九膳目
第26話 引っ越しには豚の醤油漬け・上
新居となる赤坂の六軒長屋は、ここと違って隙間風がなさそうな綺麗な家で、見に来た俺達のテンションは上がった。ここの長屋と同じ作りなので、喧嘩することなく同じ並びで家に入る事にした。
北側の並びは、八百屋の源三さん、浜松商店のまつさん夫婦、俺達の順。井戸を挟んだ南側に、活動弁士の勝吉さん夫婦、小説家の高藤さん、美人絵師の龍弦斎先生こと辰子さん。井戸を挟んだ向かいが辰子さんの家で、若い女性の一人暮らしに気を遣える。隣は辰子さんと仲が良い、人がいい高藤さんだしね。
二月中に引っ越しをしろという事だったので、大人たちは仕事の合間を縫って三日間休みを取り、全員で力を合わせて引越しをする事にしたようだ。男たちが荷物の運び係、女たちは掃除や仕分けを。引っ越しの役に立てないような俺としのは、まつさんの所の清と治郎の世話を見るのと、みんなの分の飯を用意する係に名乗り出た。
家族の多さと荷物の量を考えて、一日目は源三さんの家とまつさんの家。二日目は高藤さんの家と勝吉さんの家。最終日が俺達の家と辰子さんの家だ。
一人暮らしの源三さんは荷物が少なくて、早々に終わった。まつさんの家は子どもが二人いる四人家族なので、荷物が多い。おっかさんはまつさんとりんさんに「子供の面倒を見ておいて」と言われて、片付け部隊から外されたようだ。どうも、陽気に歌を歌い出してゆっくり着物をたたむおっかさんは、マイペース過ぎて
学校もあるから、という事で昼飯は蕎麦かうどんと握り飯。晩飯は握り飯と汁物、それから何か一品となった。それなら、俺としのだけでも出来る。朝採る出汁はいつもの分よりずっと多く用意しておき、折角だから麦飯ではなく白米握りにしよう。
取り敢えず引っ越し期間三日の食費は、一家庭十五銭を出し合った。家族の多さ関係なく、引っ越しの手伝い込みでそうしようと話し合ったのだ。こういう所が、同じ長屋に住む仲間意識だろう。俺は引っ越しの前の日に、三日分の食事の材料をしのと買いに行った。
最初に綺麗さっぱり物がなくなった源三さんの家に、全員が集まり昼の食事をとる事になっていた。朝と昼に分けて、二件分の引っ越し作業をするのだ。俺としのは下駄の音高く急いで帰り、急いでみんなの食事を作った。メニューは山菜蕎麦と白米握り、瓜の糠漬け。竈の火もこちらに移していたので温かいが、箪笥やら大きなものを運んだ男たちは暑いくらいのようだ。ちなみに源三さんの知り合いの酒屋から、
「
高藤さんが家の中に入ってくると、続いて松吉さん、源三さん、勝吉さんがぞろぞろと続いた。高藤さんが俺の事を「恭ちゃん」と呼び出して、何となく長屋で俺の事をそう呼ぶ人が増えてきた気がする。
「はい、出来てますよ! 皆さんどうぞ」
ガランとした部屋には、源三さんの布団以外座布団もない。それでも気にせず、それぞれみんな腰を落としてしのが淹れたお茶を飲んでいる。
「そよさんの子供の、恭介君としのちゃんだね。ちゃんと話すのは初めてになって、申し訳ない。りんの夫の間宮勝吉です。りんから話は聞いてます。長屋の為に、商人相手に交渉までしてくれて有難うね」
丸眼鏡をかけた、高藤さんとはまた違った人の良さそうな三十手前くらいの男性だ。子供の俺達にもぺこりと頭を下げて、お礼を言ってくれた。
「いいんですよ、りんさんだってこれから手伝ってくれるんだ。同じ長屋で助け合おうじゃないかい」
そんな勝吉さんにおっかさんがそう言うと、もう一度彼はぺこりと頭を下げる。
「りん共々、これからよろしく」
「はい、よろしくお願いします!」
しのがそう言って同じように頭を下げる。そう言えば、しのの眼鏡をまだ取りに行ってなかったと思いながら、俺も頭を下げた。
蕎麦に入れた山菜は、セリ、ナズナ、ノビルだ。源三さんが、「昨日残ったから、折角だし皆の飯にしてくれ」とくれたのだ。源三さんの店には、山菜を採って売りにくる人もいるそうだ。その日は沢山採れたそうで店で薦めて大半が売れたのだがやはり残ってしまったらしい。俺はそれを有難く受け取り、今日の山菜蕎麦にした。
「うん、美味い。やっぱり恭ちゃんの料理は良いねぇ。何より出汁が美味い! 蕎麦が進む」
蕎麦をすすった高藤さんの言葉に、握り飯にかぶりついていた松吉さんも頷いた。
「普通の素材でも、出汁が効いてて美味くなりますねぇ。握り飯の握り加減もふっくら柔らかで、塩が濃いのも有難い」
「米を握ったのは、しのですよ。皆さん汗をかくから、しょっぱい方がいいだろうって」
「ほぅ、流石双子の妹だ。しのちゃんにも料理の才能があるんだねぇ」
現代で言うイケメンの高藤さんの言葉に、しのは嬉しそうな顔をお盆で顔を隠した。その様子に、皆が笑っていた。
「――やっぱり、皆で食う飯は美味いねぇ……」
湯飲み片手にその様子を見ていた源三さんは、いつもの頑固爺の様な
「そうだ、引っ越しが終わったら男衆だけで飲みに行きませんか?」
勝吉さんの言葉に、高藤さんが手を叩いた。
「そりゃいい! 是非一度行きましょうや――残念ながら、恭ちゃんは大人になってからな?」
「大人ってずるいなぁ」
治郎に蕎麦を食わせながら俺が拗ねてそう言うと、また皆がどっと楽し気に笑った。
やっぱり、俺はこの長屋の皆が大好きだ。しのに視線を向けると、しのも嬉しそうに笑って見せた。おっかさんも嬉しそうに唇の端を上げて、煙管の煙をゆっくり吐いた。
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