11:新しいダンスメンバー

 文化祭のステージに立つには生徒会にPR分を添えた企画書を提出し、生徒会と文化祭実行委員会から認可を得る必要がある。


 ステージ関連の企画書の提出期限は今日の昼休憩まで。


 沙良は放課後に二人でのんびり相談して――などと甘いことを考えていたが、秀司に断られずとも、そもそもそんな暇はなかった。


 二時限目と三時限目の間の休憩中に沙良たちは急いで踊る曲を決めた。


 曲数は三。

 二曲はアップテンポの曲で、参考にした動画通りに四人で踊る予定だ。


 ラスト一曲は趣向を変え、やや落ち着いた和風の曲。

 この曲は秀司と二人で、左右対称の動きを随所に取り入れつつ踊るということになった。


「面倒だから嫌」

 三時限目と四時限目の間の休憩中。


 沙良と秀司は瑠夏の席へ行き、指南役兼ダンスメンバーになってくれと頼んだが、にべもなく断られた。


「そこをなんとか」

「嫌ったら嫌。他をあたってちょうだい」

 瑠夏の声は氷のように冷ややかだ。

 自分の席に座る彼女の視線は手元の文庫本に固定されたまま、こちらを一瞥もしない。


「……うーん……」

 秀司もこれには困っている様子。


「……秀司。残念だけど、諦めましょう。こうなった瑠夏は物凄く手ごわいの。一度嫌だって言ったら、それは絶対よ。よっぽどのことがない限り、梃子でも動かない。瑠夏に頼むより、他の人に頼んだほうがいいわ。そうだ、吉田さんってダンス部だったでしょう。彼女に頼んでみましょうよ」

「ちょっと待って。諦めるのはまだ早い」

 秀司はズボンのポケットからスマホを取り出し、何か調べ始めた。


「いいえ、諦めるべきよ。どんな条件を出したところであたしが引き受ける可能性は無いわ。わかったらとっとと帰って。読書の邪魔」

 多くの女子を虜にする学校のアイドルに対して、瑠夏は辛辣にそう言った。


 それでも秀司はスマホを弄ったまま瑠夏の横から動かない。

 瑠夏は不快そうに柳眉を逆立て、初めてまともに秀司の顔を見た。


「聞いてるの? スマホを弄りたいなら自分の席に帰って――」

「このジム知ってる?」

 秀司はスマホを瑠夏の目の前に突き付けた。


 スマホに表示されているのはどこかのジムらしきSNSの写真。


 筋骨隆々の半裸の男性が白い歯を煌めかせ、トレーニングマシンの前でポーズを取っている。


「『maximum』を知らない人間なんていないでしょう」

 瑠夏は即答した。

 その視線は半裸の男性に釘付けだ。


「え、知らないんだけど……」

 思わず呟くと、瑠夏は聞き捨てならないとばかりに素早く首を動かして沙良を見据えた。


「ボディビルダーやオリンピック選手も通う都内の会員制高級ジムよ。トレーナーにはIFBB選手だっているわ」

「IFBBって何?」

 沙良の質問に、瑠夏は呆れたような顔をした。


「『International Federation of Bodybuilding and Fitness』、国際ボディビルダーズ連盟よ。常識なのに、どうして知らないの? 十六年生きてきて一体何を学んできたの? 恥ずかしくないの?」

「そこまで言う!? 普通知らないよ!? 女子高生の九分九厘知らないと思うよ!? 一応私、これでも学年二位なんだけど!? IFBBなんて単語、英語のテストでも見たことないわ!」


「はあ……1946年に設立された世界で最も長い歴史を持つボディビル団体の名前を知らないなんて……なんて嘆かわしいの。もしかしてFWJも知らなかったりするのかしら。いい、FWJっていうのは――」

「秀司、それで!? そのナントカっていうジムがどうしたの!?」

 サイドテールを振り、勢い良く秀司に顔を向ける。


「このジムの経営者が母の友達なんだよね。俺が頼めば特別に見学できると思うけど、どう?」

 尋ねながらも、秀司の笑みは勝利を確信している者のそれだった。


「…………っ!?」

 果たして瑠夏は電撃でも喰らったかのように大きく身体を震わせた。


「……見学、ですって? はちきれんばかりの大胸筋……大根をすり下ろしたくなるような腹斜筋、仕上がった僧帽筋や三角筋を間近で……やだ……どうしましょう」


 瑠夏は両手で頬を挟んでおろおろしている。

 彼女とは中学からの付き合いだが、これほど動揺する瑠夏を沙良は初めて見た。


「そうそう。内緒だけど、猪熊いのくま選手や斎藤選手も通ってるらしいよ」


「猪熊選手がいるの!?」

 瑠夏はこれまた初めて聞くほどの大声を出し、目を宝石のように輝かせた。


「見たい、見たいわ彼の素晴らしいヒッティングマッスル……!! 斎藤選手のサイドチェストにもキュンと来たけれど、あたしは猪熊選手のバックダブルバイセップスにやられたの!!」

 身悶えするクールビューティーを見て、近くの生徒たちもぽかんとしている。


「改めて聞くけど。俺たちと一緒に踊ってくれる?」

 一人でひたすら喋り倒していた瑠夏が落ち着いたタイミングで、秀司は再びスマホの画面を彼女に向けた。


 表示されている写真はさきほどの男性とは違うが、彼もまたカメラ目線でポーズを決め、素晴らしい肉体美を堂々と見せつけている。


「なんでもするわ」

 瑠夏はうっとりとした眼差しでスマホを見つめ、頬を赤らめて頷いた。




 続いて勧誘するメンバーは大和だ。


「え、俺? なんで?」

 秀司と大和の席へ行き――つまり秀司は自分の席に戻ったようなものだ――一緒に踊らないかと尋ねると、大和は困惑を示した。


「お前運動神経いいし、格好良いだろ。その顔と身長はステージ映えする」

「……その評価はありがたく受け取るけど、俺はバスケ部の出し物にも参加しないといけないから忙しいんだよ。悪いけどパス」


「バスケ部の出し物って?」

「フリースタイルバスケ。ステージに立つメンバーに選ばれたから練習しないといけないんだ」

「じゃあそれ無しで。辞退して」

「笑顔で無茶言うなよ!?」


「バスケ部の部員はたくさんいるだろ。代わりがいるんだからお前じゃなくてもいいじゃん」

「思いっきりブーメランなんだけど!? 『運動神経が良くて格好良い人間なら誰でもいい』なら、俺にこだわる必要ないだろ!? 小西とか加賀とか誘ってみれば!?」

「ああ、ごめん。言い方が悪かった。俺は他の誰かじゃ嫌だ。大和が良い。だから俺と一緒に踊ってくれ」

 秀司は真顔で言い放った。


 隣で聞いていてドキッとするような台詞だったが、大和は頭痛でも感じたらしい。


「……そういう台詞は女子に言ってやれよ……」

 大和は片手で頭を抱えてため息をついた。


「ダメ。秀司に惚れちゃうからダメ」

 彼女役続行中の沙良は大事なことなので二回言った。


「なあ、大和。バスケ部より俺を選んでよ」


 秀司は両手で大和の肩を掴み、真摯にその目を見つめた。


 ある意味とんでもない台詞だ。

 目撃した女子たちは色めきだち、両手で口を覆っている。

 中には顔を真っ赤にする者や、興奮気味に友人の肩をバシバシ叩く者もいた。


「……お前って、割と手段選ばないよなあ……」

 ぴくぴくと大和の頬が痙攣している。

 その額には怒りの血管が浮き上がっていたりした。


「言ってて恥ずかしくないのか? ちなみに俺は言われて死ぬほど恥ずかしい」

 大和は己の肩を掴む秀司の手を乱暴に振り払った。


「大和相手には遠慮しないって決めてるからな」

 気にした様子もなく手を引っ込め、秀司がにっこり笑う。


「で、引き受けてくれないの? どうしても嫌だって言うならこっちにも考えがあるけど」

「何する気だよ!?」

 身の危険を感じたらしく、大和は椅子ごと身体を引いた。


「秀司、脅してどうするの!? 私たちは頼みに来たんでしょう!? ちょっと黙ってて!」

 話がややこしくなる前に、沙良は秀司の腕を押して横に退かせ、大和の正面に立った。


「お願い、戸田くん」

 言いながら右手を上げる。


 本当は両手を合わせたいのだが、左手が動かないいまは半端なポーズしか取れない。


「秀司が遠慮なく振る舞える相手は戸田くんしかいないの。小西くんも加賀くんも素敵な人たちだけど、きっと彼らが相手じゃ秀司は気を遣う。集団で何かをするとき、秀司はチームの輪を乱さないよう、無意識に『出来ない人』に合わせてしまう。去年の文化祭の演劇が良い例だよ。秀司はもっと素晴らしい演技ができたはずなのに、緊張してたヒロイン役の子に合わせて演技を抑えてた」


 沙良はあのときステージの上には立たなかった。

 単純に恥ずかしかったから、華々しい演者ではなくただの小道具係として、舞台の袖からスポットライトを浴びる秀司を見ていただけだった。


 けれど、今回は覚悟を決めた。

 秀司と親友と共に明るいスポットライトを浴びると決めた。


 せっかくステージに立つのならば全力で踊りたいし、秀司にも全力で踊ってほしい。


 そのためにも、秀司が『気を遣う』要素は極力排除したいのだ。


 瑠夏はダンス経験者で抜群に上手く、相手が誰だろうと遠慮するような可愛い性格はしていないため、秀司はすぐに瑠夏と馴染むだろう。


 秀司が沙良に対して自然体なのは言わずもがな。


 だから、重要なのは最後のダンスメンバーだ。


「ステージの上で最高のパフォーマンスをするなら、ダンスメンバーは戸田くんしか考えられないの。難しいとは思う。でも、どうにかバスケ部の出し物とダンスを両立してもらえないかな。我儘を言ってごめん。お願い」

 沙良は深々と頭を下げた。


 数秒の沈黙の後、返ってきたのは「わかったよ」という言葉だった。


「いいの? 本当に?」

 沙良は顔を上げて、確認するようにじっと大和の整った顔を見つめた。


「ああ。頭まで下げられたら断るわけにはいかないだろ。それにその……さっきは悪いこと言ったし……」

 大和はばつが悪そうな顔で己の頬を掻いた。


「凡人とか言ってごめんな。悪気はなくて、あくまで『普通の人』っていう意味で使ったつもりなんだけど、後で秀司にあれは煽ってるようにしか聞こえないって言われて反省したよ。怪我してるからダンスなんて無理だとか、秀司のレベルに合わせるなんて無理だって言ったことも、ごめん。秀司は昔から嫌味なくらい何でもできるやつでさ。どんな人間も最終的に負けを認めて膝を折るから、つい花守さんも同じだって決め付けてしまった。素直に負けを認めておとなしく引き下がるならまだしも、中には秀司を逆恨みしたり、自信を失って極端に卑屈になったりする奴もいたんだよ」

「! 私は」

「うん。花守さんはそんな奴らとは違うよな」

 とっさに言いかけた沙良の台詞を引き継いで、大和は微笑んだ。


「花守さんは何度秀司に負けても懲りずに挑み続ける不屈の根性の持ち主だ。たとえ怪我のハンデを負ってても根性と努力でカバーして頑張るってことくらい、考えればわかることなのに。俺の発言は本当に失礼だったよな。もう二度と言わないから、これからよろしく」

「ええ。こちらこそ」

 大和に微笑み返してから、沙良は教室の時計を見た。


 もうすぐチャイムが鳴る。

 話し合いはいったん中断しなければならない。


「戸田くん。瑠夏にも言ったんだけど、昼休憩に入ったら少し付き合ってくれるかな。秀司と二人で踊る曲も一応決めたんだけど、あれでいいかどうか意見を聞きたい」

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