第12話
「おいちゃん!!」
病室に琥珀が飛び込んできた。声を張ったため看護師に咎められる。藤吾が駆け寄って一緒に謝罪したあと老田のベッドまで連れて行った。
「琥珀、あんまり騒ぐんじゃあねえよ」
老田はもう目覚めていた。藤吾はそばについていたが、相田は一度必要な物を老田に頼まれて取りに戻っていた。
「大丈夫なの?どうしたの?何で?何があったの?」
「分かった分かった。少し落ち着けよ、藤吾と自販機行ってお茶でも買ってこい」
老田は藤吾に目配せをする。その意図をくみ取って藤吾は頷く。
「こ、琥珀さん、行きましょう」
琥珀の手を引いて藤吾は歩きだす。老田が運ばれるまでの事は藤吾の方が知っている。それを説明しろと老田は藤吾に頼んだ。
「お、老田さん家の前で倒れてたんです」
琥珀と向かい合って座り藤吾は話し始める。
「かっちゃんが見つけてくれて、あ、あの木谷さんが救急車を呼んでくれたんです」
「木谷って?木谷先生?」
「はい、き、今日老田さんと約束してたそうです。そ、それで家に来たんですが、今朝の喧嘩で老田さんが出てて、少し家に上がって待っててもらったんです」
琥珀はそれを聞いて俯いた。恐らく木谷が訪問した理由が分かったのだろう。
「そ、その後老田さんが倒れてるってかっちゃんが飛び込んできたんです。ぼ、僕が駆けつけたときにはとても具合が悪そうで、木谷さんに手伝ってもらって処置して救急車に乗りました」
「そっか、藤吾さんありがとう。後でかっちゃんや先生にもお礼言わなきゃ」
琥珀の笑顔はまだ無理をして引きつっている。しかし先ほどより落ち着きは取り戻したと藤吾は感じた。
「い、行きましょう琥珀さん。実はまだ何も説明を聞けてないんです」
「あれ?そうだったの?」
「はい、説明を受けるのは本当の家族でないと駄目ですから」
藤吾はその言葉が心に重くのしかかるのを感じた。悲しくて寂しくてもそれが事実だからだ。
それでも藤吾は勇気を振り絞った。
「ぼ、僕も聞きます。琥珀さんと一緒に」
藤吾は踏み込んだ。二人の輪に入れなかったとしても、ここで引けば強く後悔する予感がした。琥珀と一緒に病室に戻る。ちょうど医者が先に病室に入るところだった。
「ご家族のかた?」
「はい、そうです」
琥珀は医者の問いに一歩前に出て答える。藤吾も続いて肯定した。
「じゃあご説明します。まず今回倒れられたのは脳ではありません」
検査の結果脳に異常は見られないと医者は言う。
「それで必要な検査を一通り行いました。結論から申し上げますと膵臓癌の再発です」
琥珀がそれを聞いて後ろによろける。藤吾は咄嗟に肩を掴んで支えた。
「そうか、再発か」
老田はそれがなんでもないかのように軽く言う、思わず藤吾は老田を睨む。
「それで先生、俺はどうだい?」
「そうですね、治療にもよりますが、今回は癌が進行しています。あまり楽観的なことは言えません」
藤吾の手から琥珀の震えが伝わってくる。
「な、なんとかなるんですよね?」
琥珀の代わりにと藤吾が口を開く、医者は淡々とそれに答える。
「治療しましょう、この先の事は誰にも分かりません。でも手を尽くします」
「いや、先生ちょっと待ってくれ」
老田の方を全員が見た。めったに見せない笑顔を浮かべて老田は言う。
「少し時間が欲しいんだ、先生。一度家に帰りたい、お願いだ」
老田は意思の強い、鋭い眼光で医者をとらえる。その迫力に医者もたじろいだ。
「琥珀、藤吾、一度俺たちの家に帰ろう」
話し合いの末老田は医者と話をつけた。琥珀は震える体を藤吾に預けたまま、ただ押し黙っていた。藤吾も琥珀を受け止めているのが精一杯で、これから先不安を押し込めるので必死だった。
二日後に老田は帰れることになった。医者としてもすぐに退院という事にはできなかったが、老田の強い主張で希望が叶った。
病院の帰りは相田が二人を送り届けてくれた。車内では重苦しい空気を和ませるために相田が努めて明るく振舞ったが、琥珀は普段の姿は見る影もなく俯いていた。琥珀は藤吾の手を握って離さない、藤吾もまた指先まで震えるその手を離さなかった。
「藤吾ちゃん、大丈夫か?」
家まで送り届けた相田が心配そうに声をかける。
「かっちゃん、きょ、今日はありがとうございました。ま、また何かあったら助けてください」
大丈夫だと藤吾は言えなかった。だけど老田の友人である相田もショックを受けていると思って、藤吾は礼を述べて別れた。
家に上がると、藤吾の背に琥珀が抱き着いた。そのまま堰を切ったように泣き始める。家に帰るまで我慢していたのだろうと思い、藤吾は黙ってその背を貸した。
「お、落ち着いた?」
「うん、ありがとう藤吾さん」
藤吾は琥珀が泣き止むと、二人分コーヒーを入れた。泣き腫らした赤い目をしているが、時間をかけて気持ちを落ち着けた。
「あの琥珀さん、聞いてもいいですか?」
互いに無言でコーヒーを飲んでいたが、藤吾が話を切り出した。
「うん、いいよ」
「お、老田さん再発って言われてました」
「そうだね、その話しなくちゃ」
琥珀はマグカップを置いた。
「おいちゃん私が高校二年生の時に膵臓癌って分かったの、私全然勉強どころじゃなくて、おいちゃんの傍に居たくて休学したの。それが私の留年の理由」
「そうだったんですか」
琥珀の成績が優秀だと木谷が言っていた。謎の空白はそういう事だったのかと藤吾は納得した。
「手術もしたし、入院もした。その後の治療も全部一緒に居たかったんだけど、おいちゃんに怒られて復学したの」
「老田さんがたまに早引きって帰ってきたのって、もしかして通院だったんですか?」
「多分そうだよ、藤吾さんに心配かけないように、そう言ってたんじゃないかな」
老田の事を思うと藤吾は涙が込み上げてきた。老田は今まで一度も、表情や態度に不調を現したことはない、それどころか藤吾の事を気遣うばかりだった。
「よし!」
琥珀はパンと手を叩いて立ち上がった。
「暗くなってるだけじゃ何もできないよ、藤吾さんまずご飯食べよう!」
時間はすっかり夜になっている。藤吾は緊張が解けたのか途端に空腹を感じてきた。琥珀と藤吾は一緒に夕飯の準備をした。いつも通りの生活をだけで、心は少し安らいだ気がした。
老田は二日後に退院してきた。藤吾も琥珀も待ち望んでいて、家事もいつも以上に気合を入れて行ったので、あちこちぴかぴかになっていた。
「おいおい、すごく綺麗にしてあるな」
老田は家の様子を見て呆れ顔をしたが、笑っていた。
「二人とも俺が居なくてもきちんと生活できてたな、偉いぞ」
二人の頭に手を置いて老田は言った。藤吾は少し照れくさそうに下を向いたが、琥珀は心の底から嬉しそうに笑った。
机の周りにいつもの三人が揃って座る。藤吾は老田に頼まれてコーヒーを用意した。そうして一息入れると老田は真剣な顔で話し始めた。
「これからお前たちに話すのは俺の過去。俺も二人の思い出の旅路に加わらせてもらう」
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