笹森家からのチョコ

 意識を失うほど恥ずかしいとは思わなかった。

 爽やかくんが妹をすぐに保健室へ運び、1時間目は休ませた。


 やりすぎたなと思ったが、『このままじゃ一緒にいられなくなっちゃう! だから特訓する!』と妹からメッセージが届いたのでほっとした。

 付き合ったからこそ、触れ合いも増える。だから、恥ずかしいって気持ちを乗り越えてほしい。

 それに、もし俺が笹森さんから同じように逃げられたらと思うと、悲しくなる。

 やはり心を鬼にしてよかった。


 朝の出来事を、必死に思い出す。

 それぐらい、今の俺には余裕がない。


 やばい。

 心臓が痛い。


 ドキドキしすぎて、寒さを感じない。

 俺はひと足先に校舎裏にいる。今回はベンチで待っていてほしいと言われ、座っている。

 笹森さんはチョコを取りに行っているから、もうすぐ来るだろう。

 稲田も杉崎さんもソワソワしてたけど、クラスのみんなにもチラチラ見られたな。


 さすがに邪魔はされないはず。


 今日、俺は笹森さんの彼氏になる。それを、他のみんなも見守ってくれている。

 そう考えれば、少しだけ緊張がほぐれた。


「お待たせ!」


 けれど笹森さんの声が聞こえた途端、俺の心臓がまた忙しく動き出す。


「早かったな」


 弾かれたように立ち上がり、気の利かない言葉が飛び出す。急いで来てくれてありがとうとか、全然待ってないよとか、言えただろうが! と、頭の中で自分を叱る。

 

「寒かったでしょ?」

「いや、全然」


 俺のぎこちない返事は変わらないが、笹森さんはふふっと笑ってくれた。


「気を遣ってくれてありがとう。それじゃさっそくだけど、私の気持ち、見て下さい」


 やばいやばいやばい!


 そんな風に言われて、嬉しくない男なんていない。

 けれど笹森さんはホールケーキの容れ物をベンチの上へ置き、慎重にチョコを取り出しているので、もろもろを飲み込む。邪魔しちゃいけない、今だけは!


「あっ! うしろ、向いててくれる?」

「うん」


 驚かせようとしてくれる気持ちが嬉しくて、俺はすぐに背を向けた。


 今日までの1年間、いろんな事があった。

 俺が妹のチョコを作ったせいで、こんなにも遠回りした。

 でもそれがあったから、今がある。


 たくさんの思い出が俺の頭の中を駆け巡る。なんだかじーんとしていれば、『カチッ!』と音がした。


 なんだ?

 チョコに仕掛けがあるのか?


 謎の音は気になるが、まだ笹森さんから振り向いていい許可はもらっていない。それが余計に、期待を高める。


「谷川くん、こっち向いてくれる?」


 ごそごそと音がして、笹森さんの声がした。だから急いで振り向けば、俺は絶句した。


 こ、これは!!


「私を置いて、逃げていいんだよ?」


 まさか、そう来るのか!!


 前に笹森さんへ貸した終末世界の漫画、『たとえ世界が壊れても、君だけは守り抜く』のラストシーン。それが、笹森さんの手の中で再現されている。

 そして今、彼女は作中のセリフを口にしたのだ。


 大きな円のチョコの上には、波打つような血溜まりがある。あれはマジパンで作られているのだろう。ウイルスに感染した奴を倒すと、こんな風な終わり方になるから。

 でもここで動物にまで感染が広がって、ウイルスに汚染された野犬に囲まれるんだ。でも、動物は感染すると身体が耐えきれなくて、溶け出す。

 まさに今、ポタポタと溶けてる。もしかして、火で炙ったのか?

 しかもこの野犬、笹森さんのお父さんが描いていた犬にそっくりだ。


 それらに囲まれているのが、血だらけの主人公と幼なじみだ。めっちゃ赤い。リアルすぎる。

 でも、抗体がある主人公の血が幼なじみの口に大量に入って、助かるんだよな。

 だから、幼なじみの口からは真っ赤な血が流れている。


 妹のせいで俺が大好きな漫画だと思われていたからだろう。チョコがまさかの完成を遂げたのは。

 でも、笹森さんも漫画を楽しんでくれたから、俺も未だに読み直してる。だから本当に、お気に入りになった。

 なので、返事は決まっている。


「俺達の未来を諦めた事なんてない。これから先もずっとだ!」

「……私も、あなたがいてくれたから、諦めなかった」


 このセリフのあと、朝日が差してラストシーンは幕を閉じる。

 誰かに見られていたら恥ずかしすぎるが、2人きりなので存分に演じる。チョコに込められた想いには応えないとな。

 

 ひと通りのやり取りを終え、俺に戻って声をかける。


「すごい大作だな。作るの、時間かかっただろ?」

「うん! でもね、とっても楽しかった! 実はね、野犬は多いからって、お父さんとお母さんと弟が作ってくれたんだ。谷川くんとは今後もお付き合いを続けたいからって、想いを込めたって言ってた」

「そこまで考えてくれたんだ……。ありがとう」


 だからか、爽やかくんがお父さんを褒めていたのは。


 お父様の腕前を舐めてしまった事を心の中で詫びて、笹森家全員に感謝する。

 最初から温かく接してくれたのもあり、さらに特別なチョコになった。

 すると、笹森さんがにっこり微笑んだ。


「じゃあここで、少しだけでもいいから食べてくれる?」

「あっ! じゃあ、写真撮ってから!」


 慌ててスマホを取り出し、笹森さんも一緒に写真に収める。この笑顔、最高だ!!

 しかし、食べるのがもったいない。リアルすぎて手が出しにくいのもあるが。


「ここまですごいチョコ、本当なら保管しておきたい。でも、手作りチョコはやっぱり早く食べないとな。いただきます!」


 力作の主人公達へ手を伸ばす。チョコクリームで支えを作っていたので簡単に外れた。


「うまっ!!」


 舌触りも味も最高だ。ホワイトチョコのベースと赤いソースの酸味がよく合う。これ、いちごだけじゃないな。


「この血をなにで作るかすごく考えたんだ。本物の血を使えたら1番よかったんだけど……。だから雰囲気だけでも伝わるように、いちごとラズベリーで作ったの」


 え……。


 聞こえちゃいけない言葉があったが、さすがに妹みたくやばいものは使わないはず。ほら、製菓の勉強をしなくても常識だし。うん。今後、笹森さんがリアリティを求めた時は全力で止めよう。

 そう決心しながら、幸せを噛みしめるように食べ続ける。本当にうまい!


「この野犬も食べていい? さっきまで溶けてた演出、すごかった!」

「食べて食べて! ライターで炙ってよかった!」


 寒いのでもう固まってはいるが、それらもゆっくりと味わう。野犬はビターチョコを使っているようで、甘さ控えめで苦みが伝わる。

 それにやはり火を使ったので、味や舌触りがこれ以上変わる前に食べてしまいたい。

 食べれば食べるほど、胸がいっぱいなる。こんなに嬉しいバレンタイン、初めてだ。


「本当に、ありがとう。美味しすぎる。残りは家で食べるよ」

「私の方こそ、外で食べてくれて嬉しかった。ありがとう」


 2人でチョコをしまい、改めて向き合う。

 今からは、大切な言葉を伝える時間だ。


「俺な、去年、次のバレンタインは笹森さんの隣でチョコが食べたいって思ったんだ。だからこうして実現した事が、すごく嬉しい」


 俺の言葉を、眩しそうな顔で笹森さんが聞いてくれる。そんな彼女が愛おしくて、想いがあふれた。


「ずっと好きでした。去年のバレンタインよりも、好きになりました。これからも、もっと好きになりたい。だから俺の彼女になって下さい!」


 ずっと言いたかった。ようやく伝えられて、なんだか涙が出そうになる。

 それは笹森さんも一緒だったようで、彼女の目も潤んだ。


「私も、谷川くんに負けないぐらい、好きです。これからも、ずっと大好きです。こんなにかっこいい彼氏は他にいません。好きになってくれて、ありがとう」


 笹森さんの涙が流れ落ちた瞬間、俺の体は勝手に動いた。腕の中にいる俺の彼女の温もりが、夢ではない事を伝えてくれる。


 笹森さん……。


 見上げるように微笑む笹森さんが愛おしい。だから引き寄せられるように顔を近づけた。


 ガラガラ!


「おめでとー!!」

「「!!」」


 キスしようとした瞬間、校舎の窓が空いた。そして、たくさんの声とクラッカーが鳴り響き、校舎の角からも人がわらわら出てきた。


「今の感想は?」

「え、は?」

「谷川ー。ここはちゃんと締めなきゃ!」


 杉崎さんがクラッカーをマイクに見立て、俺に向けてくる。だから慌てて笹森さんを解放すれば、稲田が肩を叩いてきた。

 同じクラスのやつや、他のクラスの笹森さんの友達。そして、校長先生達もいる。なんだこれ?

 混乱するが、笹森さんが真っ赤になって固まっている。だから俺は、この場を終わらせる事にした。


「見守っていただき、ありがとうございました! 今日から、お付き合いします!」


 くっそ恥ずかしい!!

 でも、なんだかんだ協力してくれたのに変わりない。

 野次馬もいるけどな。


 1年間、みんなとの思い出もたくさん作った。こんなに楽しい学生生活、一生忘れられない。

 それにここまで言えばあとは解散でいいだろ。俺は笹森さんと彼氏彼女として下校するんだ!


「やったぁ!」

「よっしゃあ!」

「「あ……」」


 杉崎さんと稲田が俺の言葉を聞いて抱き合う。この2人は戦友だろうからな。でも、顔が赤いぞ? これは、まさかか?


 恋を応援してくれた2人から恋の予感がする。

 これがバレンタインの奇跡か。なんて思いつつ、俺は笹森さんが作ってくれたチョコと彼女の手を取って、駆け出す。


 もう遠慮せず好きと伝えられる。

 だから、新しい関係が始まった日ぐらい、ほっといてほしい! 感謝よりも自分の気持ちに正直に動く。

 笹森さんに俺の気持ちが伝わったかわからないが、ぎゅっと握り返してくれた手が、熱かった。

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