馬鹿な私を嘲笑うかのように、遠くで雷の音がする。

 雨に打たれながらひとり歩いている。雨と涙と鼻水と、初めてのお泊りに頑張ったメイクもぐちゃぐちゃで——。

 まったく私の人生、どうなってるの。


 運命の相手と思ったリルカがで、おまけにだったなんて。

 信じらんない。ちくしょう。なんだそれ。

 こんな思いをするなら、あの日に——出逢った満月の夜に、いっそ殺して食べてくれればよかったのに。

 足を引きずりつつ、今日のことを思い返す。


          ♢           ♢


 お昼の時には、まるで地に足がついてないよと未来みきに笑われた。

 未来の家に泊まる——と両親には言ってある。もし電話とかしてきたときのために未来に口裏を合わせてもらうのだ。風呂に入っているから出られない、とかなんとか。

 おかげでリルカのマンションのことも、ちょろっと話してしまった。

 秘密にしときたかったけど、まあ仕方がないか。

 玄関の姿見で何回かチェックして。

 私は意気揚々と家を出た。


 もう夏だ——七月にふさわしい風が吹き抜け、歩いていると少し汗ばむ。

 ひとつ深呼吸して、インターホンのボタンを押す。

「いらっしゃい」


 リルカはピザを注文してた。

 マルゲリータにビールの味がわからなけりゃオトナじゃないぜ、なんて感じの夕食をとって。

 お母さんに手土産で持たされたお菓子を食べて。

 リルカはどちらもビール以外あんまり食べなかったけど。

 そんな偏食で大丈夫か、とは思った。

「華月は高いところは大丈夫?」

「別にダメじゃないけど。なんで?」」

「屋上に行こう。住人だけの特権だ」

 最上10階で降り、廊下の奥の金属製のドアを開ける。階段を上ると、『関係者以外立ち入り禁止』の札が下がっている扉。

「いいの?」

 とリルカに聞くと、平気な顔でさっと彼女は扉を開けた。

 ひやりとする風がビールで火照った頬をかすめる。

 手を引かれて、屋上に踏み出すと——。

 首筋にぞくりとくる、一面の夜景が広がっていた。

「……綺麗」

「気に入った?」

 と、少年のようにリルカが微笑わらっだ。

 

 テールランプと照明で地上に描かれたイルミネーションが、圧倒的に綺麗だ。

「夜が好きなんだ。自分の醜い姿を隠してくれるから」

 醜いとは思わないけど、確かにリルカは夜に愛されている。長身で締まった四肢にチェシャ・キャットのにやにや笑いみたいな細い三日月がよく似合う。

 ひんやりとしたリルカの手。 

 二人でしばらく夜景を見ていた。

「風が湿ってきたね。一雨ひとあめくるかな。戻ろうか」


 リルカがシャワーを浴びている間、テレビ見てぼーっとして——まだ飲まされた苦い苦いビールの酔いが残ってる——トイレに行って。

 絶対入るなと言われてた部屋、クローゼットの、鍵が開いてた。

 見るなと言われると見たくなる心理、なんて言ったかな。カリギュラ効果?

 どんな黒歴史があるのやら。ひっひっひ。


 音をたてないように、そっと忍び込む。

 クローゼットの下半分に、妙なものがある。業務用の冷凍庫みたいだ。

 それと分厚い鉄板が重なった、工場にあるようなごつい機械と。これは何?

 そういえばなんかジビエ料理するみたいなこと言ってた。

 鹿だの猪だのいっぱい買いこんでるのかな。

 よせばいいのに好奇心に負けて、冷凍庫を開けてみる。


「え……?」

 そこにあったのは、予想もしなかったもの。

 

 首から切断された、人間の頭部。

 酔いがいっぺんに吹き飛んだ。

「うわあああぁ——っ!!」


 作りものなんかじゃない……しかも見覚えがある。

 あの満月の夜、リルカを刺した女。

 リルカの元カノ。


 嘘。


 ここにある肉。

 キッチンの冷蔵庫にあった肉。


 もしかしたら——その亜美とかいう女の、人?

 足に力が入らない。へたり込んでしまった。


「入ったら殺すっていったよね」


 リルカ。

 人食いの、殺人者。

 リルカが怖い。

 歯の根が合わない。

 怖い。


「私も殺して食べるの?」

「当たり前だろ。バカだな。あたしはイカレた醜い化け物モンスターだ。なに? 本当に好きだと思ってたの? あんたなんか餌だよ餌」


 まさかの信じられない言葉。

 ほんとにリルカが言ったの? 私が餌だって?

 いうことを聞かない身体からだに怒りが火をつけた。

 バネみたいに立ち上がって、周りにある服を引き抜いて投げつける。

 逃げなきゃ。

 殺される。


 リルカの横をすり抜ける。

 裸足のまま部屋を飛び出すとき、ちらりと後ろを見た。

 なぜかリルカは身動きもせず、こちらを見て立ちつくしている。


 初めて会った時の顔に似ていた。

 驚いたような、何かに耐えるような。奇妙に歪んで。

 

           ♢           ♢


 雨が降っている。

 冷たい現実が、世界中のすべてが私の敵になったように。

 わけがわからなくなって、私は裸足で濡れながら、夜の街を歩く——。


 ——なぜ、私はここにいるんだろう?

 ——なぜ、私はまだ生きているんだろう?

 納得できない。

 殺人を犯しているリルカ。通報されたら言い逃れなんてできないほど、証拠が部屋にはある。首を保存しておくなんて。

 なにがなんでも秘密を知った人間——私を、外に出す訳がないじゃない。

 阻止しなければ自分が破滅するだけなのに。

 

 遠くで雷が鳴っている。


 子供の頃の、無意識に封印していた記憶がふいに甦る。

 

 12年前、私を誘拐したのはリルカだ。


 本当に人間として見ていない、ただの餌だと思っているなら、あの時になぜ私は返されたの?

 矛盾してる。

 誘拐しておきながら、私を殺さなかった理由。

 秘密を知った私を、殺さなかった理由。

 それはいったい何?

 どうしても聞かなきゃならない。リルカ本人の口から。

 そうでなければ、この恋に決着なんてつけられない。

 そう、どんなにいびつでも、これは私の一世一代の恋。


 周りの人達が怪訝けげんそうに見ている中で。


 きびすを返して、リルカの部屋に向かう。裸足はだしで走った。

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