お圭

@ikedaya-okami

第2話   算  盤

 喜市は香具師の元締め・観音屋弥兵衛の末っ子で四男坊である。

長男の弥市は十五歳も年上の三十二歳で、当然母親が違う。

弥市は観音屋の仕事の大半をもう引き継いでいて、鉄火肌の女房と二人の男の子の父親で若頭と呼ばれている。

二番目の兄は何故か品川の旅籠の入り婿になってしまったし、三番目の兄も絵師になると言って家を出たまま戻らない、

父の弥兵衛はだから、喜市がどんな仕事についても困らないよう、最低限、読み書き算盤を学ばせようとしたらしい。

何より近所の筆書処、一心庵の手跡師匠、武藤雄策の人柄に惚れ込んだのだ。

髭面でずんぐりむっくり、四十近いのに独り身の武藤は強面の外見に似ずきさくなお人好しで、近所の人からも頼りにされていた。

詳しい来歴は知らないが、元はさる小藩の勘定方に勤めていたらしく算盤も達者で、弥兵衛はこれからの時代、香具師もどんぶり勘定じゃいけねえ、と思ったらしい。

そんなわけで喜市が一心庵に通い始めたのは、遅まきの九才だった、一才年下の宗助はその時すでに算盤で群を抜いており、武藤が忙しいときには代わりに算盤を指導することもあった。

他の子より体が一回りもでかい喜市は、必然的に教場の最後部の席につき、隣に宗助が天神机を寄せて、玉のはじき方から加減乗除の手ほどきまで算盤のイロハを教えてくれた。年下だが、喜市は素直に宗助をすごいと認めていたのだ。

 宗助の父親は版木彫りの職人だという。それも瓦版などのやっつけ仕事ではなく。読み本や最近流行の句集や歌集、寺子屋の教科書ともいうべき往来物や、時にはお堅い学問書も手掛けるという居職の職人だという、母はいない、死んだのか父に愛想を尽かしたのかはわからないし、興味もない、と宗助は言った。

父が版木彫りだけに幼い時から文字に馴染み、二年前、六歳で一心庵に通い始めた時には、仮名だけでなくそこそこ難しい漢字も読めていたらしい。その分、算盤の面白さに没頭できたのかもしれない。

「お父っつあんが。出入りの書物問屋から本を借りてきてくれてね」

宗助は宗助で、喜市のぬうぼうとした面持や身体のでかさに頼りがいをみつけたようだった。

『塵劫記』という本だそうだ。何でも、利息の計算法や。物の嵩、地面の広さを測る法、山の高さを測る法なんてのも書かれていて、“すごく面白い”のだそうだ。

「こないだ、師匠とその話で盛り上がってね。あ、でもこれ皆には内緒だよ」

教える側からすれば、出来る子は伸ばしてやりたいと思うのは当然だが、それが他の子たちには『贔屓だ、特別扱いだ』となってしまう。妬みや嫉みによる意地悪へとつながるのである。


その日は七月七日だった。七夕で、近所の井戸が一斉に井戸替えをやるらしく、

「男手が足りぬそうだ。わしが帰ってくるまでに、この問題を解いておくように」

と、問題を十ばかり大書した紙を貼り出し。

「わからぬ時は宗助に聞け、後を頼んだ」

と、武藤がいなくなると早速子供たちが騒ぎ始めた。

「わからぬ時は宗助に聞け」

と。一人が武藤の口真似をすると、後ろから来た子がさっと宗助の算盤を取り上げる。

「あっ。返してよ、おいらの算盤」

宗助が立ち上って取り返しに行くと、悪がきどもも立ち上がり、次から次へと手渡しで算盤を回し、天神机の間を走り回る、墨がこぼれ、筆が飛び、机の角に膝を打ちつけて泣きだす子もいた。

その時、ぱんぱんと手をたたく音がして、見ると、大きな子供をおんぶした少女が、隣の女部屋との境に仁王立ちしていた。

「喧嘩はそこまでだよ」

掠れた、少女にしては低い声だった。

「女が口を出すな」

「そうだ、引っ込んでろ」

口々に言うのへ、少女はじろりと見上げて一歩男部屋に踏み込んできた。

ちなみに、昔、裁縫や作法を教える女先生がいたこともあって、女の子は隣の狭い四畳半に集められていた。今は武藤一人だから、境の襖は取り払っている。

「お糸が目を覚ましてぐずるだろ。それにこれ以上やると、鬼が出てくるんだよ」

悪がきたちは怪訝な顔を見合わせる。

「けんかはねえ、物を壊さず、着物を破らず怪我をさせず。これ守らないと鬼が出てくるんだって。おっかさんが言ってた」

喧嘩の様子をぼうっと見ていた喜市は、ふふんと鼻で笑った。

鬼ってのは親のことだな、確かに子供の喧嘩に親が出てくると面倒なことになる。

「何、笑ってんだよ、無駄にでかい隣のあんた」

見とがめて少女が喜市を指さす。

「あんたも宗ちゃんに教えてもらったんだろう。やめろの一言くらい言っても罰はあたらないよ」

少女は背中の赤ん坊を揺すりあげ、女部屋に戻りかけて振り向いた。

「宗ちゃんも宗ちゃんだ。算盤なんか無くったって、このぐらいの計算、頭ん中でできるだろうに」

そう言うと。ぐずりだした背中の赤ん坊を揺すりあげて、

「男の子はもう、どうしようもないね」

「うるせえ」

反射的に喜市は唸った。

少女に言ったつもりだったが、悪がきどもが一斉にしんとした。


それがお圭との出会いだった。いや、とおに出会っていたのだが、喜市が気にしていなかったのだ。

お圭はいつも子供を背負っていた。一心庵に子供たちが集まってくるかなり前に来て、庭を掃いたり、縁側を雑巾がけしたり、大きな硯でその日皆が使う分の墨を擦っていたりする。

そのくせ、背中の子供がぐすりはじめると、いつの間にか姿を消すのだ。

どうやら雑用をすることで、束脩(授業料)をいくらか安くしてもらっていたのだろう。そして赤子が泣いたりぐずったりして、学びの邪魔をせぬよう、早退を認められているようだった。

兎にも角にも、これがきっかけで宗助は暗算に目覚めた。

それまでも、簡単な加減問題など頭の中の算盤で答えをだしていたが、手にした算盤で確認しなければ安心できなかったのだ。

掛け算、割り算、ややこしい利子の計算、など。本に載っている問題、自分で作った問題、武藤に作ってもらった問題など、手当たり次第に暗算し、念のため算盤で答えを確かめた。問題の読み間違いがなければ。ほぼ完璧だった。後は速さ。侍が剣術の修業をするように、宗助は暗算の腕を磨いていった。


実はこの時、喜市も目覚めていた。

己が香具師の元締めである弥兵衛の血を色濃く引いている、という事実だ。

生まれついての威厳というか貫録。迫力のようなものが、そこにあった。

喜市の家は四六時中威勢のいい男衆たちが出入りしている。当時の喜市が知る由もないがきっと縄張り争い、なんてのもあったにちがいない。だから、近所の子供らと遊んでいても、常に誰か若い衆の目があった。

喧嘩や諍いは、だから起こりようがなかった。

一緒に遊ぶ近所の子供たちも、そういう空気には敏感で、当たらず触らず遊ぶ。

だから。『体はでかいが(大人しい坊ちゃん』と、皆には言われていた。

それが・・「うるせえ」と呟いた途端、ぴたりと周囲の動きが止まり、静まり返ったのだ。そのことに、喜市は自分で驚いた。


しかし収まらないのは悪がきども。やっかみ半分のいたずらが、藪蛇というか、暗算というもっとすごい技を宗助に与えてしまったのだから悔しくてならない。そこで、別角度から攻めることにした。

「やあい、やあい、お圭と宗助はちょめちょめちょめ・・」

「宗助、お圭は相惚れだ」

「お圭は宗助の嫁になる」

寺子屋の行き帰りにそう囃し立てるのだ。

「やめて。やめてよ」

最初のうちこそ市松人形のような顔を真っ赤にして否定したり、いじめっ子を追いかけたりしていた宗助も、いつか知らん顔で無視するようになった。

というか、開き直ったのだ。

何気なく話しかけたり、時には一緒に帰ったり、いただき物の菓子などある時には

”お圭にも届けてやります”などと、申し出たりした。

とにかく、一度相惚れなどと囃されたりするとお互いに意識するのか、喜市が見るところ、お圭と宗助の間には目に見えぬ絆が生まれたようだった


 宗助は早々と十歳で老舗米問屋、近江屋への丁稚奉公を決めた。

筆書処、一心庵の地所建物を含むこのあたり一帯が近江屋の持ち物であり、元番頭の大家の口から宗助の算盤と暗算の噂を聞いた番頭が、直々会いに来て、出替わりの時期でもないのに、引き抜いていったのだ。

奉公に上がる前日、武藤先生に挨拶に来た宗助が「藪入りの時、会いに行ってもいいかい?」とお圭に話しかけているのを。喜市は見ている。


しかし間もなく、お圭の家の事情が変わった。

手間取り大工だったお圭の父親が、足場の上から誰かが落とした玄能に膝の皿を割られて、大工を辞めざるをえなくなったのだ。

怪我自体は三月ほどで癒えたが、歩くのが不自由になり、一時酒に溺れた。心配した大家と差配が喜市の親父に相談を持ち掛け、すったもんだの挙句、ようやく七色唐辛子の露店をださせてもらえるようになったのだ。

しかし素人、おまけに渋々の商売がうまくいく筈はない。

暑いといっては休み、寒いといっては早仕舞い、足が疼くの、気分が乗らないのと、御託を並べる父親の尻を叩いて助けたのがお圭で、仏頂面の父親に代わって、啖呵売を始めたのだった。


宗助は藪入りになると、自分の家に戻るのもそこそこに、まず喜市を訪ねる。

香具師の元締め・・の倅だが、一応の筋を通そうという、お店者らしい気遣いだったろう。二人連れ立って露店にお圭を誘いに行く。

お圭も予め父親に断っているのだろう、店番をかわってもらうと、三人で浅草寺や両国広小路、時には向島まで遊びに行った。

いい面の皮だぜ、と思わないでもなかったが、近江屋での宗助の話が面白かった。

商家では、暮れ六つに大戸を下すと、番頭や手代が丁稚小僧を集め、算盤の練習を兼ねて一日の売り上げ計算をする。見慣れた光景である。

十歳と少しで奉公にあがった宗助も、はじめの二月ばかりは大人しく先輩丁稚に混じって算盤をはじいていた。

ご主人一家はもちろんのこと、番頭さんに手代さん、仲間の丁稚小僧に下働きの下男、男衆、女衆、出入りの俵運び人足の面々など。名前を一通り覚えるだけでも大変だったし、家の間取りから、どこに何があるか、よく出入りするお客様の名と顔、お使い先など、覚えることが多すぎて、右往左往していたからだ。

「これ宗吉、手がお留守になってますよ」

ある日、手代頭さんに注意を受けた宗助、この店では丁稚は全て吉を付けて呼ぶので、宗吉なのだが、目を上げて、こう答えた。

「頭の中で算盤を弾いております」

そして見事にその日の売り上げを答えて見せた。

最初に宗助を見出した番頭は、主だけにはそのことを話していたが、皆には告げていなかったのだ。最初から特別扱いはよくないと思ったのだろう。実際、その場に居合わせた番頭や手代が代わる代わる問題をだし、宗助の頭の中の算盤が、己の算盤より早く正解をはじき出すのを見せつけられ、感嘆しきりだった。

何しろ便利なのだ。近江屋は小売りはしていないが、それでも

「何々様へO斗O升お収めする、幾らだ?」

と問うと、他の者が算盤を取り出している間に答えが返ってくる、

雨で荷駄が濡れた時でも、

「上に積んだ俵の七つは三分一が使い物にならん、損は幾らだ」

宗助が瞬きを二つ三つ、答えが返ってくる。

そんなこんなで、翌正月明け、めでたく十一歳になった宗吉こと宗助は、丁稚頭の助に任じられた。そんな御役はなかったのだが、わざわざ宗吉のためだけに作られた役だった

そして、十四歳になった一昨年、宗助は丁稚頭を経験することなく、手代見習いに抜擢されたのである。手代になると、名前の下が助になるので、呼び名は本名と同じになった。

去年は、前髪が取れるのと期を同じくして、その(見習い)も取れ、近江屋始まって以来という異例の若さの手代が誕生した。

今や、押しも押されもせぬ老舗米問屋近江屋の手代さんなのである。

近江屋の主は、そんな宗助が自慢で、大商いや小難しい取引などでも、番頭の補佐という形で宗助を連れて行き、暗算の腕を見せつけて相手の度肝を抜くのを楽しみにしていた。

「宴会やなんかにお供したことはないんだ。お前の腕は手妻みたいな見世物じゃない。近江屋の大切な武器なんだからね、って。」

「大切にしてもらってんだ、宗ちゃん」

「ちょいと噂になってるよ。近江屋のアノ手代さんって」

「へへ、そうかな」

そんな出世話を、宗助は剃りたての月代に照れながら、お圭や喜市に報告する。

お圭は「ほけっ」とか「あやー」とか、訳の分からぬ奇声をあげ、やたら感心する。

そして三人で大笑いするのだ。

そんなことが、いつまでも続いていくものだと思っていた。

チクショウ・・喜市は西に傾むきかけた太陽に向かって,拳を握りしめた。

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