吉凶禍福?いいえ、天体ショーです

天養2年(1145年)5月3日


 時の天文権博士 安倍晴道は、明け方、東の空を見上げ・・・


 -気絶した。


 その間、数秒。


 立ち直ると、直ちに藤原頼長のもとへ走り、報告。


 それが、彼の職業意識からくるものか、とにかくこの重大事の判断から逃げたかったのかは分からない。


 しかし、実利をとる頼長が知りたかったことは、ただ1つ。


 「で。吉であるか。それとも凶であるか?」


 「は、はひ。我が祖、安倍晴明以来、安倍家にも占星の解釈、判断は諸説ございまして・・・」


 しどろもどろ答える晴道。


 その晴道を睥睨へいげいしつつ、重ねて問う。


 「で。吉であるか。それとも凶であるか?」


 「き、凶・・・かな?」


 どうやら晴道が頼長のもとにご注進に来たのは、職業意識ではなく、重大事の判断を頼長に押し付けたかっただけらしい。


 この日、晴道だけでなく、夜明けに東の空を見上げた人々は一様に目をむき、祈りを捧げた。


 -ハレー彗星


 この日、天に現れたものの、後の世の名である。


 彗星は、日を追うごとにその明るさを増していった。


 人々は恐れおののき天に祈った・・・家の中で。


 僧達が経を唱えるも効果なし。


 あの頼長でさえ恐れからか、気が動転していたのか、四天王寺に足繁く通い、祈りをささげた。


 「らしくないよなあ。」


 頼長の思わぬ醜態(決して醜態ではないのだが)を耳にしてひとりごちる重盛。


 彼は小狼たちと基盛を供に邸宅の屋根に上り、元の世では見ることのできなかった天体ショーを楽しんでいた。


 「兄上、きれいだね。」


 天を見上げたまま、基盛が言う。


 「そうだね。」


 「でも、みんな凶星だって言ってるよ。」


 基盛は、今度は重盛のほうを向いて、少し心配そうな声で聞いた。


 「いやあ、どう見ても吉。大吉だよ。」


 彗星を見上げる重盛の目には、彗星からこぼれ出る光の粒子が大地に降り注ぎ、それに触れた病蟲、小鬼、その他諸々の魑魅魍魎が消滅していくさまがうつっていた。


 彗星は5月中旬が地球に最接近した時期だったらしい。


 その後、徐々に西の空に移動し、その姿をとらえられる時間も明け方から日暮れにと変わっていき、6月に入るころには、徐々に見えなくなっていった。


 重盛としては、世紀の天体ショーを存分に楽しんだのであるが、彗星が去った6月のうちに、月食、日食が観測され、さらに下旬の京では、雨で増水した川が氾濫したことで、「彗星はやはり凶事を招いたか」と騒がれた。


 そんななか、平氏の邸宅の屋根で天体ショーを観測していた重盛の姿を見た者がいたのか、


 -平氏には物の怪の子がいる


 と、まことしやかに噂された。




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