青春色のボーダーライン
三日月誘那
第1話 心がざわつく始業式の朝
「今、あなたは何も見ていない。私とあなたは会っていない。いいわね?」
淡々と冷静に説得しているように聞こえるが、状況によって意味が変わるのが言語の面白いところだと思う。自分と相手の2人しかいない部屋で、目の前、数センチのところまで迫られ無表情のまま言われたとしたら……。そう、単なる脅迫でしかない。しかも、俺のような彼女いない歴=年齢の冴えない男子高校生に対して、誰しもが見ても美人だというであろう女子高校生が言い寄っている。
普段過ごしているはずの図書室が今は異質な空間に感じる。読書するときにゆっくりと流れている時間は止まり、窓から射し込んでいる光に温度はない。外からわずかに聞こえる、登校中の生徒の話し声が唯一、俺を現実とつなぎ合わせてくれている。逸らしていた視線を、目の前の女性にゆっくり向けなおす。その整った顔立ちに圧倒され、息をすることすら忘れそうになる。目はきりりとつりあがっていて、これ以上目を合わせてしまうとこのまま吸い込まれてしまうのではないかと不安になるほど漆黒に染まった瞳。筋の通った高い鼻に鮮やかな唇。それらが完璧に調和しているのにもかかわらず、かわいい・綺麗といった感想にならないのは、その表情から『生』を感じることができないからだろうか。
「あら、聞こえていないのかしら。それとも、聞こうとしていないのかしら?」
「ひゃ、ひゃい!。聞こえています!忘れますから!だから何もしないでくだしゃい!!」
我に返り、反射的に出た言葉。みっともない。これは俗にいう、『どうしてこうなった』というやつじゃないか……?
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「オハヨウ!アサダヨ!キョウモ、イチニチ、ガンバロウ!」
某有名通信教育講座のイメージキャラクターの声に起こされる。正しく言うと、妹が愛用している目覚まし時計だが、隣の部屋だというのに鮮明に聞こえる爆音。もう中学3年にもなるのにいつまで使っているんだと数えられない程言いたくなったことはある。俺の部屋の扉が開く音がし、誰か入ってくる。
「おはよう! お兄ちゃん。ってまだ寝てるの? 早く起ーきーて!!」
「閃光弾だ! 伏せろ!」
妹がカーテンを開けるのと同時に布団にもぐる。
「……何言っているの? お兄ちゃん」
「大輝ー! 陽菜ー! 朝ごはん出来たわよーー!」
「はーい! 今行くー! お兄ちゃんも、早く支度しなー」
俺がもぐりこんだ掛け布団をひっぺがし、部屋を去っていく陽菜。朝強すぎません……? ただ、中3にもなるのに反抗期もなく純粋で快活な我が妹に目覚まし時計を変えろって言えるわけない。そんな妹に言われてしまったら、起きざるを得ないのも事実。疲れてもいないのになぜか重く感じる体を起こし、洗面所に向かう。まだ冷たく感じる水で顔を洗うとやっと視界がはっきりとした。階段を下りていくと、陽菜はすでに制服姿に着替え終え運動靴に履き替えようとしている。
「お兄ちゃん、相変わらず朝弱いねー。お先に! いってきます!」
「おー、いてらー」
短い会話をすまし、元気よく家を出ていく陽菜。まだ朝7時だが、始業式だというのに部活の朝練があるらしい。体育会系の部活は大変だなと思いながらもスマホの電源を入れるとまだ7時。家を出るまでまだ約1時間ある。優雅にコーヒーでも嗜みつつ朝食をいただける時間を作ってくれたと考えれば、
「12位は……、ごめんなさーい。 みずがめ座のあなた! 新たな出会いをしても第一印象が悪くなる予感! 今日はおとなしく過ごすのが無難かも……。ラッキーアイテムは『ピアス』」
おいおい、新年度初っ端から最下位かよ。今までおいしく感じていたコーヒーが急に苦くなった気がした。残りのコーヒーを飲み終え、冷え切ったトーストをサクサクと食べきる。ごちそうさま、と律儀に言った後、シンクに食器を置いて2階に向かう。ちょうど自分の部屋に戻ったタイミングでRINEの通知音が鳴った。
『悪い、今起きた。先行ってくれ』
『おk』
短い業務連絡をした相手は
『次は――
通勤・通学電車は年度初めだからか、いつもよりも落ち着きがない学生が多かった。改札を出て、正面の追浜銀座通り商店街を学生は歩き、大人が走っていく。高校の近くには大手自動車メーカーの工場があり、工場までのシャトルバスが商店街途中のバス停から出ている。駅からそのバス停まで、多くの大人が我先にとダッシュしていくこの光景は1年も通ってしまうと見慣れたものだ。商店街を抜け、異臭を漂わせるどぶ川とその川に沿って植えられている菜の花、そして満開の桜が、まばらではあるが登校している生徒を迎えている。いや、マジで臭い。嘔吐きそうになったのはきっとこの臭いのせいだろう。『神奈川県立夏島高等学校』と書かれた校銘板が取り付けられている正門の前、1度立ち止まって、買ってきていた水を1口飲み、吐き気を落ち着かせる。よし、行くか……。
学年が変わり新しくなった昇降口に向かうと、壁に新学年のクラスが張り出されている。1学年240名弱。7クラスあるうち、俺は2年1組だった。年度初めは出席番号ごとに座るだろうから、前後の人くらいは確認しておこう。前の人は知らない、後ろは……まじか。
『新たな出会いをしても第一印象が悪くなる予感!』
ふと、今朝の占いが頭によぎる。いや、錦織千草に関しては大丈夫だろう。第一印象というのは良くも悪くもその人に印象を与えられているというわけで、基本的に話す女子が限られる俺からしたら錦織千草と関わる可能性があるのは回ってきた配布物を渡すタイミングくらいだ。普通に渡せば印象に残ることはないだろう。大事なのは印象に残らないことだ。
旧棟から最近建て直された新棟にある図書室に向かいながらそんなことを考えているうちに、あっという間に図書室につく。引き戸を開けて、中に入ると新築独特のにおいと本の香りに包まれる。窓側が全面ガラス張りになったことで春の暖かい日差しに照らされ、電気をわざわざつける必要もない。広さでいうと普通の教室2つ分程度の図書室は前方に読書兼学習用の机といすが並び、それとは別に窓側にいくつか読書用の席が用意されている。後方に本棚が並ぶほか、入り口近くには回転式の棚がいくつかおかれている。通称ラノベ専用棚。最近は窓際の席で陽に当たりながら、オタク主人公が幼馴染金髪ツインテ―ル、黒髪毒舌先輩、バンドボーカル兼ギターの従姉妹、キャラが立っていないヒロインとともにゲームを作っていくラブコメを読むのが1人で登校した時の俺のルーティンになっている。
窓際の特等席へ足を運ぶと珍しく先客がいた。窓から吹き込む暖かい風に揺れるポニーテール、本を眺める横顔は凛としていて美しく。ガラス張りの窓から見える桜と射し込む光に照らされているその光景は、一瞬美術館にいるのかと錯覚してしまうほどだった。呆気に取られて立ち尽くす俺に、その絵画の中の女性、錦織千草が気づく。パタンと本を強めに閉じたことで、止まっていた時間が動き出した。その本のタイトルは『転生したらあの雑魚キャラになった件』。……は? え、あの錦織千草が読んでいたのってまさかのラノベ……? 数秒前まで何も考えることを放棄していた脳内がフル回転し始める。あの美人がラノベ読んでいるってまじか! しかも転生モノって意外過ぎるだろ。
愕然としていると、風を感じる。肌に触れたそれに温度はなかった。目の前には、錦織千草が立っていた。
「今、あなたは何も見てない。私とあなたは会っていない。いいわね?」
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