07:始まる前に終わるデート
勉強机に置いた鏡の向こうから見返してくるのは、黒縁眼鏡をかけたツリ目の少女だ。
身長は167センチ、体型は細め。
胸は……残念ながらそんなに大きくはない。
(……私に偽彼女役を頼もうとしてきた時点で秀司もそこにはこだわってないはずよね。もしそうなら私じゃなくFカップの横溝さんに頼んでたはずだし。うん)
自身の慎み深い胸を見下ろして、ひとつ頷く。
(体型は大丈夫として、問題はこの顔よ、顔。なんだって私はこんなにキツイ顔してるのかしら。意識して笑ってないと『なんか怒ってる?』って聞かれるし、男子には『花守は悪役令嬢向きの顔だよな』『わかる、絶対ヒロインじゃない』とか好き勝手言われるし。それもこれも全部このツリ目が悪いのよ)
両目の目じりに人差し指を置き、下向きに引っ張ってみる。
(いいなあ、姫宮さんは。小柄で、可愛くて、見てるだけで『守ってあげたい!』って庇護欲を掻き立てられるような天然の美少女だもの。彼女こそまさに生まれつきのヒロインよね。姫宮さんが秀司と並んで立てば皆がお似合いのカップルって絶賛するんだろうなあ。それに比べて私ときたら……)
指を離すと、強制的に垂れていた目はいつものツリ目に戻ってしまった。
沙良は深いため息をつき、首を傾け、ごつんと額を鏡にぶつけて口元をへの字に曲げた。
(『美女と野獣』の反対語にあたる言葉って何? 『醜女とイケメン』? いや、いくらなんでも
クラスメイトたちは秀司が沙良と付き合い始めたと報告すると、何故か一様に感動してくれた。
おおげさに天井を仰ぐ者あり、目頭を押さえる者あり、両手で顔を覆う者あり、友人と肩を抱き合う者あり。
「やっとか……」「長かったね……」「末永くお幸せに……」などと口々に言われた沙良はクラスメイトたちの好意的な反応に拍子抜けしてしまった。
でも、それはあくまで半年近く共に過ごし、それなりに絆を育んできたクラスメイトたちだからこその優しさだ。
他人はきっと容赦してくれない。
「…………」
行く先々で不釣り合いなカップルだと嘲笑される未来を想像し、果てしなく気分が落ち込む。
日曜日の今日、これから沙良は秀司と二人きりで出かける。
偽カップルとして上手くやっていくためにデートしようと秀司から提案されたのだ。
沙良はあまりの喜びで挙動不審になりつつ、一も二もなく承諾した。
前日の夜は興奮して眠れなかった。
眠れないままに起床し、身支度を整えた現在、沙良は長い髪に紺色のリボンを結び、小花模様のワンピースを着ている。
スカートだと意識しすぎだろうか、いやでもズボンだと味気なくてガッカリされるかも……と、実に三時間も悩んだ末、中学生の妹の
腰の部分に紺色のリボンを結び、胸元と袖口をきゅっと絞ったデザインのワンピースは可愛らしく、これはちょっと狙いすぎではないかと梨沙に言ったら「デートで狙わなくてどうすんの」と呆れられた。
ちなみに梨沙は秀司の大ファンである。
高校一年のときに写真を見せたら一瞬でファンになった。さすが自分の妹だ。
「おねーちゃーん?」
トントン。
部屋の扉がノックされた。
「何?」
鏡にくっつけていた額を離して胸を張り、指で眼鏡を押し上げ、いかにも「何も思い悩んでなどいませんでした。デートの準備は万全です」という顔を作って、部屋の扉を開けた梨沙を迎える。
「秀司さんとの待ち合わせ、十一時でしょ? 大丈夫なの? もう十時過ぎてるけど、予定変更になった? だったらいいんだけどさ」
襟が伸びたよれよれのTシャツに短パンという、休日ならではのだらけ切った格好の梨沙は首を掻きながら言った。
「えっ?」
沙良は鏡の隣に置いていたスマホのホームボタンを押した。
午前十時八分。
表示された時刻を見て、顔面から一気に血の気が引いた。
沙良は埼玉の上尾に住んでいる。
自宅から上尾駅まで徒歩十五分。
上尾駅から渋谷駅まで電車で五十分。
そこからさらに秀司との待ち合わせ場所まで十分。
つまり――
(――完全に遅刻だ!!)
とっさに思い浮かんだのは、秀司の不機嫌な顔。
――初めてのデートで遅刻とかあり得ない。やっぱり偽彼女役は姫宮さんに頼むことにする。さよなら。
「――っきぃゃああああああ!!!」
沙良は盛大な悲鳴を上げた。
絞め殺された鶏の如き奇声に、梨沙がびくっと肩を震わせる。
(六時には起きてたのに何してんの私!? 鏡の前で三十分も思い悩んでたとか嘘でしょ馬鹿じゃないの!? あああどうしよう秀司ってきっちりしてて常に十分前行動だよね!? デートの今日は十五分前には待ってそうなのに遅刻とか! 遅刻とか!! やばいやばい愛想尽かされる!! いや待て大丈夫、落ち着け、まだ待ち合わせ時刻にはなってないから、連絡すれば間に合うなんとかうんきっと大丈夫のはず!!)
とにかく遅刻が確定した以上、速やかに報告と謝罪をしなければならない。
『ごめんちょっと遅れる』
光の速さで文字を打ち込み、ラインを送る。
(出来る限り急いで行かなければ!!)
沙良は右手にスマホを握り締め、左手で鞄を引っ掴み、部屋を飛び出した。
「あんまり急ぐとあぶな――」
梨沙の忠告は遅きに失した。
焦る気持ちに身体がついていかず、沙良は階段を踏み外し、ほとんど最上段から派手に転げ落ちたのだった。
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