青空パスタ

霜月ノナ

第1話

空は高く青く、草木は力いっぱい背伸びしている。一面すっかりの春。

女神が目覚めてから二十年、すっかり世界はとは様変わりしている。

女神は五十年周期で眠りと目覚めを繰り返す。女神が眠っている間は、魔物と災害の時代となる。何の力もないただの人間が自由に外に出るなんて夢のまた夢。その時代には超常能力を持つものが増え、魔物から残った都市を守るのだという。そんな定期的に来る厄災の時代を、人類は一丸となって必死で切り抜けて、今日の文明は続いているのだと。その時代は、今も戒めを込めてと呼ばれている。

大人の言うを僕らは知らないけれど、その世界を、そのつらい時代を生き延びて守ってくれたからこそ、今があるということだけは確かに知っている。

でも、本当に、昔は危険だったなんて、嘘みたいだ。

今回の日帰り旅行を報告した母には、本当にいい時代になったわね、なんて羨ましがられたりもした。母が同じ年だった頃は、決して遊びに出掛けられるような世界じゃなかったからだ。


幼馴染とふたり訪れたのは、かつては死の灰が降り、猛獣が支配していたという、電車で一時間ほどの場所にある山だ。

それでも今では人気の観光地。特別な力がなくたってくることができるし、女の子とふたりで来たって問題ない。たいして高い山でもなく、人の手が入った山道は、慣れない散策にもちょうど良い場所である。

所々にある石碑や遺構だけが、かつて前線基地だったことを教えてくれた。かつてはここもただの山ではなく、人の住まう場所だったのだろう。

親やそれ以上の世代の観光客もいて、彼らは皆、石碑や古い建物の礎石を見てはあれこれ昔話をしている。

それは、この人生と同じ年月が、彼らにとっては『たった二十年前』でしかないことの証左だった。

決して忘れていいほど昔の話ではないのだと。


しばらく山を登り、景色のいい場所に陣取って荷物を下ろす。雨の気配はなく、日差しも強くはない。本当に素晴らしい行楽日和だ。

今後ずっと旅していくことになる唯一のパーティメンバーに声をかける。

「そろそろお昼にしよう。」

「やった!今日は何にしてくれるの?」

嬉しそうにリュックサックの中を覗き込んでくるが、残念ながらすぐに食べられるものではない。

「じゃあ、さっそくパスタ茹でてくれる?」

小鍋と乾麺、水筒を渡すと、彼女はほっぺたを膨らませながら準備を始める。

「もう、便利に使わないでよう!」

彼女はほんの少しの魔法を持っていて、火をつけたり、お湯を沸かしたり、アウトドアでは大活躍だ。

でも、もしも女神が目覚めずに、あの戦いが続いていたら、どうなっていただろう。知りもしないもう終わった戦いに、今更不安になることもある。

平和を続けるには並々ならぬ努力が必要なのだという。失いたくないと強く思うものができて初めて、その言葉の重さを知る。

これは平和だからこそのハイキング。決して当たり前などではない奇跡の時間。

文句は言いながらも、慣れた手つき。よく見れば自慢げな顔をしている。そりゃそうだ、こっちにはできない特技を披露してるんだからな。それにしても、薪がなくても固形燃料がなくても火が付くし、何度見ても不思議な光景だ。


だが、ぼーっと見ていたらパスタが茹で上がってしまう。慌ててソースの準備を始める。

あと必要なものは、フライパン、ハサミ、トング。食材は青じそに缶詰をひとつ。それから調味料はバターに醤油。

これを初めて作ったのは、出会った頃のことだった。嵐の夜に家に身を寄せたある母子に作った、ありあわせの食べ物。

「ごめんごめん、そういうつもりじゃないんだって。」

茹でている間に青じそを刻んでおく。爽やかなようでちょっとくせのある、独特の香りが広がる。

フライパンにバターをたっぷり。とろける黄金は魅惑的なつやを見せてくれる。

「そろそろいいよ。」

熱々のバターの上に、パスタをそのままトングで移してもらう。香ばしい香りがたちまち鼻孔ををくすぐる。キラキラした麺は陽光を浴びて、まるで宝石みたいだ。

「いいにおい!」

身を乗り出す彼女から、ほんのちょっとフライパンを遠ざける。いつも危なっかしくて、まるで子猫みたいで、目が離せない。

「そんなに近づいたら火傷するよ!」

味付け鯖缶を一個まるまる開けて、刻んだ青じそと一緒に絡める。最後に醤油をひと垂らし。これが最高に美味いんだ。

彼女が湯気の向こうで、目を輝かせる。満面の笑みで一言。

「『鯖缶の青空パスタ』だね。」

そう、この料理はそんな名前。嵐の去った翌朝、初めて作った時の名前のない家庭料理に飛び上がって喜んで、名前を付けた無邪気な彼女に恋したんだ。

青空の下、何の心配もなく、大事な人と食事ができるということ。

「いただきます。・・・おいしい!」

その瞬間、生きていてよかったと、心の底から思えるんだ。

そう、人はなんてったって、食べるのが人生の幸せの半分なんだから。


じゃあ、あと半分は何かって?

そんな野暮なことは聞かないでくれよ。

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