不破くんには敵わない

星名柚花

01:学年トップの王子様?

 私立三駒みこま高校は都内有数の進学校だ。


 実力テストが終わると上位百名が公表されるため、結果発表の日には多くの生徒たちが掲示板前に集う。


 夏の暑さが続いている九月上旬、午後一時過ぎ。


(……また負けた……今回も私が二位だ……)

 夏休み明けテスト結果が貼り出された三階廊下の掲示板の前で、花守沙良はなもりさらはがっくりと項垂れた。


 夏休みは実家の店の手伝いをし、何度か友達と遊びに出かけた。


 それ以外の時間はほとんど自室に篭り、学年一位を目指してひたすら勉強していたのだが、沙良の夢は今回も叶うことなく終わってしまった。


「やったー、九位! 臨時収入こづかいゲット!」

 悄然と肩を落とす沙良とは対照的に、近くにいた男子生徒は歓喜の表情でガッツポーズした。


「九位とかすげーな、お前。てっきりただのサッカー馬鹿だとばかり思ってたわ、ごめん」

「お? やるか? やんのかコラ」

「やっばー、三十八位だって。夏休み遊びすぎたなー」

「ちょっと、それ、名前すら載ってない私への嫌味?」

「見て見て! 私、四位だよ!? 凄くない!? 偉くない!? 褒めて褒めて!!」

 周りで色んな生徒の声がするが、負けたショックが大きすぎて耳に入ってこない。


「今回も不破ふわくんが一位かー。さすが」

 聞き覚えのある声がして、沙良は重たげに頭を動かして右手を見た。


 いつの間にかクラスメイトの女子三人が沙良の傍に立っていた。


 栗色の髪を高く結った石田歩美いしだあゆみはクラスでも目立つ派手な女子で、ムードメーカー的存在。


 沙良のクラスが来月の文化祭で喫茶店をやることになったのも、歩美がやりたいと強く主張したからだった。


「残念だったね。今回も『にいんちょ』の称号返上ならずだね」


『にいんちょ』とは『二位』と『クラス委員長』を組み合わせた造語だ。


 二年一組のクラス委員長であり、入学してからこれまでずっと二位を取り続けている沙良は一部のクラスメイトから親しみを込めて――揶揄ではなく親しみだと思いたい――そう呼ばれている。


「……そうね」

「あー……そんなに落ち込まなくてもいいと思うよ?」

 暗い顔をしている沙良を心配したらしく、歩美はひらひらと手を振った。


「不破くんは三駒中学でもずーっと学年トップだったもん」

「彼に敵う人なんていなかったよね。勉強だけじゃなく、ありとあらゆる分野で」

「うん。絵画コンクールでは美術部を差し置いて賞を取ってたし、校内合唱コンクールでは素晴らしい伴奏で皆を唸らせてたし、体育祭では大活躍してた。どんなイベントでも主役だったね」

 歩美の所属グループの一人である遠坂茉奈とおさかまなが顔を向けると、海藤里帆かいどうりほはショートボブを揺らして頷いた。


「私はバスケ部のマネージャーだったんだけど、彼は弱小チームを率いて全国まで行かせたんだよ。会場には彼目当ての女子がたっくさんいた。敵チームの学校の女子まで不破くんの応援してたのは笑っちゃったなあ」

「でも、その子たちの気持ちもわかるよねえ。あのルックスなら惚れるのも仕方ない。むしろ惚れるなってほうが無理」

「うんうん。あんなに格好良くて、おまけに勉強も運動も何でもできるなんて反則でしょ。天は二物を与えず、なんて言うけど、不破くんは例外だよね。天から与えられまくりだよね」


「にいんちょも凄いよねえ。あのパーフェクトヒューマンにいまだ一人果敢に挑み続けてるんだもの。あたし、本当に凄いと思う。普通の人ならとっくに心が折れてるよ。根本からぼっきり逝っちゃってるよ」

「うんうん。どれだけ負けても挫けない、その不屈の精神と根性には脱帽だよ。みんな、にいんちょに敬礼!」

「敬礼!」

「ガンバ、にいんちょ!」

「負けるな、にいんちょ!」

「Hang in there, Sara! Everything is gonna be all right!」


「キャー、里帆カッコイー!」

「さすが外交官の娘、素晴らしい発音!」

 歩美たちは仲間内だけで盛り上がり、笑っている。


(他人事だと思って……)


 黒縁眼鏡をかけた沙良のツリ目がちの瞳には悔し涙が浮かんでいたりする。


 歩美たちは傍観者として楽しんでいるようだが、当事者である沙良にとって事態は深刻なのだ。


(今回こそはいけたと思ったのに……だって、500点満点中485点よ? 3位の人は462点よ? 20点以上も開きがあるのよ? なのになんで不破くんは一人だけ497点なんて化け物じみた点数取ってるの? 今回こそは勝てると、勝ったと思ったのに――)


 感情を抑えきれず、両手のひらに爪を立てていたそのとき。


 ぽん、と。


 不意に背後から左肩を叩かれて、沙良の思考回路は停止した。


 掲示板前にいた女子たちは一様にお喋りを止め、とろけんばかりの眼差しで沙良の背後を見つめている。


「………………」

「あ、不破くん」

 熱い視線の交差点にいるその人物の名前を歩美が呼んだ。


 冷や汗が頬を流れるのを感じながら、恐る恐る振り返れば、左頬を指で突かれた。


 クラスメイトにして天敵である不破秀司ふわしゅうじは沙良が振り返るタイミングに合わせて肩に置いた指のうち、人差し指だけを伸ばしてきたらしい。


「いまどんな気持ち?」


 低く透き通った声が沙良の鼓膜を震わせた。


「『次こそは絶対に勝つ! ぎゃふんと言わせてみせるから覚悟しなさい!』なーんて公衆の面前で啖呵切っておきながら負けるってどんな気持ち? ねえねえ、教えてよ」

 長い指が頬をグリグリ押してくる。


 爪は当たっていないし、充分に手加減されているため痛くはない。

 決して痛くはないのだが。


「…………っ!!」

 屈辱のあまり、沙良は涙目になってプルプル震えた。


「あれだけ自信たっぷりに言うからには500点取る気満々なんだろうなって思ってたのに。いざ蓋を開けてみれば、あれ? なんか委員長の名前の隣に485点とか書いてあるような気がするんだけど、目の錯覚かな?」


「う、うるさいわねっ! 500点満点なんて取れるわけないでしょ!?」

 沙良は頬をグリグリしている秀司の指を掴んで引っぺがし、身を反転させて彼と向き合った。


(くう……なんでこの人はこんなに格好良いの)


 眩暈を覚えてしまうほど、秀司は恐ろしく綺麗な顔立ちをしている。


 窓から差し込む陽光を浴びて輝く切り揃えた短髪。

 くっきりとした二重に長い睫毛、通った鼻筋。


 女子が夢中になり、アイドルだの王子様だのと持て囃すのも当然だ。


 他校の女子生徒が彼を待ち伏せする光景は、もはや珍しくもないただの日常だった。

 

「そう? 俺は数Ⅱ担当の加藤が『解法が気に入らない』なんて理由で減点しなきゃ500点満点だったよ」


 衝撃の事実は沙良の頭を思い切りぶん殴った。


(全教科満点……だと? 大学入試問題レベルの難問だってあったのに?)


「……。……マジで?」

 震える声で問う。


 品行方正な委員長であろうと心掛けている沙良は普段人前でこんな言葉遣いをしないのだが、それほど動揺していた。


「マジで」


 秀司はあっさり顎を引いた後、


「それを踏まえた上で、さあ。いまのお気持ちをどうぞ」


 にこにこしながら握った拳をマイクに見立てて沙良の口元に寄せた。


「~~っ、……悔しいです……」

 俯き、蚊の鳴くような声で言う。


「え、なんて? 聞こえない」


 意地悪く促す秀司の瞳はキラキラ輝いていた。

 楽しくて楽しくて仕方ないらしい。


 どういうわけか、秀司はテストで満点を取ったときでも、バスケでシュートを決めたときでもなく、こうして沙良をからかっているときにこそ最高の笑顔を見せる。


(このドS……っ!!)

 前言撤回。

 この男のどこがアイドルだ。王子様だ。


「ああもうっ、認めればいいんでしょう!? 私の負けです完敗です!! 超天才の貴方様に勝負を挑むなんて、とんだ身の程知らずでしたごめんなさい!!」

 やけになって叫ぶ。半泣きで。


「わかればよろしい」

「何したり顔で頷いてんのよおおお!!」

 とうとう本格的に泣き出し、沙良は秀司の両肩を掴んで激しく揺さぶった。


 秀司の艶やかな黒髪とストライプ柄の紺色のネクタイが動きに合わせて跳ねる。

 沙良も周囲の生徒たちも同じネクタイをつけていた。

 三駒高校は男女ともにネクタイ着用なのだ。


「お、始まったぞ」

「もはやテスト後の恒例行事だな」


 周りの生徒が何か言っているが気にすることなく、感情のままに沙良は喚いた。


「勉強だけが冴えない私の唯一の取柄だったのに! 入学式で新入生代表挨拶をしたときは最高の気分だったのに、これから順風満帆な高校生活が始まるって信じて疑わなかったのに!! 後で先生に『実はトップ入学は不破くんだった』と明かされたときの私の気持ちがわかる!? 初めての中間テストでも涼しい顔で一位取っちゃってさあ!! 中学でトップだったらしいけど、私だってずっと、ずーっと西中にしちゅうでトップだったのよ!? それなのに負けっぱなし! いまじゃ『にいんちょ』なんて不名誉なあだ名までつけられて! 不破くんばっかり才能に満ち溢れててずるいわ! 勉強も運動も何でもできるなら学年一位の座にこだわる必要なんてないでしょ!? 一回くらい私に一位を譲りなさいよ! これ見よがしにつけてるそのバッジ寄越しなさいよ!」


 秀司の胸元には校章入りの金バッジが輝いている。

 欲しくて堪らない学年トップの証を、秀司は一向に手放してくれない。

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