と食べましょ」

 パーティーということもあって用意されている食事も豪華だ。普段からいいものを食べている貴族はなんとも思わないだろうけれど、庶民の人たちにとってはとんでもなくご馳走だ。目をキラキラと輝かせているフリージアに腕を引っ張られ、笑いながら彼女についていく。

 一応学園長の挨拶はある。とは言ってもとても短いものだ。長話よりも交流のほうが楽しいだろうと挨拶を締めくくった学園長に対し拍手が鳴り響き、早速生徒たちは各々動き出した。お喋りを始めたり、美味しそうなご飯に駆け寄ったり。学園長の挨拶の前に軽く見て回っていたフリージアは目星をつけていたらしい、こっちこっちと一直線にお肉のところへ行く。

 口の中に目一杯入れて、美味しそうに食べている姿はとても可愛らしい。子犬みたい、と言うとフリージアは怒るかもしれないから心の中で留めておく。

 いつもは感じる好奇な視線も流石に今日は少ない。そもそも私を好奇の目で見るよりも喋りたい人と喋っているだけなのだろう。そうしてフリージアと楽しんでいたら声をかけられて、振り返ってみればそこにあったのはエディの姿だった。

「今日も一緒にいるんですね。他の生徒と交流してみたらどうですか?」

「あら、私の悪どい噂を信じている人と友達になれるとは思えないけれど」

「……フリージアさん」

「ふぁい?!」

 食べているところで突然話しかけられたものだから、おかしな声がフリージアの喉から出てきた。面白くてついクスクス笑っていると彼女は頬を膨らませた。

「カトレアのこと、よろしくお願いします」

「もちろんよ! 任せて!」

「まるで私の保護者みたいだわ、エディ」

 何をそんなに心配しているのか、苦笑してみせれば彼は視線を外して人混みの中に入っていった。何か嫌な予感でもあるのだろうか、ゲームをプレイしたことがある私とフリージアでもあるまいし。フリージアが一緒にいてくれようとしてくれているのは、少しでも断罪イベントの発生率を下げるためなのかもしれない。

 彼女の優しさを受け入れつつ、けれど私は私の願いを叶えたい。今日、この場で起きてもらわなければ困る。

 今度はデザートを見ているとサイラスから声をかけられた。私に、と言うよりもフリージアに対してだけれど。彼のフリージアに対する好感度は上がっているようで、こうして健気に声をかけている。ただし、フリージアの意中の相手はあなたの執事だけど。

 そうして三人でお喋りしながら、そういえばとふと思い出した。いつもなら王子の傍をついて離れないのに、今日のエディは一人で動いているように見える。こういうときこそ王子に火の粉が降りかからないように傍にいるものなのに。まさか王子と喧嘩でもしたのだろうか。普通の幼馴染のため喧嘩ぐらいはする仲だけれど。

 王子の姿も一度も見ていないな、と周りを見渡した瞬間だった。辺りが一瞬にして騒がしくなる。生徒たちの視線が一点に集中し、それはフリージアとサイラスも同じだった。二人の視線をたどるように私もその先に目を向ける。

 するとそこには、王子の姿。と、そんな王子に腕を絡めている――次回作のヒロインである、リリーの姿。

 どう見ても仲睦まじい姿に生徒が一斉に色めき立つ。今まで二人が一緒にいるところを見たことがある生徒もいたのだろう、やっぱりという声や私の見に覚えのない噂を引き合いに出す人もいた。生徒たちの好奇な目が王子とリリー、そして私の間を行き来する。堂々とパーティー会場に遅れて現れた二人。辺りを見渡していたリリーの視線が私に向かった。

 なるほど、間違いない。今から断罪イベントが始まる。

 本来隣で不安げな顔をしているフリージアがリリーの場所に立っていたはずだけれど、恐らく配役が変わったのだ。色んなバグが発生しながらも大まかなストーリーは変わらなかった、そういうことなのだろう。

「ああレオ様、わたし不安です。だってこの場にカトレア様もいらっしゃるんですもの」

 瞳を濡らし不安そうにしている様子は、その綺麗な見た目もあってより一層儚さを生んでいる。私の名前が出た途端王子たちと私たちの間にいた生徒たちが一斉に身を引いたものだから道が出来た。それはまるで海が割れたように。一体どこの聖書かしらと内心ツッコんでしまう。

「わたし、ずっとあの人に嫌がらせを受けていたんです。私物を捨てられたり、上から水をかけられたり、靴だってボロボロになって捨てられてました。それに……背中を思い切り押されて、階段から落ちそうになったんですっ……」

 悪役令嬢の噂があったせいでこの場にいた生徒は大体彼女の言葉を信じただろう。確かにそういう嫌がらせ、本来のストーリーであればカトレアがフリージアに行っていた。

 でも彼女が言っていた嫌がらせの数々、身に覚えがあるといえばあるのだ。どれもこれも私がやったのではなくやられたほう。そう、なくなった靴はボロボロになって捨てられたのねと一人納得しつつ黙って彼女の言葉に耳を傾ける。

「それを見た人もたくさんいます! わたし、怖かったですけど……それよりも、レオ様がそんな人と婚約しているのがすごく、可哀想で……」

「なんて奴だ」

「やっぱり傲慢な女だったんだな」

「嫌ですわね、お知り合いになっていなくてよかったですわ」

 そんな声が隠しもせずに堂々と聞こえてくる。ヒソヒソと、クスクスと。誰もがここで私が辱めを受けることを楽しんでいるのだ。下衆すぎない? まぁでも仕方がない、断罪イベントとはそういうものなのだから。

 王子に寄り添ったリリーは涙を流しながら彼を見上げている。今王子視点だと彼女はとても儚く可愛らしい女性だろう。如何にも、ゲームの王子が好みそうな女性。

「レオ様、婚約破棄をしたほうがきっとレオ様のためです」

 フリージアが言うべき台詞を、リリーがはっきりと口にした。でも今更どっちが言おうと関係ない、ヒロインがこの台詞を言ったあとに王子が声高々に婚約破棄を宣言するのだ。そして私はそれを待っていた。作中のように無駄な言い訳は口にしない、嫌がらせなどやってはいないけれど今口にしたところで誰も信じないのだから時間の無駄だ。ならばここは令嬢らしく、背筋を伸ばし、真っ直ぐに王子を見据える。

 これで追放ルートだ、よかった、命は助かる。

「ちょっと待ったー! 異議ありっ!」

 王子が口を開こうとしていたところで、ま隣からそんな大きな声が聞こえた。あまりにも距離が近かったためほんの少しだけ、耳鳴りが鳴った。驚いた顔で見てみると、フリージアが王子とリリーのほうに堂々と指を差している。まるで某ゲームのようでフリージアがなんだかたくましく見える。って、今はそんなこと思っている場合ではなくて。

「黙って聞いていれば、好き勝手に言わないで! 一体カトレアがいつあなたに嫌がらせしたっていうのよ! ぼっちのカトレアは休み時間とかお昼休みとか、私とずっといたんだからね?!」

「ウッ!」

 思わぬところでダメージを喰らった。別に「ぼっち」は言わなくてよかったと思う。あと人に指を向けてはいけません、ということでそっとフリージアの指を下ろさせる。

「嫌がらせを見ていた人って誰?! それよりも私とカトレアが一緒にいるところを見た生徒のほうがいっぱいいるわよ!」

「確かにいつも一緒にいたな」

「なんだか美味しそうなお昼ご飯食べていたわ」

 ざわざわと私たち二人が一緒にいるところを見たことがある、という生徒が続々と口にした。それは一般の生徒から貴族の生徒まで。貴族側は貴族が庶民と一緒にいるところを毛嫌いしていたからこそ、よく覚えていたのだろう。

 それに私が言い訳をしていたわけではなく、ヒロインであるフリージアがそう発言をしたためかヒロイン補正が利いて皆すんなりとフリージアの話を信じている。嫌がらせを受けたと言うリリー、そんなことする時間はないと言うフリージア。今のところ分があるのはフリージアのほうだ。

「そういうあなたがカトレア様から指示を受けてわたしに嫌がらせをしたんじゃないっ!」

 まさかの言葉を言い出したリリーにギョッとする。分が悪いと感じた彼女は私とフリージアを共犯者にするつもりだ。私一人だけならまだしも、フリージアを巻き込むわけにはいかない。ここまで騒ぎが大きくなるときっと学園内での問題ではなくなってしまう。私はまだしも、庶民のフリージアは権力に押し潰される可能性がある。

 サイラスに目配せして急いでフリージアを後ろに下げようと試みる。私がフリージアに落ち着くように声をかけ、サイラスがフリージアの身体を引っ張ろうとしてみたけれど彼女は梃子でも動かない。

「そんなにカトレアを悪者にしたいの?! いい加減にして! 王子もよ、なんで黙ったままなの?! ――そもそも婚約破棄を望んでいたのはカトレアのほうじゃないッ!!」

「えっ」

 また別の意味で辺りが騒然とする。唖然とするリリーにフリージアも完璧に頭に血が登ってしまったのか、まったく言葉を止めようとしない。

「カトレアのお父さんと王様にはもう承諾を得ているのに、王子がいつまで経っても首を縦に振らないからカトレアずっと困っていたのよ?! なによ、もしかしてここで自分から婚約破棄を言いたかった?! そんなにカトレアに恥ずかしい思いさせたかった?! それでずっと逃げていたっていうの?! この卑怯者!!」

「フリージア!」

 これ以上はフリージアが不敬罪で訴えられてしまう。慌ててカトレアを抱きとめて言葉を止める。肩で息をして、悔し涙を浮かべているフリージアに私の視界も滲む。私のためにこんなに怒ってくれる人がいる、もう、それだけで十分だから。

 背中を軽く叩いて彼女を落ち着かせる。今にも泣きそうな顔をしているフリージアに微笑んで、彼女をずっと傍に控えてくれていたサイラスに預ける。もう一度背筋を伸ばし、顎を引き、前を見据えた。後ろめたいことなどまったくない。

「数々の無礼、失礼致しました。ですが王子、婚約破棄に頷いてくださいませ。そうすればあなたも私も、そしてあなたの隣にいる彼女も誰も苦しまずにいられるのです」

 ドレスではなく制服姿、それでも胸に手を当てスカートの裾を摘み、頭を下げる。

「どうか、お願い致します」

 そういえば、王子を真正面で見るのは初めてだったかもしれない。いつも横顔ばかりだったけれど、やっぱり正面から見る顔も綺麗だった。乙女ゲームのある意味主役、と言っても間違いないのだから綺麗な顔は当たり前かもしれない。

 辺りがシンと静まり返る。誰もが事の成り行きを見守っている。あとは、王子が言葉を発するだけ。

「……、……な……」

 私が聞き逃したのかな、と思ったけれど王子の声が本当に小さかったようだ。生徒たちの戸惑いに、私も今度こそしっかりと聞き取ろうと顔を上げたのと王子が勢いよく顔を上げたのはほぼ同時だった。

「俺は、婚約破棄など絶対にしないッ!」

「は?」

「は?」

 ――は?

 同じ言葉しか出せずにポカンとしている私とフリージア、なぜか静まり返った会場で王子はリリーの腕を振り払って一人この場を去ってしまった。

 パタン、とドアが閉まった音を皮切りに辺りは騒然として、私も固まったままフリージアと顔を見合わせることしかできない。そしてあれだけ儚げだったヒロイン、リリーは王子の置いて行かれて唖然として立ち竦んでいた。

 いや、いやいや王子、どうして婚約破棄の大チャンスだったのにあんな言葉を口にしてしまったのか。そもそも、王子があんな大声を出せる人だとは思ってもみなかった。もうわけがわからずフリージアと手を取り合ったとき、どこからかエディが傍に現れた。

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