第15話
変化は劇的に生じた。
あたしと戦っていた化け物どもは突然あたしの前から姿を消し、辺りに散らばっていた文字や記号も崩れていく。何が起きたのかあたしには解らなかったけど、多分、しぃちゃんがうまくやったのだろう。
崩れていく記号、崩れていく世界、その中であたしの頭の中に流れ込んできたもの……
これはHiroの心?いや、違う。これは谷口比呂人の心だ。
それはあたしの頭に直接語りかけるようにして静かに流れていく……
昔からずっとコンピューターだけが僕の友達だった。まわりには親も居ない。友達も居ない。だけどコンピューターの中には沢山の友達が居た。沢山の人が僕をほめてくれた。
高校に入っても友達なんか居なかった。学校に通うのがウザかった。本当は行きたくなかったけど、こういうときだけ親がしゃしゃり出てきて僕を高校に通わせた。
行かなかったけどね。
ある日、たまたま高校に行ったときのこと、図書館の著書検索システムの前で何やらもがいている女の子を見かけた。こんな簡単なシステムの前で何をやってるんだかと思ったけど、不思議とその子が気になった。条件設定がうまく出来ないらしい。だから、教えた。簡単なことだったし、特にやることなかったから、でもその子は、
「ありがとう、とっても助かったよ。くわしいんだね」
と、太陽みたいな微笑みを僕に向けてくれたんだ。胸が熱くなった。こんな気持ちは初めてだった。
ああ、これは多分春先の授業の課題の時に図書館で調べものをしてたときのことだ。しぃちゃんとあたしは、同じ課題で参考となる本を探していた。本の検索はしぃちゃんに任せたんだっけ……あたしもよくわからなかったし……
再び谷口の心が流れてくる。
その子の名前は長谷川椎子といった。隣のクラスの生徒らしい。友達は居なかったけど、学校のシステムはセキュリティが甘いので、情報を得ることなんて簡単だった。
そして、ちょっと非合法だったけど、彼女について更に情報を得ることが出来た。彼女はSeeというハンドルネームを使ってたまにチャットをしていた。だから僕はHiroとして彼女に近づいたんだ。谷口比呂人だと自信ないけど、Hiroは僕の本来の姿だから……
それからいつもSeeさんと話した。彼女は色々なことを話してくれた。こんなに積極的に人と話したのは初めてかもしれない。僕はどんどん彼女が好きになっていった。彼女といつまでも一緒に居たいと思った。
だから、あの日僕は思い切って彼女に告白したんだ。Hiroじゃなくて、谷口比呂人として……本当に好きだったから……でも彼女は……
切ない気持ちが流れてくる。嘘だよこんなの……こんなことがあっていいはずない。
だって、こんなのないよ。おかしいよ。
……だから、僕は、いつまでも、Hiroとして彼女と共にあろうと思った。谷口比呂人は拒絶されてしまったけど、Hiroはまだそうじゃない。だから、僕は……
「何でだよ!」
あたしは叫んだ。
何でそこで踏みとどまらなかったんだよ!
だって、しぃちゃんは戸惑っていただけだったんだよ。いきなり告白されて、はい付き合います。なんて言えやしない。どうしてもっと待てなかったんだ!
涙が出てきた。こんな、こんなことって……
あと少しだけでもちゃんと谷口比呂人として、しぃちゃんと接していれば結果は違ったかも知れないじゃないか!そしたら、そしたら、今しぃちゃんの隣に居るのはあたしじゃなくて……あたしなんかじゃなくて……
「あんただったかも知れないじゃないか!」
あたしが叫ぶと同時に、しぃちゃんがあたしにぶつかるように抱きついてきた。
しぃちゃんも泣いていた。本当に悲しい、とても悲しい。ここはとても悲しすぎる……
帰ろう。もうここには居られない。
あたしたちにはあたしたちの居場所がある。あいつは早まってしまったけど、あたしたちには、ちゃんと未来がある。だから……
あたしはしぃちゃんの手を取った。
「帰ろう。しぃちゃん。きっと、みんなが待ってる」
あたしたちは思う。あたしたちの居るべき場所のことを……
崩れていく歪んだ世界の中であたしたちは本来あるべき場所のことを強く思った。
崩れていく世界……薄れていく意識……その中であたしは一瞬、
親父の姿を見たような気がした。
目が覚めたとき、まず最初に飛び込んできたのは自分の部屋の天井と、
「あ、起きた起きた」
と嬉しそうに飛び回る神無の姿。
ベッドの上で身を起こすと、すぐ側には眠るしぃちゃん。
そして、開いた扉から微かに漏れ聞こえてくる声。
その声に誘われるようにしてあたしは立ち上って部屋を出る。声はリビングから聞こえてくるようで、近づくにつれ少しずつ大きくなっていく。
「本日夜、世界中で同時多発的に発生した大規模なシステムダウンは未だに収束のめどが立っておらず、アメリカ大統領はサイバーテロの可能性を示唆する声明を―」
プツン!
扉を開けると途端にその声は聞こえなくなった。
リビングのソファーには有希子さんが座っていた。
「や、やぁひかりちゃん。起きたのか?」
「うん、ニュース、何かあったの?」
どうやら声はテレビから聞こえてきていたようだ。あたしが入って来た時に有希子さんがあわててリモコンを操作したように見えたんだが……
「いや、少し気になることが……」
あたしをジロジロと見る。
「まさかな……」
「なに?」
「あ、いやなんでもないんだ……そ、それよりどうした?トイレか?」
「違うよ。何だかちょっと寝付けなくて……」
何だかはぐらかされたような気もするが、まぁいいや、それより……
「実は思い出したことがあるんだ」
「思い出した?」
「うん」
そう、あれは10年前、あたしがここに越してきて間もないときのことだ。
「公園でバットくれたよね?」
ピクリと、肩が震えたのがわかった。
「そうか。思い出したか」
「うん。なんで忘れてたんだろ?」
ホント、どうしてだろ?忘れられるはずがないのに……
「それだけか?」
「え?なんで?まだなんかあったっけ?」
「……いやいい。それであの椎子という子があの時の子か。随分と仲良くなったじゃないか」
「うん、それにね。あの苛めっ子の大将が、なんと一緒にいた宏樹。ホラ、あたしらと一緒にいた男の方」
それからあたしは、10年間の空白を埋めるかのように色々なことを話した。有希子さんはあたしの話を聞きながら、時に笑い、時に驚き、茶々を入れることもなく優しげな眼差しでずっと聞いていてくれた。何だろう。あたしは母親のことはよくわからないけれど、きっとこんな感じなんじゃないかな。
どうも有希子さんはしばらく日本を離れていたらしい。日本に戻ってきたのは今年に入ってからで、これからはずっとこっちにいるって話だ。
「ところでさ、有希子さん」
「ん?」
「何であの時、カラーバットなんて持ってたの?」
「ああ、あれか……あれはだな」
苦笑いを浮かべる。ありゃ、何だかもう眠い。瞼が重くなってくる。
「あの近所に駄菓子屋があったんだが、そこの婆さんにもらった。よくわからんが持ってけと言われてな。婆さん、あの後すぐに亡くなったんだが、さて、あれはどういうことだったんだろうな……」
心地よい響き、優しい眼差し。
その話を聞きながら、あたしはいつしか眠りに落ちて行った。
こうして一連の事件は、その幕を下ろした。
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