私のロックスター

コラム

***

私の大好きなバンドのボーカル、吉高よしたかしょうが傷害事件を起こした。


なんでも居酒屋で飲んでいる時に、一緒に飲んでいた相手をからかいすぎて殴られたようだ。


これがただの喧嘩ならそれほど大事にならなかったのだろうが。


吉高翔は事件後から数日が経っても病院から動けないようだ。


これでバンド活動は休止。


すでにチケットを取っていたライブもすべてキャンセルになり、私の楽しみは無くなってしまった。


もう明日から何を楽しみすればいいのか……。


ネットニュースで事件を知ってから、私は仕事すら休んでしまっている。


そんなに落ち込むなよと言われそうだが、翔のバンドはまだインディーズレーベルで音源を出す前からずっと応援していた思い入れの強いグループ。


まだ彼らが客を集められなかった頃からライブに通い、次第に増えていくファンや磨かれていく演奏力を目の当たりにしてきた。


私にとって翔のバンド――クレオスペクターは、誰も知らない頃から成長を見届けてきた大事なものなのだ。


それはまさに子供の成長を見守る母親の心境。


ステージで歓声を送られている翔を見ると、うんうんと頷きながら涙が止まらなくなる。


客観的に見れば、翔の歌はがなってばかりいて音程を外しまくるし、彼を支えるバックの音もどこにでもあるようなガレージロックの音なのだが、歌詞だけは飛び抜けて私の心をつかんだ。


翔の書く歌詞は一見理解できないような内容の詞なのだが。


実は文学的な響きや哲学的な意味が隠されている。


それに何よりも翔のステージングが素晴らしく、ライブ中にウイスキーの瓶を片手にそれを飲んで歌う様子は、私が学生時代に憧れたロックスターのようだった。


すでに三十代に入ろうかという年齢で、ひとりでライブに行くのにも飽きていた頃――。


そんなときにクレオスペクターと出会って、また音楽への愛情を思い出させてくれたことには感謝しかない。


家ではスマートフォンで取った彼らのライブ映像を流しっぱなし。


眠る時は彼らの音源に切り替えて、そのまま目覚めるまでかける。


さらに仕事終わりにはライブハウスへと走る。


こんな私にとってクレオスペクターが生活から無くなるのは、今すぐ死ねと言われているようなものだ。


翔を殴った奴を絶対に許さない。


そう思い立った私はインターネットを使い、彼を病院送りにした人物のことを調べあげた。


このご時世、大体のことはネットの検索で知ることができる。


ネットで犯人のことを調べてSNSアカウントにたどり着いた私は、そのあげられた画像や言葉から住所を割り出し、そいつの家へと向かうことにした。


流れてくるタイムラインからするに、奴がよく行く居酒屋が映っているものが多いため、側まで行けば自宅かその店を見つけられるはずだ。


調べていくと幸いうちからそう遠くなく、翔を殴った奴の家は電車で30分ほどの場所だということを発見。


明日が仕事であろうが知ったことかと足早でそこへと向かう。


移動中にそいつのタイムラインから笑顔で仲間たちと飲んでいる画像を見て、私は移動しながら苛立っていた。


翔をあんな目に遭わせておいて、自分は仲間たちとパーティーですか。


仲間は人生の宝、それを傷つける奴は許さないとか書いちゃって、こんなもの見てるだけで吐き気がする。


そして、駅周辺をうろうろしていると犯人が見つかった。


偶然にもそいつが仲間たちと店に入って行くのを見たのだ。


これは神様が一発かましてやれと言っているに違いないと、私は連中の後に続いて飲み屋へと入った。


店員の声をかけられても無視して連中の隣の席へと座り、怒鳴り込むタイミングを見計らう。


「でも、よかったよね。大した罪に問われなくてさ」


犯人の取り巻きが翔を殴ったことを話し始めた。


ネットで書いてあったニュースでは詳しいことは知れなかったが、どうやら翔を殴ったというのに犯人の罪は軽いようだった。


まさか警察は仲間内の小競り合いだと思っているのか。


そんなわけない。


これは立派な傷害罪だ。


今すぐ牢屋へぶち込まなきゃダメだろ。


私がわなわなと身を震わせていると、犯人の男が口を開く。


「でも、殴ったのはよくなかったかもしれない……」


それから犯人の男は話し続けた。


男が翔を殴った理由――。


それは彼の友人の女性が翔と付き合っていて、浮気をしていたからだという。


その話を聞いた私はさらに怒り、そのときの表情を見た店員が震えて逃げるほど顔を強張らせていた。


なんてくだらない理由で私のロックスターを殴ったのだ。


浮気くらいで、しかもお前は関係ないじゃないか。


居ても立っても居られなくなった私は、怒りに身を任せて椅子から立ち上がると――。


「そんなことしてもあいつは帰って来ないんだ……」


犯人の男は泣きそうな声で再び話を始めた。


なんでも翔の浮気が原因で、男の友人は自殺してしまったようだ。


理由が理由なだけに私の怒りは消えていき、再び椅子に腰を下ろす。


浮気ならまだわかるが、相手の女の子が死を選ぶほど追い詰めたの?


いや、質の悪いメンヘラ女に引っかかったんだと思い、私はスマートフォンで翔の女癖について調べてみると、多くの記事が載ってた。



大学生時代から長く付き合っている彼女がいながらファンの女の子とやるのは日常茶飯事。


ときには別れた恋人を呼び出して――なんというか、吉高翔は性欲に忠実なタイプのクズバンドマンの典型。


恐らくは思春期にモテなかったことからこうなったwww



犯人の男たちの話を聞きながらネットの記事を見ていると、今までならまず信じなかったことが本当に見えてきた。


しかも翔は、自殺した女と浮気相手以外ともやりまくっていたようで、事件をきっかけにSNSで急激に翔の悪口が盛り上がっている。


一体何人の女とやっていたのだと顔をしかめていると、ふと思う。


古参のファンでいながら私は翔に一度も誘われなかった。


ヤリ捨てさえされなかった。


単なる“蜜”だった。


蜜とはバンドのファンが、バンドメンバーに金品を貢ぐという意味のスラングだ。


そういえば翔のバンド――クレオスペクターのアルバムがインディーズチャートで上位にあがってから、握手会やランダムのくじ方式でのグッズ販売などが頻繁に行われ、隠していた姿もよく見るようになった。


単純に人気が出てきたことを喜んでファンサービスしていたのかと思っていたが、あれはそれだけではなく、ライブ後にやる相手を捜していたということか。


もちろん翔の音楽活動は慈善活動でもなんでもない。


だから儲かる仕組みを作っていくのは当たり前。


だから少しでも助けになると思ってこれまで何年も給与のほとんどをバンドに当てた。


だが多くの事実を知った私には、翔がしていることが“搾取”にしか考えられなくなっていく。


顔を合わせて口にしていた優しい言葉がすべてが嘘に感じてしまう。


急激に冷めていく推しへの熱が、私から覇気を奪っていく。


もう追いかけていた犯人の男などどうでもいい。


今夜は飲みたい気分だ。


好きの反対は無関心。


推しに嫌悪感を覚えてしまった私は、この気持ちは忘れるほど飲むしかないと店員に声をかける。


「ちょっと注文お願いしますッ! 軟骨、エイヒレ、塩辛、煮卵、梅水晶、たこわさ……あぁぁぁッもうめんどくせーッ! 日本酒全種類持ってこいぃぃぃッ!」


それから日本酒を全種類制覇した後から記憶がなく、起きたら自分の家のベットの上だった。


いつも通りショーツ一枚のみの姿で。


財布もスマートフォンもちゃんとあり、どうやら覚えてはいないが私は自力で帰って来れたようだ。


……むしろ暴れるくらい破滅型人間だったなら、推しだった彼も私の心配くらいしてくれたのだろうか。


まあいい。


頭はガンガンするが、シャワーを浴びて今日から出社しよう。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私のロックスター コラム @oto_no_oto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ