第9話 お姉さん×夜桜



 「そろそろ行きましょう」


 買い物から帰って、ご飯を食べて少し一服して時間は午後八時を回ったくらいだ。

 これから俺達は、昨日ニュースで見て何となく見たくなった夜桜を見に行くのだ。

 ニュースで見た場所とは違うけど、そばの川沿いの土手に桜並木があるのだ。


 「早速着てみたよ」


 お姉さんは、クルっと俺の前で一回転した。

 着ている服は、外行きの服も欲しくなるだろうからと買った服だ。

 少し残念なところがある人だけど元の素材がいいだけに何を着ても似合ってしまうのだろう。

 ちなみに、俺は選ぶのに苦労して結局はお姉さん任せにした。


 「似合ってますね」

 「やったっ!」


 お姉さんは、小さくガッツポーズをした。

 ちなみに今着ているのはモカカラーでスポーツテイストのトップスと夜目にも鮮やかなレースだ。

 俗に言う春コーデってやつなんだろう。

 俺は、そういったことには疎いからよく分からないけど。


 「鍵よし」

 「よし!」


 玄関ドアの鍵を閉めて、お姉さんと二人で再度確認する。

 

 「二人で戸締り確認なんて、なんか夫婦みたいだね」


 いや、勝手にやってるのはそっちだろ。


 「そうですねー」


 適当に反応しておくことにした。

 ライトを持って来たけど、月明かりだけで十分歩けそうだ。


 「今日は、月が綺麗ですね」


 夜空を見上げて俺は言った。

 そこに他意なんてなくて、あくまでもただの感想だ。

 街明かりで星なんて見えないけど、空には雲が少なくて月は綺麗に見える。


 「死んでもいいわって返すべきかな?」


 お姉さんは、、どこか蠱惑的な顔でそう言った。

 

 「二葉亭四迷ですか?別に月が綺麗って言葉に恋愛的な意味は無いですよ?」


 明治の文豪、二葉亭四迷はロシア語で告白を受ける際の言葉をそう訳したらしい。


 「よく知ってたわね」

 「お姉さんこそ」

 「そりゃあ私、大学は文学部だったしね、それくらいは知ってるよ」


 ちなみに月が綺麗ですね、っていうのはアイラブユーを夏目漱石が訳したところから来ている。

 実際にそんな告白を聞いたことは無いけど、そういう言葉を使う人は、よっぽど文学的なのだろう。


 「思ったんだけどさ、そのお姉さんって呼び方そろそろやめない?」


 言われてみれば、俺はお姉さんの名前を知らない。

 

 「確かに、お姉さんも俺の事、君って呼びますもんね」

 「今更だけど、自己紹介しようよ」

 「そうしましょう」


 さすがにいつまでもお姉さんって呼ぶわけにいかないしな……。


 「それじゃ私からいくね。私は雪村ゆきむら柚乃ゆのっていうの。君は?」


 柚乃って名前なんだ。

 それを聞いて、この人らしい似合った名前だなと思った。


 「俺は、高森和哉って言います」

 「いい名前だね」


 俺は自分の名前を特別いい名前だと思ったことは無いけどな。


 歩きながら自己紹介をしたりしているうちに、川沿いの土手へと到着した。


 「お姉さん、着きましたよ」


 ちょうど8分咲き位で盛りを迎えた桜が、月の光に照らされて夜目にも鮮やかな色合いをみせている。


 「綺麗……」


 お姉さんは、そう言うと並木道へと足取りも軽く駆けていく。

 俺は、その後ろ姿から目を離せなかった。

 月明かりに照らされて美しいのは夜桜だけじゃなくて、柚乃さんもだ。

 柚乃さんの纏う白いレースが、月に照らされて輝いている。

 レースの所々にスパンコールで花柄があしらわれているからとかそういう訳じゃなくて柚乃さんの雰囲気と月に照らされてる夜桜という、少し非現実的な雰囲気がすごくマッチしている。


 「和哉くん、来ないの?」


 柚乃さんが、こちらを振り向いて手を振った。

 夜桜なんかよりも、俺は柚乃さんの姿に知らないあいだに魅せられていた。


 「ひょっとして私に見惚れた?」


 茶化すような顔で柚乃さんは言ったけど、俺は

 

 「……そうかもしれません」


 と返した。

 柚乃さんに聞こえてたかは知らないけれど。

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