夢視る少女の怪異奇譚
夜坂夜谷
第1話 はじまり
「…………………………ここどこ?」
目が覚めると、彼女は知らない場所にいた。
周囲はうっすらと黒い霧がかかっていて暗く、近くに見えるのは大小様々な大きさの岩岩のみで草木の一つも生えてはいない荒地であった。
ふと、姿を確認するとデフォルメされた蛇のイラストがと散りばめられた可愛らしいパジャマ姿のままで、靴下すら履いていない有様であった。
周囲を見渡し、自分の記憶にはない場所であることを確認すると、深いため息をついて呟く。
「面倒だなぁ…………」
普通ならばもっと慌ててもいいところであるが、実の両親からも変わった子供と称される彼女の精神は一般の子供のそれとは異なっていた。
最悪帰れない可能性すらあるのだが、そんなことよりも彼女にとってはこの事態を解決するために自分が動かなければならないのが面倒だったのだ。
「こっちかな?」
考えても仕方ないので、とりあえず彼女は自分から見て下り坂の方へと降りていくことにした。
理由は特になく、強いていうならば降りるほうが楽だと思ったからである。
そうして降り続けること数分、彼女にも周囲の風景にも少しばかり変化が現れ始めた。
降り続けているにもかかわらず、まるで標高の高い山にでも登っているかのように息が苦しくなり始めたのだ。
それに周囲の霧もだんだんと濃くなっており、視界も悪くなってきていたので、彼女は道を間違えたかもしれないと思い始めていた。
だが何よりも彼女が変だと思ったのは、この坂を下るにつれて小さな声のようなものが聞こえ始めるようになったことだった。
もちろん、周囲を確認しても彼女以外の人間も動物もいないにもかかわらず、ぼそぼそと声だけが彼女に耳に届く。
異様な空間、不気味な場所。進めば進むほどそのような印象を彼女は抱く。
もしかしたらこの先に進むにつれて声は増えていくのかもしれない。いや、声だけじゃなく姿まで見えるようになるのかもしれないと、彼女は思った。
「(この声の主がどのような人物かは知らないが、姿も見せず遠くからボソボソ呟くような奴なんて碌な奴じゃないんだろうな……。きっと不良よりも陰湿で厄介な人なんだろうな……。まあ進むけど)」
けれど、彼女は歩みを止めない。
どちらの道が正解なのか現時点では判断できないし、確認するのならば行き止まりまで進むべきだと思ったからだ。
けれど、そんな思いとは裏腹に彼女の体力が先に尽きてしまった。
肩で息をして、珠のような汗が地面へと落ちる。
まさに息も絶え絶えと言った様子の彼女は一旦休憩しようと近くにあった大きな岩の影に座り込んだ。
「あぁ、しんどい…………」
ぜぇぜぇと荒い呼吸をゆっくりと整える。
彼女自身、体力には自信があったはずなのだが、歩いた時間からしてもバテるには早すぎると感じていた。
「いつから、運動、音痴に、なったの、私? 帰ったら、面倒、だけ、ど、練習し、なきゃ、馬鹿に、される……」
思い浮かぶのはいつも顔を合わせる級友たちの姿。彼らは年相応に動き回るのを好み、彼女もいつもそれに付き合わされていた。
こんな程度でへばっていては、明日から彼らのいい遊び道具となってしまう。それだけは絶対に嫌な彼女であった。
数分間目を瞑り、息を整えることに集中していた彼女。その甲斐もあってか、次に目を開けた時には体力はすっかり回復していた。
しかし、変化はそれだけではなかった。
「あれ? 明るくなってる? それに、声も聞こえない…………どして?」
彼女が目を開けた時、辺りに立ち込めていた黒い霧はすっかり晴れ、視界も先ほどまでの薄暗いものからやや明るくなっているように感じた。
それにあれ程鬱陶しく囁いていた声も消え、辺りはしんと静まり返っているのだ。
やや疑問に思った彼女だったが、目が慣れたのだろうと思い気にすることはなかった。
再び坂を下る彼女。
心なしか先ほどよりも軽々と先に進めているような気がした。
進み進んで、ついに彼女は最奥へと到達した。
それは巨大な扉だった。
文字通り天にまで届く膨大な壁と彼女の身長の何十倍もあるかという巨大な鉄製の両開きの扉がそこに埋め込まれていたのだ。
無理だとはわかっていたものの、念のためにと扉を引っ張ってみるが、ピクリとも動かない。
「ハズレかぁ……」
彼女は自分が降ってきた坂を見上げる。
黒い霧はもうないものの、遠すぎて先が見通せないくらいには距離があるのが嫌でもわかる。
戻るしかないと頭ではわかっていても、その果てしない道のりに彼女にテンションは地の底に落ちていた。
どうしようかと扉に背を預けて悩んでいると、背中から何やら震えが伝わってくるのがわかった。
何か来る。そう思った彼女は思わず少し遠くにあった岩陰へと隠れる。
特に悪いことはしていないと思ってはいるものの、何かに見つかって騒ぎになれば面倒なことになると考えたのだ。
やがて、その振動が扉から離れているその場所でも聞こえるようになると、彼女は岩陰から少し顔を出して扉の方を見る。
するとなんということだろう、あのびくともしなかった扉が大きな地響きを立てながら一人でに開くのが見えたではないか。
少しワクワクしながら中から何が出てくるのか観察していると、扉から出てきたのは彼女の予想だにしない者どもであった。
全身を黒く染めた和服に身を包み、顔全体を白い布で覆い隠す女性たち。
その白い布には黒く大きく漢字で《禁》と印されて、さらに彼女たち全員が刀や槍、銃など何かしらで武装していた。
彼女自身はその漢字を読むことは出来なかったが、なにやら怪しい集団だということはなんとなくだが感じ取ることは出来た。
「(……あれ?)」
彼らを観察していて一つ気づいたことがあった。
彼女自身も祝い事の際には着物を着せてもらったことがあり覚えていたのだが、彼女たち全員の襟元が逆なのだ。
「(確か前のに着た時、左前は駄目ってお父さんが怒られてたんだっけ? 左前は死んだ人が着る着方だからって……。じゃああの人たち全員死んでるの? なにそれこわい)」
冗談半分にそんなことを考えられる余裕はあったらしく、意外と冷静さを保つ彼女。
数十名ほどの女たちがその門から出て行ったが、その後も門は開けっ放しのまま閉まる様子はない。
「(…………よし、行こう)」
少し考え、門の中へと進入することを決意した彼女。
もはや帰り道のことは頭から消えており、門の中に何があるのかを知りたいという好奇心が彼女の心の大半を占めていた。
念のために周囲を見渡し、小走りで門へと近づく。
誰に邪魔されることなく、彼女は門の前へと立つ。
中は暗く、外からでは一切様子を伺うことができない。
抜け足差し足忍び足。できる限り気配を消して彼女は門の中へと足を踏み入れる。
「(……!?)」
一歩足を踏み入れた瞬間、全身に悪寒が走った。
慌てて足を戻し、数歩後ろに下がる。
バクバクと心臓がまるでバイクのエンジンのように荒々しく鼓動を立てているのが嫌でもわかった。
冷や汗が止まらない、それどころか手は振るえや呼吸も荒くなってきている。
この先に進むと危ない。一歩踏み入れただけでもそう感じてしまった。
それは人間が持つ生存本能というべきものが、彼女へと警告していたのだ。
「……ふぅ」
慌てず騒がずまず深呼吸。
呼吸を整え、荒ぶる鼓動を鎮める。
「(何も怖いことはない。私はムテキ、私はツヨイ、私はサイキョー。OK?)」
自分に言い聞かせるように脳内で反芻する。
確かに見知らぬ場所に侵入するのは少しばかり罪悪感を覚えないことはないが、それは恐怖を覚えるほどではない。
むしろこの先にあるものを確認しなければ帰るに帰れないと言うもの。
恐怖を封じ込め、彼女は大きく目を見開き、再び門の中へ足を踏み入れる。
再び、正体不明の危機感が彼女の脳内にて警鐘を鳴らすが、あえて無視してもう一歩足を踏み入れる。
「…………わぁ」
足を踏み入れた先に広がっていた光景に、彼女は言葉を失った。
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