待って...

一匹屋さん

待って...

最近、毎朝登校するとき、俺は“やばいやつ”に跡をつけられている。

白髪、へそあたりまで伸びた汚い髪、極度な猫背、悪臭。

髪の毛のせいで顔は見えてはいないがそれが“やばいやつ”であることぐらいはわかる。


なんで跡をつけられているのがわかるのかって?


それは俺が毎朝家を出たらいつだって目の前の公園のブランコを漕いだり座っていたりしていて、その後俺が高校の門をくぐるまでいつも俺の後ろを歩いているからである。


そしてこれは最近気付いたことなんだが何かぶつぶつ呟いているらしい。

その声は小さすぎてどこの言語を話してるのかわからないというほど聞こえなかったが、やはりとても怖い。


もちろん学校に行く時間を早めたりいつもと違うコースで登校したりはしてみた。

その結果全部ついてきやがった。

ただ絶対についてこない場所がたった二つだけ存在していた。


まず一つは交番や警察署。

その理由は考えるまでもなくわかる。

俺が奴を通報することを恐れているからであろう。


そして、もう一つの場所が俺の通っている高校の近くにある山、通称吊橋山。


名前の通り吊り橋があるのだが、その高さと言ったらだいたい5~6mほどもあり、下を流れるのはとてつもない濁流。

『その橋を渡たりきったカップルは永遠の愛を授かる』という迷信もあるらしいがそんなことをするカップルはほとんどいなかっただろう。

なぜかその山を通るとき、奴は絶対についてこなかった。


ただ学校へはだいぶん遠回りになるってことでそのコースでの登校は長くは続かなかった。

そこで俺は幼馴染の弥に悩みを打ち明けてみた。


「そいつが吊橋山を避けているっていうことは吊橋山に何か嫌な思い出でもあるってことじゃないのか?」

「ああ。やっぱり俺もそう思うんだよな。」


吊橋山ではそんな橋があるせいでいくつもの事件が起こっているという噂もある。

奴が何か吊橋山での事件に巻き込まれていても不思議ではない。


それならばなぜその橋は補強されたりしないかって?


それはいくら直したところでその次の日には不思議と元の危険極まりない吊橋に戻っているからとそう言われているが実際のところどうなのかはよくわからない。


「それより裕也、お前京香ちゃんとまだメールしてんの?」

「ん?ああ一応な。」


俺が中学2年の時から付き合ってきた彼女、それが京香だ。

高校も一緒に登校しようと言っていたのに彼女は遠くへ引っ越してしまった。


「一応ってなんだよ。京香ちゃん、明日誕生日だろ。」

「弥、俺には京香の誕生日以上にやばい問題があるんだよ。」

「一回そいつに声かけてみれば?お前はなんでいつも俺の後ろをついてくるんだって。」


翌朝も、当然のように奴は前の公園のブランコに腰掛けていた。

公園を曲がるとこれまた当然のようについてくる。


ついこの前までどこの言語かさえもわからなかった奴のぼそぼそとした呟きは日本語であるということがわかるほどには聞き取れるようになっていた。


俺は弥にアドバイスされた通りに勇気を振り絞って奴に尋ねてみた。


「あんたなんでいっつも俺についてくるんだ。いい加減にしてくれ。」

「…て、……って。ねぇ…てよ。」


ぼそぼそとしたその声は次第にはっきりとしていく。

脳裏をかすめる記憶。

許されるはずのない非行。


奴がずっと下に向けていたその顔をおもむろにこちらへ向ける。

長く伸びきったぼさぼさの髪の隙間から片目だけが覗く。

大きな傷の跡。


そこからは無我夢中だった。

無我夢中で走った。

ひたすら走った。

奴はまだ俺の後ろをつけてきているのだろうか、気にはなったが俺は後ろを振り返らなかった。


慌てた人間はなぜか選択を間違えるようだ。


まっすぐ高校へ向かえばよかったものをあろうことか俺は吊橋山へ走っていた。


「さあ、来るならこればいい、何回だって死んでしまえばいい!」


今回は吊橋山に入っても奴は俺を追いかけ続けてきた。

それも俺の計算通りだった。

後ろから聞こえて来る彼女の声に怯えることはもうなかった。


「あぁぁああ、まって!待って、、!ねぇ待ってよ!!」


ようやく吊橋までついた。

あとはあの時と同じ。

ゆっくりと、慎重に渡った。


「どうして待ってくれないの。ねぇ待ってよ、ねぇねぇ待ってよっ!!!」


後ろから息を荒くしてついて来る彼女に橋を揺らされる。

しかしそんなことでは落とされまい。

バランスをとり、ゆっくりと、丁寧に渡る。


あのときと一緒だ。

俺が先に渡り終わり、橋の紐に手をかける。

この吊橋は端の紐を解くだけで簡単に落とすことのできる橋だった。



あのときも、それを知っていた俺は彼女をここから落としたのだ。

俺には、彼女が浮気をしていたということはもともとわかっていた。

あろうことかその浮気していた相手は親友の弥であるということも。

永遠の愛を授かる吊橋?馬鹿言うな、これはその“謳い文句”に騙された馬鹿を葬るための吊橋。

どんなに巨大な岩をも砕き、遥か彼方まで運んでしまえるように見えるこの激流に飲み込まれてしまえばもはや誰かに見つかるはずもない。


彼女にはもともとお母さん、というものがいなかった。

厳密にいうと、彼女がまだ10歳ぐらいのとき急な病によってこの世を去っていた。

その後彼女のお父さんは男手一つで子供を育てるということに限界を感じたのであろう、ある女性と再婚した。


その女性はもともとお父さんが子持ちであるということは知っていたのだがそれとは別で二人の間に別の子供を作りたいと考えていた。


しかしお父さんがそれを許可することはなかった。


最初からこのお父さんというのも子供が好きではないらしく、一人でさえこんなに苦労するのに二人はどうしても嫌だと思ったのであろう。


その結果、再婚相手の女性は説得を諦め別で二人の間に子供を産むことを望まなくなった。


しかしその女性は京香のことをあからさまに嫌った。

別の女の子供である、当然だったかもしれない。

しかしその仕打ちは異常で、暴力だけには止まらず、屋外に監禁したり、ゴミ袋に入れて持って行ったこともあったそうだ。


俺は中学3年の秋頃、京香が親友である弥と浮気していることを偶然知った。19時半、日は完全に沈みすっかり暗くなった夜、塾に行っているはずの京香が駅にいるのを見つけた。声をかけようとしたがそのとき弥がそこに現れたのだ。

その怒りの矛先は弥ではなく、京香へと向かった。俺は嘘をつかれたのだ。京香に騙されたのだ。裏切られたのだ。

問い詰めたりはしなかった。次第に膨れ上がった憤りは殺意となった。


俺は、まず彼女の過去を入念に調べた。するとそのうちに殺してしまっても大丈夫なのではないだろうか、ということが確信が芽生え始めた。

再婚相手の女性の仕打ちがこれだけ酷いのに、実のお父さんである彼は助けに入ったりその仕打ちをやめさせたりすることも全くない。

これはこのお父さんがもともと子供嫌いであったことと関係していないはずがなく、俺はこのように確信した。


彼女のお父さんと再婚相手の女性のこの二人は、この二人ともが、京香の死を望んでいる。


俺は敢えて京香の誕生日に殺人計画を実行することに決めた。

場所は例の吊橋。


『誕生日に永遠の愛を授かる、素敵だろ?』


とても単純だった彼女はやはりすぐに乗ってくれた。

この吊橋はちょっと危ないから、そう言って俺は彼女よりも先に橋を渡り始めた。

あまりにも先に進みすぎていたためか、彼女が後ろから俺に声をかける。


『ねぇちょっと待って、それってほんとうに一緒に渡るってことになるの?』


俺は後ろを振り返らない。


『待って、ねぇ待ってよ。』


渡りきった俺は笑顔でさっと後ろを振り返る。

そしてただの一秒すらかけることなく紐を解く。

最後に贈る言葉も忘れない。


『京香、お誕生日、おめでとう!!』


甲高い悲鳴を上げて濁流に飲まれる彼女を上から眺めるのは実に最高だった。

わずか数十秒、すぐに川は血の赤色で染まり彼女の姿はわからなくなってしまった。

その光景に俺は笑い転げた。


その夕刻、京香の家ではおそらくなぜ帰ってこないのかと騒いでいたことであろう。

ただ俺には一つ、確信があった。


再婚相手の女性がなんと弁明しようとしたところで京香のお父さんがもっとも疑うのは常に彼女のことであろう。

もちろん警察に届ければ彼女の虐待行為もばれ、それを止めることなく見過ごしたお父さん自身も京香殺しの容疑者として疑われることになるだろう。

それはやはりお父さんとしてもいい話ではないはずだ。

そしてとても残念なことにそのお父さん自身さえも京香に対していい感情を持ち合わせていないようだ。


俺の確信の通り、その夫婦は警察には届けを出したりすることは一切なかった。


その代わりに彼女は転校したということになり彼女の家族もともにどこかへ引っ越していったのであった。


みんなにはまだ俺が彼女とメールしているということになっているが、そろそろ遠距離恋愛に二人とも疲れを感じ、自然消滅したということで別れたとみんなに切り出そうかと思っていた丁度その日ぐらいからであった。


そう、彼女が毎朝公園のブランコに姿を現すようになったのだ。


もちろん初めはそのホームレスのような風貌の彼女が京香だとは一寸たりとも思わなかった。

しかし自分の後ろをいつまでもついてきたり、吊橋山を避けたり、次第にこれはもしかすると、あの京香なのではないだろうか、そう思い始めていった。


それが今日、確信へと変わったのである。

『待って、ねぇ待ってよ。』と言っている彼女はもはやあのときの京香以外の誰にも見えなかった。

俺はあのときと同じようにさっと紐を引いた。

どのようにして彼女が生き延びたのか、今までどうしていたのか、久しぶりの再会を楽しみたいなんて気持ちはこれっぽっちもなかった。


「京香、お誕生日、おめでとう!!!!」


俺は満面の笑みでそう言って彼女をまた地獄へと落とした。そのはずだった。


「高校も一緒に登校しよう、って、言ってたよ、ね? ゆ・う・や。」


俺の身体から一気に血の気が引いたような気がした。

彼女は落とされる寸前で俺の足元まで走って来ており、吊橋が解けても彼女は俺の足に捕まって落ちていなかった。


俺もとっさに木の幹に捕まっていなかったら今ごろ目の前の彼女とともに濁流に飲まれていたことだろう。

背筋が凍った。


「だからね、私、最近、裕也と登校し、て、あげてたんだ、よ。」


彼女の長く伸びた汚らしい髪は重力に従い、それゆえにこちらを見上げる彼女の醜い顔面は完全にさらけ出された。

傷だらけ、血だらけ、それはこのことだなと思った。妙に冷静だった。

今から自分もこうなるのかもしれないとそうも考えた。

気味が悪い。嫌な予感がする。

彼女がいくらか歯が折れてなくなっている口の中を下品に見せびらかしながらケタケタと笑う。


「あなたも知っているでしょう?私は弥くんととてもいい感じだったんだ。そんな私が引越ししたってだけで弥くんにメールも送らないようになったら、おかしいと思わない?」


その瞬間俺は全身から血の気が引いた。

あいつは、弥は、全部知っていたのか......


手で捕まっていた木の幹が傾くのがわかった。

全部、弥が...


その瞬間、俺が捕まっていた木は完全に倒れ、俺も彼女も濁流に飲まれた。

また、川は血の紅色で染まっていった。


「幼馴染に、隠し事なんてできやしないさ。」


そう言った彼は片端だけでなんとか繋がれているその橋を小慣れた様子で長い鉄の棒を使って引っ張り上げ、解かれた片端をもう一度結び直して元の形に戻す。


「ほんとうにあのときと同じだな。まったく。」


彼はそう呟いてふっと一つ、溜め息をつく。


「さて、次は...」


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