第8話

 藤吾は琥珀の誘いで文化祭に足を運んだ。とは言え一人ではない、老田と共に親族として参加している。一緒に見て回ろうとも思ったが、老田は琥珀の担任教師に呼ばれて応接室に行ってしまった。藤吾は見て回るのは諦めて事前に聞いていた琥珀の教室に向かった。高校生の若く瑞々しく眩しい気配にとても耐えられないという理由もあった。

 三年生の教室が並ぶ階層は、文化祭当日ではあるがそこまで活気づいていないように感じた。受験勉強を控えている三年生は熱の入れ方に大きく差が出てしまう事もあるだろう、それでもすれ違う生徒たちは皆楽しそうにしていた。三年という短い間でも、共に過ごした日々の思い出に花を添えるために精一杯力を注いでいるのだろう、自らの過ぎし日と重ねて藤吾は少しセンチメンタルな気分になった。

「藤吾さん!来たね!」

 琥珀が藤吾を見つけて駆け寄ってきた。周りの生徒と同じように文化祭用に作成したTシャツを身に着けている。

「あれ、おいちゃんは?」

「あ、こ、琥珀さんのた、担任の先生が話があると言われて」

 琥珀が一瞬眉をしかめたように見えたが、いつもの明るい調子で笑顔に戻る。

「来てくれてありがとう藤吾さん、人混み大丈夫?」

「は、はい、老田さんもいますから。それに劇楽しみにしてますから」

 琥珀の頬は少し赤らんだ。

「もう、そんな期待しちゃだめだよ。そんなすごいものじゃないからがっかりさせちゃうかも知れないし」

 それでも琥珀はうれしい気持ちを隠せない。

「私そろそろ衣装とかメイクとか準備の時間だから行くけど、一人で平気?」

「は、はい。が、頑張ってく、ください」

 藤吾の応援に琥珀はにんまりと笑顔で応える。

「そうだ、うちのクラス教室休憩所になってるから、そこで座って待ってなよ。おいちゃんもすぐ来ると思うし」

 教室を覗いてみると、簡素な飾りつけが施された空間に、椅子と机が並べられているようだった。生徒数も少ないので藤吾はそこで待たせてもらう事にした。

 手を振って準備に行く琥珀を、同じく手を振って見送った後。教室の空いている椅子に藤吾は腰掛けた。玄関で配られていたパンフレットを読んで時間を潰そうかと思っていたら、二人の女子生徒が話しかけてきた。

「あのー、琥珀さんのお兄さんですか?」

「は、へ、え、へ?」

 突然話しかけられて藤吾は狼狽えた。もう一人の女子生徒が続ける。

「突然すみません。私たち琥珀さんのクラスメイトです」

 それを聞いて藤吾はぎこちなく会釈をする。二人も会釈を返した。

 事情を聞くと、クラスの中で琥珀と比較的交友のある関係だと分かった。琥珀は一年留年しているので、年齢が一つ違う。若く狭いコミュニティで一年の差は残酷なまでに大きい、琥珀は明るく人懐こい性格なのでクラスから浮くことはないが、どこか自分から線を引くように接していると、藤吾は二人から教えてもらった。

「それで、今までお兄さんがいるって聞いたことなくって、ちょっと気になったんです」

 返答に困ってぐっと唇を噛む、どう言えばいいだろうか答えを探していると老田が教室に入ってきた。

「そいつは俺の親戚で琥珀の従兄だよ。都合があって今家で預かってるんだ」

 女子生徒の一人が「老田さん」と声を上げる。どうやら知り合いのようだ。思わぬ助け舟に藤吾はほっと胸を撫でおろす。

「琥珀がいつも世話になってるな、ありがとう。どんな様子か教えてくれないか?」

 老田の女子生徒への対応は驚くほど手慣れている。普段から琥珀の話し相手をしているからか、会話もそこそこの盛り上がりを見せている。

「そうだ藤吾、琥珀の様子を見に行ってやれ。ぼちぼち準備もできてるだろう」

 話していた女子生徒の一人が、演劇部の使っている教室の場所を藤吾に教えてくれた。老田とは会場の体育館で落ち合うことにして、藤吾はそこに向かうことにした。


 学校の目立たない奥まった教室が演劇部の部室だ。第二準備室のプレートの下に、演劇部と書かれた手作りの看板が掲げられている。

 教室の前まで来たものの、忙しそうに走り回っている生徒に声をかけるのは至難で、仕方なく藤吾は邪魔にならない所に立つ他なかった。

 公演まで時間もない、時計を見て会場に向かおうとしたところで、琥珀は藤吾を見つけた。

「藤吾さん!どうしたの?」

 藤吾は琥珀の姿を見てハッと心奪われた。クラシカルな赤いドレスを纏い、アップスタイルにアレンジされた髪型に、きらびやかな装飾品に彩られ、物語に出てくるようなお姫様そのものだと思った。

「あ、あ、あ、あの、お、老田さんに、よよ、様子を見て来いって」

 隠そうとしても抑えられぬ動揺に藤吾の声は震える。琥珀はそれに気が付いてくるりと回転して見せた。

「これ普段見ないような格好で驚いたでしょ。メイクもほら遠くから見ても分かるようにしてるんだよ」

 ぐいと顔を近づける琥珀に、藤吾は自分の顔が真っ赤に染まっているのが、鏡もないのに分かるほど緊張した。

「と、と、とても綺麗です。にああ似合ってます」

 藤吾は精一杯絞り出せてこの程度しか言葉がでなかった。それでも琥珀はとても嬉しそうに笑った。

「ありがとう。来てくれて嬉しい、ちょっと緊張してたけどこれで百人力だよ」

 琥珀は藤吾の手を取ってぶんぶんと振った。そんないつもの調子を見て、藤吾も少し緊張がとけた。

「こ、琥珀さんは、ど、どんな役なんですか?」

「私は姫の役だよ、出番は最初の方だけだから、そんなに出番はないけどね」

 こんなに姫の衣装が似合っているのに、序盤だけの出番なんて勿体ないなと思い、藤吾はそのことを聞いてみた。

「三年生はもう自由参加なの。だから一年二年生に主要な役割は譲るんだ」

 受験勉強や就職活動等、高校三年生ともなれば将来を見据えての活動も活発になる。その兼ね合いで何部であっても大体は部活動を辞めることが決められている。それでも参加希望さえあれば、こうして行事に参加することが出来る。

「私はもっと端役でもよかったんだけど、部の皆が姫役をくれたの。嬉しいけど、こんな格好はちょっと恥ずかしいよね」

「そ、そんなことないです。こ、琥珀さんの出番が、た、楽しみです」

 琥珀は照れ笑いを浮かべて感謝を述べた。そのうちに部室から琥珀にお呼びがかかる。

「じゃあ、またね」

「はい、う、上手くいきますように」

 今度は藤吾から琥珀の手を握った。琥珀は顔を真っ赤に染めて、藤吾は真剣な表情で握手を交わして二人は別れた。


 会場の照明が落とされる。開演を知らせるナレーションの後、舞台袖からこの劇の語り役が出てくる。

「昔々、どこか遠い国のお話。富や名声のすべてを思いのままに手に入れた王様がいました。そしてその王様には我儘な一人息子の王子様がいました。その王子様は父である王様の権力を笠に着てやりたい放題を繰り返していました」

 幕が開かれ王子役がステージ上に立つ、演技の過程で弱者から物を奪ったり、物を壊したり、余興と称して辱めを受けさせたりとやりたい放題であった。

「お前たち、よく覚えておけ!私は偉大な父の一人息子、この国の王子である!私の命令に従えないものがどうなるか、想像しただけでも恐ろしいだろう!」

 そう言って王子役は高笑いをする。中々に真に迫った演技で藤吾も、隣に座る老田も感心した。

 場面は変わり王宮での舞踏会が開かれる。王子はそれを退屈そうに眺めて椅子に座ってふんぞり返る。

 一瞬会場がざわめく、藤吾はすぐに気が付く。琥珀が舞台に上がったのだ。手作り感あふれる大道具や背景に比べて、琥珀の美しさはとても浮いて見える。しかし逆にそれが次のシーンの説得感を持たせた。

 王子は姫である琥珀に一目で心奪われたのだ。今だ舞踏会が行われているステージの照明は薄く落とされて、琥珀にスポットが当たる。次に王子にスポットが当てられセリフが始まる。

「何と美しい姫君なのだ。私は必ずあのものを手にする。あの比類なき美しさは私にこそ相応しい!」

 ライトが落とされて幕が閉じる。舞踏会は終わり、幕が開くと琥珀と王子役の二人が舞台に立っていた。

「美しき姫、君のために私はすべてを手に入れよう。望むままの贅沢も、思うままの財宝もすべて君のために用意させよう。さあ愛しい人よ私のもとへおいで」

 王子役は大仰な身振りで手振りで気を引くためのセリフを言う。しかし姫役の琥珀はそれを一蹴する。

「王子様、私はあなたのものにはなりません。あなたは私を手元に置きたいだけ、飾って眺める調度品の一つにすぎないのです。そんなものに私はなるつもりはありません。私は隣にいる誰かと笑顔を交わし、苦労を共にして生きたいのです。それが私の愛、私の心です」

 王子はその言葉に激怒する。そうして姫を処刑してしまった。

 幕が下りて、また語り役が出てくる。

「すべてが思うままになっていた筈の王子が手に入れることのできなかったもの。それは愛でした。人の心だけは、どれだけ強大な権力でも豪華な財宝でも好きなようにする事ができなかったのです」

 幕が上がる。ぼろ布を纏った王子役が打ちひしがれているシーンのようだ。琥珀の出番はここまでらしい、堂に入った演技に藤吾は感動していた。

 物語は進む。姫を勝手に処刑してしまった王子は、父である王様の怒りを買い国から追放されてしまう。失意のまま王子は考える。自分がなぜ姫の愛を手に入れられなかったのか、何故思い通りにならなかったのか、自問自答の放浪の旅の末王子は行き倒れる。そこで貧しい村に住む村娘に命を救われる。村娘の献身的な行動に王子は胸を打たれて、やがてその村娘と共に痩せた大地を耕し始めた。土埃に顔を汚し、泥に塗れて、いつかの絢爛豪華な装いの王子は見る影もない。しかし隣にいる村娘と笑顔を交わして気づく、王子が自らの我儘で手にかけた姫の語った愛について、いつの間にか自分がその愛を手にしていたことに。

 王子は手にかけてしまった姫を思い、深く深く後悔をした。村娘にも自分がいかに非道な人間であったかを打ち明けて立ち去ろうとする王子。それを村娘は引き留めて二人は協力して姫のために大きな墓石を建てた。これからは二人で償っていく、村娘は王子の咎を一緒に背負うと王子に言った。

 そうして王子は心を入れ替えて、村娘と協力しながら痩せた土地を肥沃な大地へと変えた。いつしか姫の墓石の周りに人が集まり、王子はそれをシンボルとして王国を作る。国の名前には王子に愛する心を伝えたあの姫の名前が付けられたのであった。


 盛大な拍手が上がり劇は終わる。役者や部員たちが皆ステージに集まり手を繋いでお辞儀をする。拍手の音がもう一段改大きくなって劇の大成功を称えた。

 琥珀はステージから藤吾と老田を見つけると、楽しそうに手を振って笑顔でありがとうと呟いた。それを見て藤吾は手を振り返し、老田は拍手の音を強めた。

 光輝く舞台と琥珀を見て、藤吾の秘めた決意は揺らぎ始めていた。

 思い出交換を終えたら二人の前から姿を消す。固めた筈の決意が藤吾の胸の奥底を押しつぶして痛めつけるのであった。

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