百番目 003
「モモさん、今回はお早いですね」
ようやく吐き気も収まってきたところで、不意にそんな声が聞こえてきた。
見れば、地下室の奥から一人の女性が姿を現す。
「ちょっと人手が確保できたもんでな、差し入れだ」
「それはそれは。ありがとうございます」
謎の女性は恭しく一礼し、ゆっくりと顔をあげる。
「……」
「おや、そちらにいらっしゃるのが新入りさんですか。はじめまして、シスターオリーブと申します」
「あ、はじめまして。レイ・スカーレットと申します」
「あら、女性の方だったんですね。それはそれは、何かと大変でしょう」
ん?
彼女はしっかり私の顔を見ていたはずなのに、性別で驚かれたような……。
「……シスターオリーブは目が見えないんだ」
私の疑問を察知したモモくんが、小さな声で教えてくれた。なるほど、言われてみればオリーブさんの瞳には色素がなく、何かしらの病気を抱えているのが見て取れる。
私より十個程年上に見える彼女は、いかにも修道女といった服に身を包み、とても落ち着いた雰囲気を醸し出していた。初めて話す相手に全く警戒心を与えないところなんかは、さすがシスターといったところだろう。
「こいつは新入りってわけじゃない……強いて言えば訳ありってとこだな」
「それはそれは。スカーレットさんも大変ご苦労なさったんですね」
「あ、いえ。私なんか全然……」
オリーブさんの気遣いをまっすぐ受け止めることはできない……目の前に広がる光景を見て、自分が苦労をしているなんて口が裂けても肯定できなかった。
「モモさんが助けるのは、大変な事情を抱える方だけですよ。彼は慈愛に満ちた人ですから……どうか自分の苦しみを閉じ込めないでください」
「……けっ。シスターらしいこと言ってんじゃねえよ」
思わぬ流れ弾に当たり、モモくんは恥ずかしそうにそっぽを向く。
「今日はこいつを好きに使ってくれていい。少しはあんたの仕事も楽になるだろ」
「こいつ、というのはどなたのことですか?」
「あ? だから、こいつだよ。一緒に連れてきた女」
「生憎目が見えないもので、きちんと名前で読んで頂かないとわかりませんね」
シスターはモモくんみたいな意地悪な笑みを浮かべた……あれ、結構俗っぽい。
「……スカーレットをこき使っていい。俺は上で別の仕事をしてくる」
口をもごもごさせて抵抗していた彼は、最終的に私の苗字を呼んで階段を上がっていった。
……モモくんに名前を呼ばれるの、何気に初めてかもしれない。
◇
「さて、スカーレットさん。申し訳ありませんが、モモさんが持ってきた荷物をこちらまで運んでいただいてもよろしいでしょうか?」
オリーブさんに促され、私は彼が置いていった袋を三つ、持ち上げようとする。
……何これ、滅茶苦茶重い。
隠れ家を出る時は、レディに荷物を持たせるなんてと思っていたけれど、モモくんの方が何倍も重いものを持っていたんだ……それを口にしない辺りが、彼らしい。
「……これで全部です」
私は何とかズルズルと荷物を引きずり、シスターの指定した場所まで運ぶことに成功した。この程度の運動で仕事をした気になるなんて、真剣に体力不足を何とかした方がいいかもしれない。
「ありがとうございます、スカーレットさん。ここまでして頂ければ、あとは大丈夫ですので」
「あ、いえ、手伝いますよ。私にできることがあれば、ですけれど……その、自分で言うのも何なんですが、かなり使い物にならなくて……」
「人は生きているだけで素晴らしんですよ。切れ味の悪いナイフも、胸に忍ばせれば弾丸を防ぐことができます」
「……物は使いようってことでしょうか?」
「いえ、現実は小説よりも奇なりです」
ふふふっと笑うオリーブさんだった……何だその表情、可愛すぎるっ!
「ではお言葉に甘えて、スカーレットさんにもお手伝いして頂きましょうか……彼らのシーツを取り換えたいので、換えの布を持って私についてきてください」
彼女は当たり前のように、ベッドに横たわる存在を彼らと呼んだ。
「……人間ですよ。彼らも、私たちもね」
私の沈黙を受け、シスターオリーブは静かに呟く。
一瞬でも、彼らを人間として認識できなかった不死身の私は。
果たして、人間なのだろうか。
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