第2話
かくして猫は無事に見つかった。
僕は大声で猫の名を呼びながら、鴉の鳴き声に従って、杉林の奥へと潜り込んだ。その杉の枝や葉に埋もれる様に、震えながら掠れた声で鳴く猫を見つけることが出来た。
僕は猫を抱き上げて上着を脱いで包み、歩くたびに足が沈む枝と葉と木々の沼地から墓地へ出た。
サンダルで探し回った為に、僕の足はあちこち傷だらけになったが、猫は怪我も無く、無事に見つけることができた。
僕は頭上の木々に大声で感謝を伝えた。
ただの偶然であろうと、気のせいであろうと、鴉たちの鳴き声で僕は猫を見つけることが出来たのだ。
ありがとう。
ありがとう。
探してくれてありがとう。
このこは僕の大事な大事なトモダチだから、とてもとても助かったよ。
ありがとう。
本当にありがとう。
日が暮れていく肌寒い春先。
橙に照らされた景色の中、僕はしがみつく猫を抱きしめ、僕自身も歯をガチガチと鳴らすほどに凍えながら、ヒリヒリ痛む瞼を猫の額とくっ付けて家路へ急いだ。
あの時間に見つけられなければ、多分、その日の内に見つけるのは不可能だっただろう。共すれば、命に関わっていただろう。
僕はあの鴉たちは、きっと墓守なのだと勝手に思った。
別に餌付けをしている訳では無いし、怪我をした鴉を保護したことも無い。
僕は鴉たちにとって何の恩も無ければ利用価値も無い、もっと言ってしまえば虐げる側の人間という人種のモノなのだ。
僕はあの日の出来事は今も感謝している。
だからといって餌を与える訳でも何でも無いが、しばらくの間は鳴き声が聞こえたら、あの時はありがとうと大声で話掛けていた。
◇◇◇
居候の生活は続いたが、僕は色々な揉め事に巻き込まれ引っ越すことになった。
もちろん猫も一緒に連れての引っ越しだ。
居候の家には前記した様に兄がいるのだが、ともかくこの兄と僕は仲がよろしく無かった。
家族相手にだけ暴言と暴力を振るう兄が、僕はとにかく嫌いで嫌いで仕方が無かった。産まれて初めて殺意というものを持ったのがこの兄に対してであったくらいだ。
体裁の構築と暴力を恐れた親が兄に擦り寄る構図は見事に良からぬ宗教の上下関係の様だった。
しかし世の中、どういった訳か、このような人間の方が金を稼ぐ能力が高い。札束を見せびらかす態度や刃物をちらつかせて度々人生の成功者論を説教し、勝ち誇った様に毎度年下女を脇に連れ歩くこの兄が僕は心底嫌いだ。ただ、裕福に生活をしている点では羨ましさも無いとは言い切れない。僕はいつも、何をするにも失敗ばかりで、金を稼ぐ才能はゼロを通り越してマイナスなのだ。
言い訳めいた説明を省くと、この兄が結婚をするにあたり、精神異常者はこの家に置いておくなということで、僕は真っ先に追い出される運びとなったのだが、追い出されることが僕にとっては非常に嬉しいことだった。
僕は兄とできることなら顔を合わせるのも、声を聞くのも御免被りたかったからだ。
この引っ越しが決まり、数ヶ月後にこの部屋を出るという時期に僕は鴉に頼み事をされたのだ。
何度も言うが、幻聴でも妄言でも妄想でも異常者の虚言でも、好きに取って貰って構わない。
初夏の頃だったと思う。
猫と一緒に布団に潜り込んで寝ていた筈の僕は、気がつくと墓地に座り込んでいた。
地面の土の冷たさや、小さな石で足の裏や尻が痛いなあと思った。
墓地には墓石が円状に連なり、真ん中に小さな小屋があった。中には地蔵と千羽鶴や供物、線香や蝋燭立てが置かれている。
僕は膝を抱えた状態で、地蔵の佇む小屋の脇辺りの地面に座っていた。
眼は見えていたが、視界が狭い。
周囲は明るい気がするのだが、夜だと言うことだけは何故か解った。
それが何故なのかは説明できないのだが。
ただ夜だった。
そうして黒い鴉が数羽と、藁か何かで造られた巣のようなものの中に、一羽。
真っ白い鴉が居た。
真っ白い鴉は高齢なのか不明だが、動きが鈍磨で首を起こすにも苦労する程度に年老いている様子だった。
◇続
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