チョコレートの師匠
呼びにきてくれた笹森さんと一緒にリビングへ移動し、彼女が作ってくれたマカロンや焼き菓子、そしてまさかのチョコレートを堪能している。
ひと口サイズのチョコとガナッシュの食べ比べもしてほしいと、用意してくれていたのだ。もちろん、全部が美味しすぎて感動したのは言うまでもない。
けれど、チョコをもらえるのはバレンタインだとばかり思っていたので、疑問はある。
そして、笹森さんの緊張した顔と、ご両親と爽やかくんのどこか見守るような表情に囲まれながら、食べ終えた。
「チョコは、合格ですか?」
「合格? 味の事言ってる?」
「全部です!」
「えっと……、見た目も綺麗だし、味は俺が作ったのよりも美味しいよ。コツを教えてほしいぐらいだ。だから合格とかじゃなくて、作ってくれてありがとう!」
笹森さんの言葉に引っかかるものがあったが、それを尋ねるよりも先に感想とお礼を伝える。
すると、笹森さんがいきなり頭を下げた。
「ありがとうございます! つきましては師匠にお願いがあるんです!」
「えっ!? いや、師匠ってなに!? あと顔上げて!」
妹みたいに訳のわからない事を言い始めた笹森さんに動揺する。でも、爽やかくんもご両親も黙っている。俺以外のみんなは知っていて、最後まで邪魔しないようにしているのかもしれない。
だから俺も彼女の考えを理解するために、言葉を待つ。
「師匠っていうのは、チョコレートの師匠です」
「えっと、まず、話し方、普通にしてくれる? あとさ、師匠って、どういう事?」
笹森さんの師匠になった覚えもなく、俺はさらに動揺しそうになる。が、あちらのペースに巻きこまれてしまえば話がわからないままだ。
なので、しどろもどろになりながらも、言うべき事は伝える。
すると、笹森さんの表情が引き締まった。
「バレンタインの時に驚いてほしいと思ってたの。でもね、なかなか思うようなチョコができなくて、どうしようって、悩んでて。それならいっそ、谷川くんから教わろうって、決心したの」
くちびるを噛む笹森さんから、悔しさが伝わる。俺のチョコよりもすごいものを作ると、彼女はたくさん頑張ってくれていたのだろう。
なのに、ライバルみたいな俺を頼るなんて、本当はしたくないはず。
でもそれ以上に、俺に渡すチョコだからと、こうして行動に移ったのだろう。
「俺でよければ、なんでも協力するから」
そんなに想いを込めて完成させようとしているチョコをもらえるなんて、幸せ以外のなんでもない。
だから俺も、笹森さんの力になりたい。そう思って返事をすれば、彼女は安心したように笑ってくれた。
「ありがとう、谷川くん。教わった分、バレンタインまでに間に合わせるから。だからね、これを教えてほしいの」
キッチンへ移動した笹森さんに続くと、爽やかくんもご両親もついてきた。
「私、キャラクターを作るのがどうしても苦手で……。でもね、絶対に喜んでもらえるキャラクターを作りたいの。だから、練習に付き合ってくれる?」
あ、なるほど。
だから俺なのか。
先ほど爽やかくんが『出来る』と言っていた意味がわかり、ジャケットを脱いで準備する。
「失敗してもやり直せるから大丈夫。それぐらいの気持ちで描いていこう!」
「はい!」
「えっ!?」
用意されていた、動物やデフォルメされた可愛らしいアニメキャラクターの用紙をチェックしていれば、笹森家全員が返事をしてきた。
「僕達も参加します!」
「な、なんで?」
「君へのバレンタイン用のチョコがね、リアルすぎてむず――」
「あなた! それ以上はだめ!」
にこにこしている爽やかくんへ尋ねるも、お父さんがチョコのようにとろける笑みを浮かべながら、なにかを言いかけた。それを、お母さんが冷水でもかけるように遮り、お父さんの表情が固まる。爽やかくんも焦ったような顔で、手でバツを作った。
それだけなのに、なにかのドラマでも観ているような気持ちになった。
俺、ここにいていいの?
「バレンタインのチョコ、谷川くんの期待以上のものにするからね!」
一瞬、場違いすぎて気が引けた。
でも、そんな周りの空気をものともせず、笹森さんが笑顔を向けてくれる。そんな彼女の気持ちに応えるべく、俺も微笑む。
「楽しみにしてる!」
そう答えれば、気合が入った。
こうして、チョコのお絵描きが開始された。
***
笹森さんはひと通りの道具を揃えてくれている。だから、修正もしやすいだろう。それらをダイニングテーブルに並べ、ひたすら練習している。
しかし、ふちどりを書くのが難しいようで、笹森さんの手が震えている。
「力入れすぎちゃってるから、一度深呼吸して」
「はっ!」
俺の言葉に、笹森さんが勢いよく顔を上げた。どうも息を止めていたらしく、必死に呼吸している。
「谷川くん、コツがあるなら教えてほしいのだが……」
お父さんが困り顔で俺を見てくる。それすらも洗練された動きに思えるが、手元にあるキャラチョコの変異のせいで台無しだ。
「……えっと、じゃあ、俺のやり方見ていてくれますか?」
あれはいったいなんだ?
先ほどまで同席してくれていたお母さんは昼ごはんを用意してくれているので、助けを求められない。爽やかくんは「父さんすごく上手だよ!」と、褒めるだけだから。
それぐらい、可愛い犬だったイラストの面影は消え失せ、闇から生まれたような禍々しい生き物が地面を這いずるように誕生していた。
しかし、腐っても笹森さんのお父様だ。
それ、どうやって錬成したんですか? なんて言えるはずもなく、俺はひたすら自分に与えられた役目に徹する。
「力はそんなにいらないです。コルネの先端をあんまりシートから離さずに、軽く押しつけるような気持ちで描く方がいいかもしれないです」
3人分の視線を感じるが、だからこそしっかり見てもらえるように説明しながらも手を動かす。俺が選んだのはデフォルメされたアニメキャラクターだが、やる事は一緒だからな。
「コルネで描くのが難しければ、つまようじの先にチョコをつけて描くのもいいみたいです。あと線が太くなったら拭き取ってもいいですし、つまようじや平たい筆ではみ出した部分を拭えばいいだけですから」
説明しながらも、一気に描き上げていく。途中で手を止める方が失敗しやすい。だから、思い切りも必要なんだろうな。
「こんな感じですけど、わかりますかね……?」
「谷川くん、すごいね。君は昔からお菓子作りが好きなのかな?」
お父さんが最初に褒めてくれたが、笹森さんも爽やかくんも続いて褒め称えてくれた。そのまま、彼らはすぐ練習を始めた。
だから、俺とお父さんだけで話し続ける。
「お菓子作りはした事がありませんでした。でも細かな作業が好きで、だからキャラチョコとかも描けたんだと思います」
「そうなんだね。いや、魔法を見ているようでとても素晴らしかったよ。さて、僕も頑張るかな」
魔法?
そこまで大層なものではない。けれど、そんな風に褒めてもらえるのは悪い気がしない。
だからその言葉が、俺の胸にしっかり残った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます