12:放課後の用事

 今日の放課後から本格的な文化祭準備が始まった。


 沙良たちのクラスのテーマは『妖怪喫茶』。

 教室を布や小物で和風に装飾し、妖怪のコスプレをした生徒が客にあんみつや抹茶パフェといった和スイーツを提供することになっている。


 数日前のホームルームで各自担当係を決めることになったとき、沙良は『装飾係』を希望し、その中の買い出し班になった。


 買い出し班なら材料を買ってくれば仕事は終わったようなもの。

 後は適宜他の人の作業を手伝えば良いだけで、今年の文化祭も目立たず穏便に過ごそう……と思っていたのだが。


(まさか最も目立つ接客係をする羽目になるとは……)

 上尾駅の東口から出て、氷川鍬神社前の通りを歩きながらため息をつく。


 腕を負傷したことで戦力外通告を出された沙良は装飾係を抜け、新しく接客係に組み込まれることになった。


 接客係には秀司もいる。

 秀司は客寄せパンダならぬ客寄せ狐として働かされることが確定していた。


 集客を競う文化祭で見目麗しいイケメンを活用しない手はなく、クラスのためという大義名分によって本人の意思は黙殺された。


 ちなみに同じ理由で大和や瑠夏も接客係だ。

 瑠夏はぶつくさ文句を言いながらも、衣装合わせの際には猫耳のついたカチューシャをきっちりつけていた。 


「どうせなら彼氏と同じ白狐のコスプレをすればいい」と衣装係の女子たちは盛り上がり、楽しそうに沙良を囲んで身体の寸法を測ってくれた。


 秀司は用があるからと先に帰ってしまったが、もしあの場に居たらなんと言っただろうか。

 山岸に同調したときのように、それはいい、と笑ったのだろうか。


(秀司は一体何を考えてるのかしら)

 今日一日で何度唱えたのかわからない言葉をまた胸中で繰り返す。


(私は期間限定の、嘘の彼女なのに。ステージでは踊ることになるわ、教室では秀司とお揃いの衣装を着て接客することになるわ……本当にいいのかしら、こんなことして。これでもかと『私たちカップルです!』アピールしといて、文化祭が終わって即別れたりなんかしたら、二人にお似合いの素敵な衣装を作ってあげるって言ってくれたコスプレ趣味のクラスメイトも、一緒に踊ってくれる予定の戸田くんや瑠夏もきっとガッカリするわよね。『ここまで大勢の人間を巻き込んでおいて即別れるなら私たちは何のためにこの茶番に付き合わされたの?』って責められても仕方ないわ。たとえ直接責められることはなかったとしても、間違いなく好感度は下がる。これまで地道に雑用をこなし、悩み相談を聞き、乞われるままに勉強を教え、コツコツ築いてきた委員長としての信頼も地に落ちてしまいかねない)


 大げさなまでにカップル成立を祝福してくれたクラスの皆が一斉に敵に回る様を想像して沙良は震え上がった。


 犬の散歩中の女性が立ち止まっている沙良を見て怪訝そうな顔をしていることに気づき、再び歩き出す。


 ジョギングしている老人が沙良を追い抜いて駆けていく。


 通りを左に曲がり、住宅街へと歩きながら沙良は考えた。


(決めた。文化祭が終わってもしばらくはカップルのふりをしようと秀司に持ちかけよう。せめて一か月はカップルのままでいないと、協力してくれた皆に失礼だわ)


 十分ほど歩くと自宅が見えてきた。

 二階建ての自宅の隣には脱サラした父が祖父母から引き継いだ『花守食堂』がある。


 中学では陸上部だった沙良が高校で帰宅部を選択した理由の一つがこれだ。

 家で待機していれば、夕方のピーク時や土日に両親を手伝うことができる。


 現在時刻は午後七時過ぎ。

 ピーク時を迎えた厨房は戦場と化しているだろう。


(ただでさえバイトの人が急に辞めちゃって大変なのに、私までこんなことになって申し訳ないわ。お母さんたち、大丈夫かな。新しくバイトを探すって言ってたけど、そんなにすぐ人が入ってくるわけないよね……)


『花守食堂』の看板を見上げてから、目を伏せて店を通り過ぎ、自宅前で立ち止まる。


 ポケットから鍵を取り出して鍵穴に差し込み、半回転させて扉を開く。


「ただいま」

 妹の梨沙がテレビで動画を見ているらしく、リビングからは英語が聞こえた。


 最近彼女は動画配信サービスで視聴できる外国のドラマにはまっていて、沙良もたまに一緒に見ている。


「あっ、帰ってきた! お帰り!」

 ドタドタという足音が聞こえて、裸足の梨沙が姿を現した。


 今日は可愛いらしい猫のイラストの下に『pretty★dog』と大嘘が書かれたシャツを着ている。


(この前着てたチェーンソーを持ったウサギのシャツよりマシだな)


 同じ血をわけた姉妹ではあるが、妹の趣味はよくわからない。


「店に寄った? 寄った?」

 梨沙は何かを期待した目で姉を見つめ、台詞に合わせて寄ってきた。


「ううん。どうして?」

「今日から新しいバイトの人が入ったんだよ!」

「そうなの? 今度こそ大丈夫かな……」

 この前店に入ってきたバイトは酷かった。


 まともに敬語も使えず平気で遅刻し、禁煙の店内で煙草を吸い、一週間と経たずに音信不通になった。


「さすがにあの人より酷いバイトじゃないよね? その言い方からして、梨沙はもう見たんでしょう? どんな感じだった?」

「ふふふふふ~」

 梨沙は口元に手をやり、怪しく笑った。


「気になる? 気になるよね? 見に行こう! 着替えるの手伝ってあげるから!」

「えっ? ちょっと、引っ張らないでよ!」

 二階の自室で強制的に私服へと着替えさせられた沙良は、梨沙にぐいぐい背中を押されて店の裏口へと向かわされた。


「ねえ、なんだっていうのよ? いま忙しい時間帯なのはわかってるでしょう? 邪魔するわけには――」

「ちらっと見るだけでいいから! 開けて開けて! 早く! はーやーく!!」

 背中をバシバシ叩かれた。


(……挨拶してすぐ帰れば大丈夫かな)

 妹の押しに負けた沙良は困惑しながら厨房に続く扉を開けた。


 たちまち焼けた肉やカレーや香辛料といった食欲をそそる香りが鼻孔をくすぐる。


 コンロの前で父が中華鍋を振り、バイトの大学生が野菜を皿に盛りつけ、食器棚の向こう――ホールでは母が注文を取っている。


 ここから見える限りテーブルは満席で、誰も彼もが忙しそうだ。

 しかし、ピッチャーを傾けて女性客のコップに水を注いでいる少年の笑顔は草原に吹く風のように爽やかだった。


「………………!!」

『花守食堂』の赤いエプロンをつけ、頬を赤らめた客に愛想を振りまく少年――秀司を見て、沙良は目を剥いた。


(なんでここにいるの!?)


 学校の教室ではなく、両親が経営する店の中に秀司がいて、見慣れた赤いエプロンをつけている。


 それは沙良の脳に激烈な違和感を生じさせ、頭の中を真っ白に染めた。


「どうよ。驚いたっしょ?」

 遅れて店の中に入ってきた梨沙がニヤニヤ笑っている。


 梨沙が秀司にバイトを持ちかけたとすぐにわかったが、反応する余裕もない。


 全てのテーブルを回り終えたらしく、秀司はピッチャーを置いて今度はトレーを持ち、空いた皿を回収し、テーブルを片付け始めた。


 素晴らしく手際が良い。

 見ていて惚れ惚れするような働きぶりである。


「沙良。梨沙も。どうしたんだ?」

 中華鍋から野菜炒めを皿に移した後、父がこちらを向いた。


 人並外れて体格が良い父は右頬に傷があり、熊を片手で絞め殺せそうなほど凶悪な面構えをしている。


 初対面の相手を高確率で怯えさせる不愛想な父だが、こう見えて気は優しく、釣りが趣味。


 加えて言うなら愛妻家で、娘にも甘い。


「今日は来なくていいって言っただろう。何かあったのか?」

「……な、何があったって……」

 壊れた機械人形のようにギギギ、とぎこちなく首を巡らせて父に視線を戻す。


「あの、あそこで、なんか、当たり前みたいな顔で働いている、あれは……」

 震える手でホールを指さしたときだった。


「あ。こんばんは」

 空いた皿を美しく積み上げたトレーを持って秀司が厨房に入ってきた。


「今日からアルバイトとして働くことになりました、不破秀司です。よろしくお願いします」

 トレーを置いて秀司は丁寧に頭を下げた。


「じゃじゃーん! 秀司さんです!」

 梨沙は秀司の隣で大げさなポーズを取り、秀司の登場を演出した。

 二人とも思わず花丸をつけたくなるような良い笑顔である。


「………………」

 沙良は無言で頭を抱えた。


 言いたいことは山ほどあったが、まさか夕方のピーク時に有能なバイトを店の外に連れ出すわけにはいかない。


「……不破くん。バイトが終わったらゆっくりお話ししましょう?」

 にっこり笑う。


「いいよ。待ってて」

 笑顔の裏で沙良が怒っているのは伝わっているはずなのに、秀司は全く動じず、笑顔を返してきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る