きみのことを好きだなんて、クソほど恥ずかしい。

花麓 宵

第1話

 本当、可愛くねーな──生まれて何度言われたか分からない。


「ヒメー、ちょーっと、お願いあるんだー」


 甘えるような猫なで声に無言で振り向けば、「やだ、ヒメ、こわーい」とさえが口を尖らせた。


「何」

「お願いっ、数学のノート見せて! 今日当たっちゃうのに宿題忘れちゃって!」

「いいよ別に」

「ありがとぉー!」


 無造作に差し出すと、さえはほころぶような笑みを浮かべて受け取り、スキップでもしそうな勢いで自分の席に戻っていった。その机の周りにはすぐさま「さえちゃん、またノート忘れたんだ」「いっつもノート見せてもらってんじゃん」とさえの仲がいい男子が群がる。誰もが認める美少女のさえはいつも男子に囲まれている。


「だって、数学すっごく得意だったのに、中学入ってから難しくてー。ヒメが得意で助かった」


 語尾にハートマークでもついてそうな声音で、私にも十分聞こえる──つまり教室中に聞こえる音量で言う。なんなら、振り向かなくてもわかる、さえは両手を絡めて、嬉しそうにポーズをとっているんだろう。


「あー、姫城ヒメしろ、ねー……」


 ついでに、私を見る視線の正体だって、振り向かなくてもわかる。


「マジで、姫城が“姫城”なの、クソ謎だよな」

「姫城が“姫城”って、分かりにく」

「そーだけど、分かんだろ? あの見た目で、姫城はねーよ」

「ちょっと、そういうこと言わないで」


 そうやって止めるのは、いつもさえだ。別に止めなくてもいいのに──そう内心溜息を吐きながら、聞こえないふりをするために、本を取り出した。


 私の苗字は、“姫城”だ。別にそれ自体は大した問題じゃないんだろう。でも問題は、私がそんな苗字に分不相応な顔面偏差値と性格だということだ。兄弟は双子の兄二人、年の離れた従兄が三人、そんな男達に囲まれて育った私の性格は、よく言えば青竹を割ったような性格、悪く言えば可愛げの欠片もない男勝り。髪はずっとショートボブ、前髪だって邪魔だからという理由で額が見えるくらい短く保ってきた。陸上部だったから、走る最中になびく髪もないのは実際楽だった。顔面偏差値については、自分の顔をまじまじと眺めたくもないので割愛するにしても、視力が落ちて眼鏡をかけたので、少なくともそれに伴い顔面偏差値も落ちた。


 一方で、同じ教室には、彼女こそ“姫城”の苗字に相応しいのに、その容姿・性格に似付かわしくない地味な苗字を持つ“山野谷”がいる。


 私とさえは、二年生のときから同じクラスだ。身長が同じくらいだから、体育の授業で前後になり、何かとペアを組む機会が多かったのが仲良くなったきっかけだった。初めて見たときは、これがうちのクラスまで噂の聞こえていた美少女か、と納得するレベルの可愛さに驚いた。さらさらストレートのセミロング、人間の目ってデフォでこんなに大きくてパッチリしてるのかと思うくらい大きくてぱっちりした目に、めちゃくちゃ綺麗で白い肌。花のヘアピンをセーラー服の襟にちょっとつけて、ソックスのワンポイントと一緒にささやかなオシャレをしているのにも目が行った。そんなあざとい見た目のくせに、さえを悪く言う人は誰もいない。つまり性格もめちゃくちゃにいい。おかしいだろそんなの、と正直悪態さえ吐きたくなるほど完璧な美少女だ。


 そんなさえのフルネームは、“山野谷やまのやさえこ”。多分、その氏名を見た後に本人を見たら、そのギャップでまずやられるだろう。若しくは座席表と実際の座席がずれているのだろうと思うか。


「いやー、でもさ。よりによって、“姫城”の名前が“麗華”なのは、さすがに笑うだろ」


 そして、片や、私──苗字が姫城で名前が麗華れいか


 最低最悪、芸名でもそんなわざとらしいほどのお姫城様ネーム見かけない。苗字は仕方がないとしても、この名前をつけた両親のことを、私は心底恨んでいる。コンプレックスどころの騒ぎじゃない。のっぴきならない事情があれば改名できると知って以来、私は改名のタイミングを虎視眈々こしたんたんと狙っている。とっとと捨ててやりたい、この名前。


「姫城さん」


 ふ、と視界の前に顔が突然現れ、ぎょっとして体をのけ反らせた。辛うじて声は上げずに済んだけれど、多分上げてたとしたら「うおっ」。助かった。


「なんだよ、松隆」


 一生懸命平静を装い、本に栞を挟み、横髪を耳にかける。松隆が私の反応を笑う気配はなくて安堵した。


「月曜の図書委員の話なんだけどさ。新刊購入の検討なんだって、聞いてる?」

「なんだそれ。聞いてない」

「だよね。俺も聞いてなくて」


 ぺらりと、松隆は紙を一枚取り出した。B5サイズのそこには、松隆が言った通りの表題がポップな字体で並んでいる。


「朝、教卓にさりげなく置いてあった。多分、図書委員長が配り忘れてたんだろうな」

「ああ、そういう……」


 来週の月曜日は委員会の日で、その議題が新刊購入の検討。きっと本来は、二週間くらい前に、今松隆の手にある紙が各教室に配布されて、図書委員がそれに基づいて説明をして、クラス内で新刊希望のアンケートをつの手筈てはずになっていたんだろう。要は、図書委員長の手違いだ。


「……今更希望があるとも思えないよな。うちのクラス、本好きな人いないじゃん」

「だよね。それこそ俺と姫城さんくらいなんじゃない?」


 ごく自然に、松隆は私の前の空席に座った。横向きに座って、少し体をこちらへ捻って、私の机の上で頬杖をつく。


「じゃあ、もう私達で適当に書けばいいんじゃないか」

「まー、それが妥当だよね。一応、そんなのうちのクラスだけされてないって苦情出ても嫌だから、告知だけはしようかと思ったんだけど、それでもいい?」

「いいよ、別に」

「了解。それで、姫城さんは気になってる新刊あるの?」

「んー、成葉なるは菖子しょうこの新刊が出たから、それとか」

「めちゃくちゃ私欲だね」


 はは、と松隆は明るく笑った。頬杖を外して、私に顔を向けて、笑う。


「『Everlasting Last Words』でしょ?」


 やっぱり、松隆もしっかりチェックしてる。そのことに、内心少し喜びを噛みしめた。松隆と同じものを気になっていると言えた、自分に。


「それ。気になってるけど、まだハードカバーだから買えない」

「躊躇うよねー、ハードは。でも待ってたらいつ読めるか分からない」

「だから新刊で希望。あわよくば学校に買ってもらいたい」

「でもなぁ、うちの学校が成葉なんて買ってくれるのかなあ。ラノベじゃん、あれは」

「まあ、出版社と表紙はな。イラストがついてるから漫画アニメと同類でくだらないみたいに言われるのは納得がいかない」

「それはそうなんだけどね。今の図書委員長も、ただの推薦狙いだし、難しいんじゃないかな」

「じゃ、松隆が入れたい本は?」


 委員長に上げる前に松隆に却下されてしまったとしても、大した問題ではなかった。松隆が、私の気になる作家の新刊を、知ったかぶりでもなんでもなく、ごく当然のように答えたことが、嬉しかったから。


「俺は……紙屋かみやしおりの『コバルト・ブルー』かな」

「……ふうん」


 でも、松隆の挙げた作家とその著作を知らないことが、心に翳りをもたらす。


「好きなんだ、紙屋栞。心理描写がすごく丁寧で、なんていうんだろう、文章とか、ストーリーが優しい」


 そのくせ、私が知ってるかどうかはさしたる問題ではないかのように、自然に話を続けてくれる優しさが、そのセリフには滲む。


「……どういう話なんだ、その『コバルト・ブルー』は」

「んー、青春もの。まだ携帯電話がなくてさ、手紙とかポケベルでやりとりしてるような時代で、文通してる友達同士の話」

「恋人じゃないのかよ」

「ま、そこは、ね。面白い──コメディ系の面白いとは違うんだけど、ちょっとほっこりするようなシーンもあって。久しぶりに会う約束して、ハチ公前で集合したら、お互い時計見ながら『来ねーなアイツ』って三メートル離れたところで一時間くらい待ってるとか」

「なんだそれ。携帯電話がある今、そんなの考えられないだろ」


 なんて言いつつ、私は携帯電話を持っていない。中学生の間は要らないと親が言うし、私もメールだの電話だのに必要性を感じないからだ。ただ、東京で待ち合わせをするのなら大人だから携帯電話くらい持っているだろうし、そうでないにしても、さすがに親の携帯電話を借りるくらいはすると思う。


「それが昔は普通だったんだって。そういうところもだけどさ、すごい、当時の情景が目に浮かぶような文章とストーリーになってるんだ。それでもって、地方と東京で離れ離れの友達同士が、たまに相手のことを思い出して懐かしくなる気持ちの描写とか、自分の感情として噛みしめたくなるくらい優しいんだ」


 セリフ通り、松隆の顔は優しかった。「実写化しやすそうな話だからさあ、映画にならないか期待してるんだよね、実はそういう話があるみたいで」と熱く語るその姿に、私の顔が熱くなるのを感じて、慌てて本を手に取った。


「じゃ、それでいいんじゃないか」

「いいの? 俺の希望じゃん」

「別に、いいだろ。いま聞いてて面白そうだったし」


 これで話は終わりだ、と言わんばかりに本を開くけば、「そっか、分かった。また放課後にね」という柔らかい声が聞こえた。当然、それに添えられた柔らかい──私の感じの悪い態度に欠片も気を悪くする素振りも見せない──笑みも、しっかりと眼前に映っていた。


 松隆がいなくなってから、誰にも気づかれないように溜息を吐き、眉にかかる前髪をくしゃりと握りつぶした。額は汗ばんでいた。


 あれをイケメンと言わずしてなんという──松隆は、そういわれるレベルのイケメンだ。生徒手帳の証明写真すらイケメン。私が半目の残念な写真になっているのに、松隆は誰も文句をつけようのないイケメン写真。


 柔らかい物腰、誰にでも丁寧で、優しく笑う。そのくせ友達と莫迦騒ぎする少年らしさもある。頭も良いから試験のたびに周りに頼りにされて、運動神経も良いから体育も体育祭も球技大会も全部スター。文化祭だって、一般開放されてたら暴動が起きているだろう。そんな完璧超人は、おまけのように財閥のご子息というステータスまで持っている。


 松隆のことは、さえと同じく、一年生の時から噂で知っていた。物凄いイケメンがいる、と女子が騒いでいて、興味のない私の耳にも必然的に耳に入った。というか、廊下ですれ違った瞬間に分かった。ありえない顔の整い方に、あれが噂にならないはずがないから、噂の松隆はあれだと分かった。


 そして、私は、私が見下すキャピキャピ女子と全く同じく、一目惚れした。しいて言い訳をするなら同じクラスになって喋ってから好きになったけど、喋る前から目で追ってたし、喋って二分で好きになったんだから、一目惚れと同義だ。


 正直、恥ずかしかった。私は、松隆のことをよく知りもしないのに好きだのなんだの騒ぐ女子を、正直見下している節があった。松隆の顔だけで全部判断して、取り囲んでキャッキャとこぞって可愛い子ぶるなんて、莫迦莫迦しいという気持ちで見ていた。莫迦な子達だな、という気持ちでさげすんでいた。それなのに私も例外なく松隆を好きになるなんて、自分が恥ずかしかった。


 それだけじゃない。男勝りな自分が、男の子を好きになるなんて、とても口には出せない恥ずかしいことだった。


 同じ図書委員になったときに、ドキリと心臓が跳ねたこととか、松隆と話すときに、いつもより一層ぶっきらぼうな受け答えしかできなくなることとか、松隆に気づかれないように目で追ってみることとか、そんな自分の反射的な行為が、恥ずかしかった。

 二時間目が終わった後、三時間目の数学が始まる前に、さえはノートを返してくれた。


「ひーめ、ノートありがと」

「ん」

「ね、前から思ってたけどさぁ、松隆くん、姫城とよく話すよね?」


 私の机の隣に屈みこんで、机に腕を載せて、小首を傾げて笑って見せる。そんな仕草だけでも可愛いし、狙ってやってるとしてもさえなら許せてしまうレベルの可愛さだ。


「図書委員だからだろ、いつも話してるのも図書委員の話だしな」

「そーかな? だって前の学期、松隆くんから私に話しに来ることなんてほとんどなかったよ?」


 前学期、松隆とさえが学級委員だった。見てて眩しくなるくらいの美男美女学級委員で、カップルと言われてもきっと誰も疑わなかった。こちらが惨めになるくらい、お似合いだった。


「あんま用事なかったんじゃないか」

「むしろあったけどなー。松隆くん、先に一人でやっちゃうから、二人で話し合う時間なかったんだよねー」


 ぷっくりと頬を膨らませてむくれて見せる、そんなの、私がやったら放送事故だ。


「……本の話が好きなんじゃないの」

「でもねー、私、『ショコラスイート』が好きだよって話したのに、松隆くん、読んだことないなーの一言で終わらせたんだよねー」


 さえの言う『ショコラスイート』は携帯小説原作で映画化したほど著名とはいえ、恋愛ものだ。松隆が好きだと挙げる本の中に恋愛ものはほとんどないし、松隆が英語以外で横書きの小説を読むイメージがなかった。そのせいだと思ったけれど、何も言わずにおいた。


 英語もたまに読むんだけど、恥ずかしいから秘密ね──そう言われたことを思い出したから。私しか知らない松隆の秘密は、宝物だったから。


「あーあ、私も松隆くんの好きな小説読んでみようかなあ。何か知ってる?」


 さっき、『コバルト・ブルー』が好きだって言ってたよ、『Everlasting Last Words』も読んでみたいんだって──そう教えることはできた。


「さあ。松隆に聞いてみればいんじゃね」


 それなのに、言わなかった。さえが『コバルト・ブルー』を読んだら、今度は好きな小説だから、松隆はきっとその感想の話でさえと盛り上がるから。もし、松隆の言う通り、『コバルト・ブルー』が映画化されたら、以前その話で盛り上がった二人で、ごく自然に映画に行けるだろうから。さえが『Everlasting Last Words』を買って話せば、松隆とその本の貸し借りができるから。そうすれば、松隆とさえが、仲良くなるから。


 あぁ、ド汚い、醜い。そう罵ることは、心の中でしかできなかった。松隆にとってはプラスでしかない事象が起こることを、私は拒んで、止めた。さえみたいに可愛い子と話が盛り上がれば、松隆だって嬉しいだろうに、私はそういう松隆を見たくなかった。私と、『コバルト・ブルー』の話をしてほしかった。私が買った『Everlasting Last Words』を見て、今度貸して、と言ってほしかった。恋愛をしてる自分が恥ずかしいと思うのは、恋愛をしてる自分が、酷く自分勝手だからでもあった。


「もー、ヒメもさぁ、折角松隆くんと同じ委員会なんだから、少しは愛想よくすればいいのに」

「そういうの向いてないんだよ、私は」

「えー。私なんか、だって、悩んでるんだよねー。来週、バレンタインじゃん」


 ツキリと、胸の奥が針で刺されたような気がした。同時に、ドクンと心臓が慌てた。


「クラスで義理チョコ配ろうと思ってたんだけど……。……今年で最後だもんなぁ、松隆くんに会えるの……」


 松隆は、巷で有名なお金持ち高校に進学することが決まった。元々親にそう言われていたとかで、受験勉強の苦も全く感じさせず、余裕のままするりと受験して、するりと合格。結果、九割九分九厘の女子は松隆と離れ離れになることになった。私とて例外ではない。


「あーあ。どうしようかなぁー」


 ただ、そんなことはどうでもよくて。さえが松隆を好きだなんて、寝耳に水だった。


「さえって」

「ん?」


 松隆のこと、好きなの?


 中学生英語で簡単に言えてしまうほど、簡単な質問だ。それなのに喉に閊えて、出てこなかった。


 だって、「好き」って聞いたら、もう、私は身動きがとれなくなるから。何も聞いていなければ“知らなかった”で言い逃れできるけど、さえが松隆を好きだと知りながら、協力しないどころか自分が優位に立ちたがるなんて、性悪の権化ごんげ以外の何物でもないからだ。


「……いや、別に」

「ねー、ヒメ、一緒にバレンタインチョコ作らない? バレンタイン月曜日だから、日曜日に作ろ?」

「私が料理できるわけないだろ……性に合わないし」


 お菓子作りと料理を一緒くたにしてしまうくらいには、私は不器用だった。男勝りに育って、専業主婦の母親に甘えて家の手伝いもろくにしないのに、私に何ができるわけもない。


「何より、別に、渡す相手もいないし」


 そもそも、私なんかが、松隆にチョコレートを渡すなんて、末代までのお笑いぐさだ。


「えー。でもさー、折角のバレンタインなんだからさぁ、ケーキとか焼いて、ちょっとずつ配るのでもいいじゃん?」


 ケーキを焼くなんて、字面からして私には似合わない。思わず笑い飛ばしたくなった。


「いや、私はやんない」

「ちぇーっ」


 ……一瞬、松隆にチョコレートを渡す自分が、脳裏によぎった。月曜日は委員会があるから、自然と松隆と二人にはなる。でもって、図書委員でお世話になったから、なんてそれっぽい理由をつけられる。徹頭徹尾義理にしか見えない義理チョコを、自然に渡せる。


 そうだ、それがいいかもしれない、とさえの前では否定しておきながら、自分を説得した。


 どうせもう、高校を卒業すれば松隆に会うことなんてないし、義理だって言って渡せば、傷つかなくて済むし。義理の理由もついていれば、冷やかされても言い訳ができるから。

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