第16話 正々堂々と一線を守る
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『ば、馬鹿な……! 結界が破られたのかッ!?』
アークシュベル王国における、リ=ズルガ駐留軍の総司令であるハルベリア・キース。イノ曰くの高慢ちきな軍人エルフ。もっとも、彼は純粋なエルフ族でもなく、他種族との混血であるいわゆるハーフエルフなのだが、イノからすれば、そのビジュアルはまさにフィクションで見知った〝エルフ〟に違いない。
イノは高慢ちきと評しているが、彼はアークシュベル王国においては、高慢ちきになっても問題はない程度にエリート中のエリートだ。
生まれも育ちも、その能力や実績も……そのすべてが認められている。そうでなければ、実質は属領化とはいえど、リ=ズルガという国の首脳陣と、直接的に交渉や折衝などできるはずもない。
しかし、順風満帆だった彼の経歴は、ここにきて傷が付く。今まで積み重ねてきた功績はともかく、今後の進退には大きな影響を与えるほどの事態だ。
結界に守られた領事館内へ侵入された上に、大立ち回りの末、表向きは賓客であるリ=ズルガの姫を目の前で攫われる。
しかも、その曲者を自分たちのテリトリーである領事館内で見失うという失態まで。
かと思えば、次は外からの攻撃魔法。それも結界を揺るがすほどの強撃。
そんな移りゆく状況に困惑する間もなく、ハルベリアは突如として姿を見せた曲者に一撃を食らい、そのまま意識を飛ばすという……栄えあるアークシュベル軍人としてはあるまじき醜態を晒してしまう。
失態に次ぐ失態だ。
更に更に、彼が意識を取り戻してほどなくして……領事館を覆っていた結界魔法が、強制的にその効力を失うという非常事態が降り掛かる。
ハルベリアからすれば、何が何やら訳が分からない。
それでも彼はエリート。
訳が分からないながらも、これらの事態が別々のものであるはずもない。一連の流れにあることは当然に察している。まぁこの場合、たとえエリートでなくても察するだろうが。
『と、とにかく侵入者を捕らえるのだッ! あと、ラー・グラインの捕虜どもを出せッ! 侵入者が反応するようなら、目の前で八つ裂きにしろッ!!』
『は、はッ! しょ、承知しました!』
事態の発端はあの広場でのやり取り。新帝国語を叫んだ……ラー・グライン帝国の捕虜に問い掛けたヒト族。ハルベリアはそう考えた。むしろ、それ以外にはないと。
『ハルベリア様! け、結界を壊したと思われるヒト族の女は!?』
『当然に捕獲しろッ! 館内の奴を含め、最悪生かすのは一人でいいッ!! 必ずや情報を吐き出させるッ!!』
事態は動く。動き続ける。まだ止まらない。
今回の事態がどのような形に収束するのか……この時点のハルベリアには分からないまま。
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「メ、メイ様……じ、実はすごく怒ってたりする……?」
腰が若干以上に引けた状態でそう問い掛けるのはレオ。調子に乗ってやらかす〝プレイヤー〟。
「……怒ってはないよ。ただ……二人に呆れてるだけ」
「(いや、めちゃくちゃ怒ってるよね!? さっきの一撃の時、ボソっと『……この馬鹿』って言ってたし! 今だって刀を握りしめる手がギリギリしてるしッ!)」
アークシュベルが現時点での魔法技術の粋を結集した結界魔法。それが刀によって斬り裂さかれるという……アークシュベル側からすれば、いっそ馬鹿馬鹿しくなるほどの非常事態。
その離れ業は、周囲の者が接近する不審者を止める間もなくなされた。
裂帛の気合、大仰な叫びや構え、力を溜めるための間などはない。
流れるように結界……正面玄関へと近づき、留まることのない川の流れのように淀みなく刀が抜き放たれる。
鷹尾芽郁の〝鷹尾芽郁の
わずかな静寂の後に、魔法の構成を司る命脈といえるナニかが断たれた。魔法について無知な素人でも、ソレがはっきりと分かってしまうほど決定的に。
アークシュベルご自慢の結界が斬られた。その効力が潰える。
一連の諸々はまるで演武。周囲の者が思わず見惚れるほどの所作。
結果から見れば、メイが静かに白刃が煌めかせたのみ。
まさに〝
ただし、当の本人の内面においては……レオが察した通りに激しく〝
肝心な場面でやらかす〝
「そ、それでメイ様? こ、この後は……? 真正面から結界をぶった斬っちゃった以上、密かに逃げるのは無理そうだけど……?」
レオは空気の読める子。メイの内心にある怒りには触れずに次のこと。
「……イノ君とレオが好き勝手にするなら、私もそれに合わせる。だけど、二人の好き勝手にはさせない。させたくない。はじめからこうしてれば良かった……」
「え、えぇと……メイ様?」
メイは空気を読まない子。いや、読めない子。ただただ目的に向かって手を伸ばし、歩みを進めるのみ。
『くッ! と、止まれッ!!』
『こ、ここから先は通すわけにはいかんッ!!』
メイの絶技に見惚れ、呆気に取られていた兵たちがようやくに再起動する。今さらながらに、不審者を排除しようと動き出す。明らかにその動きは鈍いが、二人のヒト族を囲もうとする。
「……止まらない。押し通る……ッ!」
〝静〟から〝動〟へ。
一気に振り切れる。
禍々しく妖しいマナを放つイノ&鉈丸とは対極のような……神気とでもいうべき清浄なるマナが、メイを中心として爆発的に膨れ上がる。
「……我が名はタカオ・メイ! 囚われとなったラー・グライン帝国兵の身柄を貰い受けに来たッ! 寄らば斬る! 斬られる覚悟がある者だけが来いッ!!」
今の彼女が出せる、正真正銘全力全開での《甲冑》の発動。
その名の通り、マナで構成された不可視の《甲冑》を身に纏うという【武者】クラスの基本的な防御スキルだ。
本来であれば、マナに素養のある者が注視して、ようやくに身を鎧う《甲冑》の姿を認識できる程度なのだが……
『なッ!? なんだあの姿はッ!?』
『コ、コレは……何らかの〝異能〟かッ!?』
今は違う。いわゆる
「ちょ、ちょっとメイ様ッ!?」
「……レオ。私の傍に……《甲冑》の効力がある範囲にいないと守れない。ついてきて」
怖ろし気な
しかし、被守護者たるレオの感想は別。
「えぁッ!? あ、は、はいッ!(やっぱりめちゃくちゃ怒ってる!? 圧が強いよメイ様!)」
勢いよくピンと背筋を伸ばしてシャキシャキとメイの後を付いていく。逆らうなど以ての外。
レオは、兜と面頬の奥にあるメイの瞳の中に、マジなトーンの怒りを幻視したとかしないとか。
領事館内に立ち入り、二人は歩みを進めていく。誰も止めようとはしない。まさに無人の荒野を行くかの如くだ。
『く……ッ!! ひ、怯むなッ!! ど、どうせ
この場での指揮権を持つと思われる、狐の獣人兵が叫ぶ。周りの兵たちを鼓舞する。
ただし、言っている本人の腰が引けてしまっているため、どうにも説得力がない。
すでにこの場の兵たちには、メイの歩みを阻む気がない。少なくとも、指揮官の命令や言葉掛けの工夫程度では、やる気など湧いてこない状態。
刀の一振りで結界を斬り裂き、神々しいまでのマナを発する甲冑姿の異形の戦士。
静かに、それでいて一歩ずつ確実に歩を進める彼女を前にして、多くの兵たちは遠巻きに見やるのみ。メイが近付いてこようものなら、ジリジリと後ろに下がるという体たらく。
兵士たちのそんな行動は、単純に力の差を見せつけられたからという恐怖や命惜しさだけでもない。
メイの発する
もしこれが、仮にイノと鉈丸が扱う、生ある者の根源的恐怖を呼び覚ますかのような禍々しいマナであったなら、兵たちは戦意を失わなかったかもしれない。〝放置しては不味い!〟という衝動や恐怖に駆られて、戦闘は継続していた可能性がある。
『き、貴様ら! 何を惚けているのだッ!? その異形のヒト族を止めるのだッ!!』
そう叫びながら、しっかりと自分も下がっている狐獣人の指揮官。
「……この至近距離なんだから、兵に命令する前に、まずは率先して貴方が私を止めればいい。もちろん、掛かってくるのであれば私は容赦しない……」
「(いやいやいや! 今のメイさんの前に立ち塞がるなんて無理だからッ! なんだかメッチャ怖いし!)」
狐獣人に向き直り、そんなことを言ってのけるメイ。しかし、この場の誰もが思った通り、指揮官の狐獣人は率先して侵入者を止めるような真似はしない。それどころか、更に後ろへと飛び退いてみせる。
かといって、レオは狐獣人のそんな様子を笑う気にはなれない。むしろ内心では〝まぁそうなるのも無理はないよね〟と、行動に理解を示すほどだ。
ただし、アークシュベル側の兵もそれこそヒトそれぞれ。
今のメイの前に立ち塞がる者がいないわけでもない。
『ふんッ! どいつもこいつも情けねぇなァ! こんなヒト族ごときにビビりやがってよォ! 俺が相手になってやる!!』
そんなセリフと共に現れたのは、ずんぐりとした体型ながら筋骨隆々の魔物……ゴブリン。しかし、その少し薄い肌の色や纏う雰囲気などから、リ=ズルガ王国のゴブリン戦士とは似て非なる存在。
ゴブリン種族の違いなどを見慣れていないメイたちであっても、その差がはっきりと分かるほど。
「……寄らば斬る。おとなしく、捕虜となったラー・グライン帝国の兵たちの身柄を引き渡して欲しい。彼らを連れ出せたなら私たちも引く」
「(え!? メイ様は本当にこのまま帝国のヒト族を引き渡せって交渉するつもりだったの!? さ、流石にそれは無理でしょ!? 私やイノのことを考えなしみたいに言ってたけど……メイ様の方が考えなしなんじゃ……?)」
思うだけで決して口にはしないレオ。守護者であるメイのご機嫌を、これ以上損ねたくないという保身に走る。
『ふははッ! ヒト族のくせに豪儀な娘だな! だが、こっちも遊びでやってるわけじゃないんでな! んなことを承知するはずもねぇだろうがッ!』
当然のことながら、アークシュベル側とてメイの言い分に〝はい、分かりました〟となるはずもない。あっさりと決裂。
「……そう。ならばとことんまでやる。私たちは
そう。メイは気付いた。
色々と考えてる風で、実はあまり深く考えていない上に、土壇場で好き勝手に振る舞うどこぞの〝プレイヤー〟たちの悪癖を目の当たりにして、彼女は考えを改める。
この異世界において、後ろ盾や寄る辺がない自分たちは、どう足掻いてもクエストの指示に従うしか道がない。クエストをクリアするしかない。
そのために、ごちゃごちゃとアレコレを考えて慎重に事を運ぼうとしても、イノとレオがこの調子だと、必ずどこかでやらかす。
なら、はじめから正々堂々と真正面から、クエストのクリアだけを考える方が良い。
この世界のヒトたちに迷惑を掛けたくない……などという倫理的なストッパーを外す。
自分たちの立場だとか、根回しだとか、細々とした日常生活の心配だとかは……一旦棚上げ。考えない。
〝プレイヤー〟の二人が、そういうことを深く考えていなかったことが発覚した以上……自分もそれに倣う。合わせる。
力尽くで押し通れるなら、あれこれ考える前に力で押す。
そして、二人をギリギリのところまで止めたい。留まらせたい。
『ふん! 訳の分からんことを! 俺様をこの国のひ弱なゴブリンどもと同じだと思うなよッ!!』
もっとも、そんなメイの心情など、アークシュベルの兵たちからすれば知ったこっちゃない。
訳の分からない事を抜かすヒト族を仕留めんと、ゴブリン兵は得物である剣を上段に構えて一気に踏み込む。
『オラァッ!!』
踏み込みながらの上段斬り。
確かに鋭い一撃ではあるが、今のメイであればあっさりと躱せる。何なら、白兵戦が苦手なレオですらその動きが見えている程度だ。
しかし、彼女は敢えて動かない。ただただその一撃を甘んじて受ける。
『んなッ!?』
ゴブリン兵の剣は《甲冑》に阻まれる。がつりと音を立てたのみで、脆弱なヒト族であるはずのメイは微動だにしない。むしろ、剣を当てたゴブリンの方がダメージを負うほど。
「……無駄。貴方では私に触れることもできない。戦いにすらならない」
『おごォッ!?』
メイは動きの止まったゴブリン兵に掌打を当てる。それだけで勝負あり。ゴブリン兵は軽々と吹き飛び、バウンドしながら転がっていく。
だが、彼女の動きはそれだけで終わらない。転がっていくゴブリン兵へ向けて、その場で片手で太刀を振る。当然に太刀は宙を斬るのみ。
周囲からすれば、メイがその場で刀を素振りしたようにしか見えない。
しかし、その意味はすぐに知れる。
ゴブリン兵が転がっていった先にある壁が……刀が振り抜かれた一瞬後に斬れた。分厚い建造物の壁がだ。
『ッ!?』
あまりにあり得ない現象。
思わず静止する場。
空白に包まれる中、転がっていったゴブリン兵のくぐもった呻き声だけが場に漏れる。
兵たちは誰も動けない。
ただし、それは目の前の現象に驚いてというだけではない。
異形の鎧装束を身に纏うヒト族による、神々しいマナでの凶悪な威圧によってだ。まさに蛇に睨まれた蛙状態。
「……見ての通り、今の私に生半可な攻撃は通らない。あと、寄らば斬るとは言ったけど、私は斬撃を飛ばすこともできる。この程度の距離はすでに私の間合い。刀を振り抜けば、この場の全員を一度に殺すこともできる。……もう一度言う。ラー・グライン帝国の兵たちを引き渡して」
それはあからさまな脅し。力でのゴリ押し。
メイは決めた。
イノのように分かってる風で中途半端に力を隠さない。その場のノリで、取り返しの付かない一線を越えるような真似はしない。させたくもない。
レオのように調子に乗らない。力を振るう意味を自覚した上で力を振るう。取り返しの付かない後悔をしない。させたくもない。
どうしてもやるというなら最初から全力で。遊びや様子見はなし。
ただし、決定的な一線を超える前に……殺し合いの前に全力で示威行為を行ってから。
その上で、それでも相手が闘争を選ぶというのであれば……。
ある意味では吹っ切れたが、ある意味では吹っ切れないまま。
それでも彼女は、イノやレオが軽々しく一線を越えることを善しとはできない。
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