第22話 鰯のつみれ汁と大事件!・下

 高藤さんと辰子さんと別れてから、俺はしのと一緒に夕飯の買い物に出かけた。魚屋に立ち寄った時、「いわしが安いよ、新鮮だしね!」と店主に勧められた。そう言えば、節分の時に鰯を食べなかったなと、俺は勧められた鰯を買った。朝炊いて残っていた麦飯は高藤さんに出したし、残りは微妙な量なので鍋にしようと考えていた。前に鳥団子を作ったし、今度は鰯でつみれでも作ろう。俺は鰯を十匹ほど買い、源三さんの八百屋に行き白菜と葱も買った。木綿豆腐は、昨日買ったのが残ってある。


 家に帰ると、早速買ってきたばかりの鰯を三枚に手早く下ろしていく。しのはさっき使った竈に残っていた火を大きくしてくれて、井戸に水を汲んでくれている。火の番をしてくれていたおっかさんは、俺達と交代に仕事に行く用意を始める。

 三枚下ろしにした鰯はぶつ切りにして、しのと一緒にすり鉢でミンチにする。途中、味噌と片栗粉、臭みを消す細かく刻んだ生姜を入れた。本当ならうまみ成分の味の素を入れたかったけど、まだ発売されていない。でも、確か百年ほど経っているはずだからもうすぐ発売になるのかもしれない。鍋に昆布を入れておいたので出汁で補おう。

 それを丸めて、沸いた湯が入っている鍋に落としていった。温かな湯気の中、ふわふわと鰯の団子が泳いでいる。俺が灰汁を取りながら鍋を見ている間に、しのが白菜と葱、豆腐を切ってくれていた。

「じゃあ、あたしはお座敷に行ってくるよ」

 綺麗に化粧をしたおっかさんが、三味線の入った袋を手に部屋から出てきた。相変わらず、十になる子の母と思えないくらい若々しくて、綺麗だ。その姿には、一瞬見惚れてしまう。

「おっかさん、頼むね!」

「分かったよ。ちゃんと連絡して貰うから、任せときな」

 俺が玄関に向かうおっかさんにそう声をかけると、おっかさんは笑ってそう言ってくれた。しのはきょとんとしていたが、その意味を思い出して隣でうんうんと頷いていた。


 出ていくおっかさんを見送り、残りは鍋の味付けだ。そろそろ十六時になるので暗くなってきた。竈は明るいが、薄暗い家の中しのが石油ランプを点けてくれる。

 鍋に白菜と葱、木綿豆腐。それに少し残っている麦飯を入れて、残っていた一番出汁と塩と酒、醤油を入れた。醤油が入ると、湯気と共に香ばしい香りが家に漂うのが何だか楽しい。

「あ、ちゃぶ台出すね!」

 しのは最近俺がメインに料理をしだすので、雑用的な事を率先して行動してくれるようになっていた。重い水を運んだりする女の子にさせたくない仕事なのだが、しのが「だって、兄ちゃんが美味しい料理作ってくれるから」と笑ってくれるのだ。こんなにいい妹がいても、いいのだろうか。

 俺は糠漬けの大根と胡蘿蔔にんじんを取り出して、とんとんとリズムよくまな板で切った。そのリズムは、俺がここに来て初めてしのが作ってくれた芋粥の薩摩芋さつまいもを切る音に似ていた気がする。


 ちゃぶ台には、鰯のつみれ鍋と漬物。それだけだ。令和では、食卓に並ぶ品数も多いだろうし色々な味付けが出来る。でも、この「温かくて家族で食べる食事」がどれほど大事か、この時代に来た俺にはそれが分かった。源三さん、高藤さん、辰子さんは家族が居なくて一人きりの食事だ。寂しくて、味気ないだろう。辰子さんの「温かい食事は久しぶりだ」という言葉は、俺にとって衝撃だった。令和の時代も、もっと美味しいものを食べているのに一人で食事をする人が多い。食事が、楽しみではなく義務や「生きる為だけ」になっている。明治はそうならないように、皆が楽しく食事できるように――その為に俺は腹を決めたのだ。


「さ、しの食べよう」

「うん!」

 俺は椀に鍋の中身をいれて、しのに渡す。猫舌のしのは、早速鰯のつみれを箸で掴むとふぅふぅと冷ましている。俺も同じようにつみれを摘まむと、一口齧った――うん、美味い! 魚の油は肉と違いあっさりしているが、旨味が肉のそれと違って味わい深くて体に沁みる。生姜のお陰で臭みが全くなく、味噌と醤油でより鰯の味が濃く感じられて、小骨も気にならなかった。豆腐にも鰯の味が染みていて、箸が止まらない。麦飯も雑炊のようで、これなら腹いっぱいになる。

「美味しいねぇ、骨が気にならないのがいいね。新鮮だって魚屋さんが言ってたの、本当だね! 魚団子食べたら、じゅわって鰯の油と出汁が出て来るよ。生臭くなくて、ふわふわしてるよ。片栗粉のお陰かな?」

 しのは嬉しそうに、本当に嬉しそうに俺にそう話しかけてきた。俺の料理を、どうやって美味しいか頑張って伝える様に。

 そう言えば、現代の俺の家では食事中の会話は怒られなかった。友人に聞いたら、「静かに食べなさい」としつけられていたそうで、驚いた事を何故か思い出した。それを母に聞いたら、「おばあちゃんの家の教えで、食事は家族の会話が出来るところ」という事らしかった。

「これ、明日おっかさんが食べられるように残しておいてね。本当に美味しいし、おっかさん魚好きだし」

 しのが、鍋の中身を確認しながら必死に俺にそうねだってきた。しのも俺もおっかさんが好きだから、しのの気持ちは俺にも勿論分かっている。

「ああ、ちゃんと明日おっかさんが食べられるように残しておくよ」

「有難う、兄ちゃん! あ、でもこの豆腐もう一つ食べてもいい?」

 食いしん坊で家族想いで頑張り屋の、俺の大事な可愛い妹。俺は笑顔でしのの頭を撫でてから、鍋から豆腐を上げてしのの椀に入れてやった。



 次の日の朝。しのが起こしてくれる前に目が覚めると、俺の枕元に紙が置かれていたのに寝ぼけ眼で気が付いた。間違いなく、おっかさんの字だ。目を擦りながら、俺はそれを読んだ。短く、一言だ。


 ――けふ今日、昼一時に我が家で



 俺はその紙を握り、深く息を吐いた。

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