フローレンス嬢の美しき勝利

銀星石

対戦格闘乙女ゲームの悪役令嬢に転生

 七天聖女の一人である杭の聖女から後継者に指名された平民のエレオノーラ・キャンベルが、修行の一環として王立魔法学園に入学する。

 フローレンス・ヴァーノン公爵令嬢はその話を耳にして、エレオノーラに強い興味を持った。

 フローレンスは同じく七天聖女の内、剣の聖女を志している。同じ聖女志望者として彼女は決して無視できない人物だった。

 だが学園入学の時、貴族令嬢たちに取り囲まれているエレオノーラの姿を見てフローレンスは失望した。


「平民ごときがいい気になるんじゃないわよ」

「聖女様もなんであなたごときを後継者に指名したのかしら」

 

 エレオノーラは貴族の身分以外何の取り柄もない連中に取り囲まれただけというのに、おどおどと今にも泣きそうな顔をしている。

 あれで聖女の後継者だと言うのだから情けない。少しでも次代の聖女になろうという気概を持っているのなら、一言くらい言い返せて当然だ。


「なんとか言ったらどうなの!」


 エレオノーラを脅す貴族令嬢の一人が手を振り上げる。見かねたフローレンスは彼女の腕をつかんで止めた。


「おやめなさい」

「フ、フローレンス様」


 貴族令嬢たちはフローレンスがにらみつけるだけで蜘蛛の子を散らすように去って行った。


「た、助けていただきありがとうございます」


 礼を言って立ち去るエレオノーラの背中を見ながら、フローレンスはため息を漏らす。


(本当は今すぐにでも杭の聖女になれる実力がエレオノーラにある。でも彼女生来の気弱な気質が邪魔している。当代の杭の聖女も自信をつけさせるために彼女を学園に入学させた。実際、本当に彼女は強い、私ですら負けてしまうほど……いえ、待って)


 フローレンスは自分の思考に戸惑った。

 なぜ、初対面のエレオノーラの事情を知っているのか。

 なぜ、戦う前から自分はエレオノーラに負けると思ったのか。

 不思議な確信があった。既視感などではなく、エレオノーラの未来を、実際に見たかのように鮮明に思い浮かんできた。


(そうだ。私は未来を知っている。そう、!)


 フローレンスは前世の記憶を思い出したのだ。


(ここは前世で私がプレイしていたノーブルコンバットの世界!)


 ノーブルコンバット! それは恋愛アドベンチャーと対戦格闘をくみあわせた全く新しい乙女ゲーム!

 プレイヤーは主人公のエレオノーラ・キャンベルとなり、攻略対象の美男子と絆を深めつつ、物語の要所で発生するバトルを制し、文字通り愛を勝ち取るのだ。


(そしてフローレンスはノーブルコンバットの悪役令嬢で、私の持ちキャラだった!)


 なぜ自分がフローレンスに転生したのか。常識を超越した出来事に気づいてただただ戸惑うばかりだ。


 背後に誰かがいる気配。フローレンスが振り向くと、ローブをまとった何者かがいた。フードを深く被りその奥にある顔は見えないが、体格から男だと分かる。


「フローレンス、いや、今はどうけんと呼ぶべきだろう」


 破堂賢奈。それはフローレンスの前世の名であった。

 

「なぜ私の前世を知っている」

「君を異世界転生させたのが俺だからだ。運命を変えるために」


 運命とは何か、それを変える意義とは? 抽象的すぎるので、フローレンスは男の意図を理解できなかった。

 

「具体的に説明して」

「創作物が現実化した並行世界では、二つの超自然存在が生まれる。一つは俺、運命を変えるフェイトブレーカー。もう一つは運命を守るフェイトキーパーだ」

「運命というのはノーブルコンバットの物語?」


 フェイトブレーカーは「そうだ」とうなずいた。


「俺が運命を変えるのは可能性を広げるためだ。今のこの並行世界はノーブルコンバットの二次創作に過ぎない。運命を変え、この世界を真の現実にしたいと願ってる」

「ならフェイトキーパーはどう考えているの?」

「彼女は物語を実際に発生させる事で、世界が安定すると考えている。ノーブルコンバットはハッピーエンドの物語だ。誰かが幸せになる運命を守りたいとする気持ちは分かる」


 可能性の拡張と確約された幸福。どちらも優劣や善悪を単純には判断できない。


「フェイトキーパーの信念は一理あるとは思うが、俺も譲れないものがある。なんとしても運命を変えるため、君の魂がフローレンス・ヴァーノンとして転生するよう仕組んだ」

「前世の記憶でこの世界の未来を知ってる私なら、確かに運命を変えられるでしょうね」

「俺の都合に付き合わせて申し訳ないと思ってる。だが、この転生は君にとって価値があるはずだ」

「と言うと?」


 この転生の価値。フローレンスはすぐには思い至らなかった。公爵令嬢という裕福な身分に生まれた事ではないだろう。フェイトブレーカーの口ぶりから察するに、そのような即物的なものではない。


「フェイトキーパーもまた、ノーブルコンバットのプレイヤーを転生させている。ゲームの知識で運命を確実に実現させるためにな。彼女はしょうりゅうけんの魂をエレオノーラに転生させた」

「健美がエレオノーラに?」

「そうだ。君にとってこれ以上の価値はないだろう?」



 破堂賢奈が翔流健美と最初に出会ったのはゲームショップで開かれたノーブルコンバットの小さな大会だった。

 勝率は常に五分だった。賢奈が勝つ事もあれば、健美が勝つ事もあった。

二人の間にそれほど多くの言葉はなかった。ただ視線を交わす。賢奈と健美にとってコミュニケーションはそれで十分だった。

 やがてノーブルコンバットの全国大会開催が決まった。賢奈は心が躍った。大舞台で健美と勝負ができる。


 だがその矢先に賢奈は病に倒れた。医者が説明する難解な医学用語をわざわざ理解する必要はなかった。ようするに死ぬと言う事だ。

 病院のベッドの上で静かに最後の時を待っていると、翔流健美が面会に来た。

健美は黙ってベッドのそばにあった椅子に座る。

 慰めの言葉はない。

健美は最後に好敵手の顔を見に来たのだと、その時の賢奈は理解した。


「死ぬのが悔しい」


 賢奈の瞳から涙が流れる。

 悲しいのではない。恐ろしいのではない。

 死ねば健美と戦えない。負けるよりも彼女と戦えなくなるのが悔しい。

 なぜ”今”なのか。死ぬのなら、せめてライバルともう一度戦って死にたかった。


「私も悔しい」


 健美の瞳にも涙が浮かぶ。

 その時、賢奈と健美の心はこの世の誰よりも通じ合っていた。こんな形で終わる自分たちの関係に悔し涙を流す。

 そして、この日から数ヶ月後。破堂賢奈は17年の人生に幕を下ろした。



 あの後、フェイトブレーカーは立ち去りぎわにこう言った。


「ノーブルコンバットの物語は始まった。エレオノーラも前世の記憶を思い出してる頃だろう」


 翌日、昼休みの時にフローレンスはエレオノーラを探す。彼女は学園の中庭にあるベンチでパンを食べていた。

 エレオノーラを見てすぐに変化が分かった。

 気弱な少女はもういない。抜き身の剣のような鋭い気配。勝つ事に誰より貪欲かつ誠実な健美のそれであった。

 昨日、エレオノーラを取り囲んでいた令嬢たちが、また性懲りもなくちょっかいをかけようとした。


 だが彼女たちは口を開こうとして言葉が出てこない。

 黙らされたのだ。エレオノーラの眼光によって。

 令嬢たちは白昼夢を見たかのように戸惑い、そして結局何もせずエレオノーラから離れて行った。

 貴族社会というのは序列の世界だ。自分と相手の格のを理解せねばやって行けない。

 あの令嬢たちは最低限、貴族であったようだ。エレオノーラと自分たちの格の違いを、痛い目に遭う前で理解した。

 ちょうど良く邪魔者が消えてくれた。フローレンスはエレオノーラの隣に座る。


「いつする? 私は今、この場でも構わないわ」

「公爵令嬢がいきなりメインディッシュにかぶりつくようなマネはよしなさい」


 エレオノーラに指摘されて、フローレンスは自分が思った以上に気がはやっていると気づく。


「フローレンス、私は老衰で死んだと思ったら、いきなりノーブルコンバットで自分の持ちキャラだったエレオノーラに生まれ変わったのよ。色々と慣らしをさせて」


 老衰を聞いてフローレンスは少し安心した。異世界転生したのだから、健美が轢殺トラックに襲われたのではと思ったが、どうやら彼女は自分と違ってちゃんと人生を謳歌できたようだ。


「ねえ、フローレンス。せっかくゲームの世界に転生したのよ。路上決闘ストリートファイトではなく、私たちの勝負はふさわしい場所があるでしょう」

「確かにその通りだったわ。私とあなたの戦いは人知れず行うべきじゃない」


 再び彼女と戦える嬉しさの余り、大切な事を忘れていた。それをフローレンスは自覚し、反省した。

 彼女とはただ戦うだけではだめなのだ。守るべき作法がある。


「だから数週間後に開かれる、武闘大会のノーブルコンバットで決着をつけましょう」


 ゲームのタイトルにもなっているそれは、王立学園で開かれる大会だ。在学生だけでなく、学外から腕自慢が集まる。

 学園の鐘楼から時刻を伝える音が鳴る。そろそろ午後の授業だ。


「もう行かないと。勝負の日を楽しみにしてるわ」

「ええ。私もエレオノーラとの勝負が待ち遠しいわ」

 

 パンを食べ終えたエレオノーラが教室へと向かう。学年が違うのでフローレンスは彼女とは反対方向の教室へ向かった。


 ●


 その日の授業を終えた後、フローレンスは学園内にある訓練場で組み手用の木製ゴーレムとの模擬戦を行おうとしていた。


「ねえフローレンス、何か心境の変化でもあったのかい?」


 ストレッチをするフローレンスへにこやかに話しかけてくるのは、彼女の婚約者である第三王子ジョージ・カートライトだ。ちなみにゲームでの彼は攻略対象の一人でもある。

 

「色々と抱えていたこだわりを整理して、一つだけに絞りました」


 ゲームでのフローレンスは公爵令嬢としてのプライドや、王子の婚約者としての責任、聖女を目指す夢など、心理的に抱えているものが多いが故にストレスをためやすく、他者に攻撃的態度をとっていた。それがフローレンスが悪役令嬢になる理由だ。

 だが前世の記憶を得たフローレンスは、エレオノーラとの勝負以外にこだわるべきものが何もない。端から見れば別人のように変わって見えただろう。


「そろそろ模擬戦を始めます。危ないので、どうかジョージ殿下は離れていてください」


 フローレンスは構えてゴーレムと対峙する。


「はっ!」


 フローレンスが気合いと共に腕を振るうと、輝く剣が放たれた。魔力を物質化した剣、魔光剣だ。

 ゴーレムが腕でガードして魔光剣を弾く。

 その間にフローレンスは懐へと飛び込んだ。

 ゴーレムは拳を振り上げるが、フローレンスが放った鋭いショートパンチが肩に突き刺さり攻撃を中断させられる。

 

 ゴーレムの攻撃は完封された。相手が繰り出そうとするあらゆる攻撃に対し、フローレンスはより早い攻撃で迎撃する。

 フローレンスのローキックがゴーレムにたたきつけられる。衝撃で膝を砕かれたゴーレムは、くるりと回転しながら背中から倒れる。

 もう十分だろう。フローレンスは額のゴーレム制御核に魔光剣を突き刺した。


「おみごと」

 

ジョージが拍手する。そんな彼に、フローレンスは悪役令嬢らしい笑みを向けた。

 その笑みを受け、ジョージは興奮で頬を赤くする。


「本当に変わったね。以前の君なら、そんな風に色香ファイティングオーラで人をたぶらかしたりしない」


ジョージがオオカミのような笑みを浮かべながら剣を抜く。


「婚約者の私以外だったら大変な事になってたよ」


 かかった。

 フローレンスはエレオノーラとの対決に備えて実践的な模擬戦をしたかった。その相手にジョージを選んだ。

 しかしジョージは婚約者のフローレンスを相手に本気を出せるような男ではない。

そこでジョージの本気を引き出すため、この色仕掛けをした。ゴーレムとの模擬戦を見せつければ、彼は自分に流れる王族ファイターの血に逆らえない。


「お守りは持っているね?」

「はい」


 フローレンスはジョージが見えるよう、あるマジックアイテムを掲げた。試験管のような部品に液化した魔力が封じられている。

 持ち主が攻撃を受けると、この液化魔力を消費してお守りがダメージを肩代わりする。ようするにゲームの体力ゲージが形になったものだ。

 大会としてのノーブルコンバットではお守りの液化魔力が尽きた方が敗北とされる


「じゃあ、行くよ」


 ジョージが刺突の構えをとる。すると剣に炎がまとわりついた。

 ジョージが繰り出したのは炎をまとった剣による突進、バーンスティングだ。

 炎の槍と化した彼がフローレンスに激突する。


「次!」


 彼の攻撃は終わらない。繰り出したのは対空技のボルケーノカッター。ジョージはフローレンスを空中に打ち上げるため、これを使った。


「とどめ!」


 最後に繰り出したるは剣を上からたたきつける事で、相手をダウンさせるメテオスマッシュ。この技を受けたフローレンスの体は、まさしく隕石のように床へたたきつけられた

 衝撃で床の大理石が粉々に砕け、粉塵が舞う。

 これこそが王族に伝わりし恐ろしき3連コンボである。


「やれやれ、これでは父上や兄上たちに叱られる。まさか無傷とは」


 粉塵が収まった時、ジョージは驚愕した。すさまじい攻撃を受けたにもかかわらず、フローレンスのお守りの液化魔力は一目盛りも減っていない。

 ノーダメージだ。

 フローレンスは攻撃が命中する瞬間のみ魔力を物質化した盾を生み出して防御ジャストガードし、威力を完全に相殺していたのだ。


「でも、次こそは」


 ジョージが再びフローレンスに剣を向ける。

 その瞬間、フローレンスは魔光剣を投擲した。


「む!?」


 ジョージは魔光剣を弾き飛ばした後、弓を引き絞るように剣を構える。バーンスティングを放とうとしている。

 フローレンスは間合いを詰め、素早くローキックを放つ。文字通り出足をくじかれたジョージは技を不発させられてしまった。

 ジョージの反撃は大ぶりだった。フローレンスはコンパクトで素早い肘打ちを繰り出す。結果、後から繰り出した彼女の方の攻撃が命中した。


 ゴーレムの時と同様に、ジョージの繰り出す攻撃の事ごとくがフローレンスによって即座に迎撃される。

 弱攻撃を制する者がノーブルコンバットを制する。それは、前世の世界でトッププレイヤーたちの合い言葉だ。

 ゲームはゲーム、現実は現実だが、相手より早く攻撃を繰り出す重要さは変わらない。

 フローレンスが魔光剣を多用しないのも、拳の方が速いためだ。


 さすがのジョージも仕切り直しの必要を感じたのか、間合いをとった。

 ジョージは剣を両手で握り、頭上に掲げる。すると彼の周囲に炎の円陣が生まれた。グランファイアソードの構えだ。ゲームではゲージが貯まらなければ使えない超必殺技だが、ここは現実だ。そんなものなくとも使えるのは当然だろう。

 

「私の全力を受け止めてくれ!」


 ジョージの剣から炎が吹き上がり、火の巨大剣となって振り下ろされる。

 フローレンスがとった行動は前進であった。火の巨大剣に自ら差し出す自殺行為……のように見えるだろう。

 彼女の手に魔光剣が生まれる。投擲はせず、それを直接持って火の巨大剣の横腹をたたいた。魔力を物質化した刃は、魔法の炎に干渉し、ジョージの超必殺技をかすかにずらす。


 訓練場の床に焦げた斬撃痕が刻まれる。しかしフローレンスは無傷であった。

 ジョージは戦いのさなか、あろうことか呆然としてしまう。必殺を確信した攻撃が通用しなかったためだろう。

 フローレンスは一瞬で接近し、無防備なジョージにボディーブローをたたき込んだ。

 お守りの液化魔力が尽き、肩代わりできなかった分のダメージを受けたジョージは、両膝からその場に崩れ落ちる。


「まさか完全敗北とはな。一から鍛え直さないと、王家から廃嫡されてしまう」


 ジョージは立ち上がり、剣を納める。表面的には冷静のようでいて、内心ではふがいなさで自信を失いかけているのが良く分かる。


「私はただ王族の責任だけを果たし、自分の夢を持たなかった。けど、たった今、夢ができた」


 ジョージが自分の手でフローレンスの手を優しく包む。


「その夢はフローレンスの好敵手になる事だ。私が一流の男になるまで、どうか待っていてほしい」


 ジョージの情熱的なまなざしに、フローレンスは少なからず胸が高鳴った。実のところ、前世で彼は推しだった。

 だが、推しに情熱を向けられるのを喜ばしいと自覚しつつも、かといってエレオノーラほどのトキメキはなかった。


「ごめんなさい。私、もう好敵手は決めていますの」

「だ、誰なんだい?」


 女に振られたような顔をしたジョージが訪ねる。


「エレオノーラ。彼女こそ、この世で唯一の好敵手」


 フローレンスは自分の手を包むジョージの手をやんわりとほどいた。


「今日はこれで失礼させていただきます」


 訓練場から立ち去るフローレンスの背中に、ジョージがある種悲痛な叫びを向けた。


「フローレンス! 私は君の婚約者だ。いつか必ず、君を私に夢中にさせてみせる!」



 それから数週間の間、フローレンスは自由にできる時間を全て特訓に費やした。

 聞けばエレオノーラも同じような様子らしい。わざわざ聖女が平民を後継者に指名しただけはあると学園でもっぱらの評判だ。

 そしてついにノーブルコンバットが開催される。

 大会は学園が用意した会場にてバトルロワイアル形式で行われる。

 武術や魔法の実力だけでなく、誰と、どこで戦うかの判断力も問われるのがノーブルコンバットと言う大会なのだ。

 開始直後、多くの参加者がまず様子見に入る中、フローレンスは即座に勝負を仕掛けた。

 ただし相手はエレオノーラではなく、他の参加者だ。


「勝負あり! フローレンス・ヴァーノン公爵令嬢の勝利!」


 学園が会場の各地に放った審判用の使い魔が試合終了を宣言する。


 まず一人、邪魔者を片づけた。

 なぜフローレンスは他の参加者と戦ったのか?

 それは、自分が最強であると知らしめるためだ。その上でエレオノーラと勝負したかった。最強であるか否かはとても大事だ。


「勝負あり! エレオノーラ・キャンベルの勝利!」


 また使い魔が試合終了を宣言した。会場各地にいる全ての使い魔が意識共通しているので、誰が勝ったかは参加者全員に知らされる。

 どうやらエレオノーラも同じ事を考えていると分かって、フローレンスは思わず笑みが溢れた。

 フローレンスは次の獲物の元へと向かった。前世の記憶で会場のどこに誰がいるか分かっている。ここからなら騎士候補生アーノルド・ブラウンが近いだろう。

 フローレンスの計算では後4、5人も倒せばちょうど良く体が温まった頃にエレオノーラと戦えるはずだ。

 今日この日、王国の者たちは知るだろう。

 フローレンスは最強だと

 エレオノーラは最強フローレンスでなければ倒せないと。



「勝負あり! 勝者、エレオノーラ・キャンベル」


 エレオノーラは前世では推しだった、マイケル・アンダーソンを倒した。

 マイケルは弟系のキャラで、女性と見間違うような中性的な顔立ちながら、男として一本芯の通った性格が好きで推しにしていた。

 だがそんな彼をエレオノーラは叩きのめした。マイケルはお守りが肩代わりできる以上のダメージを受けて完全に気を失っている。

 前世では推しで、エレオノーラに転生した今でも異性として好意的に思っているが、それはそれ、これはこれだ。

 自分が最強と証明し、最強エレオノーラだけがフローレンスを倒せると証明するため、推し相手でも容赦はしない。


「こんにちは、お嬢さん」


 次の相手はジョージだった。

 実はマイケルと戦っているさなかから、エレオノーラはジョージの気配を感じ取っていた。

 ジョージは戦いが終わるのを待っていたのだ。王族が乱入などというマナー違反をするはずもない。


「君には感謝していると同時に憎んでもいる」


 本人が口にしたように、相反する感情を宿しているせいかジョージの表情は一言で言い表せないものだった。


「君と出会った事で私の婚約者はとても魅力的になった。元は政略結婚だったが、今は一人の男として彼女が好きだ……だが!」


 ジョージは剣を抜く。


「フローレンスの心には君が居座っている。エレオノーラ・キャンベルを倒さなければ、彼女は真の意味で私のものにならない!」

「どうせ何もしなくとも、殿下は彼女の夫になれる。それで満足していれば良いものを」


 エレオノーラは拳を構えた。


「ファイターとしての彼女は私のもの。私だけのものよ。他の誰にも渡さない」

「腰の武器は使わないのかい?」

「でしたらまず、武器を使うに値する相手だと証明してください」



 少し離れた場所で炎の大剣が現れるのをフローレンスは見た。

 ジョージが戦っているのだろう。他の参加者は軒並み脱落しているので彼の相手はエレオノーラに違いない。

 炎の大剣が出現した場所へ行ってみるとすでに勝敗は決していた。ジョージが膝をついている。


「準備運動が終わったのね」

「フローレンスも体は温まっているようね」


 エレオノーラは腰の武器を手にとる。

 破邪の聖杭と呼ばれる、代々杭の聖女が使っている由緒正しき武器。

それはトンファー型のパイルバンカーである。

 杭の聖女の後継者修行は、まず当代から破邪の聖杭の製法を習うところから始まると言う。

 フローレンスとエレオノーラが構える。二人から発せられる闘気が空間をゆがませているかのようだ。


「前世で破堂賢奈が死んだ後も私の人生は続いた。人並みに恋をして、夫を持ち、子や孫を授かり、夫に先立たれた。幸せも不幸も人並みにあったけど、その全てに私の心はわずかにしか動かなかった」


 エレオノーラが前世を語り出す。


「そして老衰で人生が終わる時にようやく理解した。私の魂は破堂賢奈と共に死んだ。それ以後は、翔流健美の残骸が人生の残り物を消化していただけ」


 もし前世で自分と彼女の立場が逆だったら堂だろうかとフローレンスは考える。

 いや、考えるまでもなかった。翔流健美に先立たれたら、自分も同じように空虚な日々を消費するだけの人生となった。

 フローレンス破堂賢奈エレオノーラ翔流健美。二人の心は歓喜で満たされていた。

 彼女たちにとって異世界転生は新しい生の始まりではない。名前や姿、世界すら変わろうとも、魂は変わらない。

 再開だ。

 止まっていた人生が今、ようやく再び動き出すのだ。もう待ちきれなかった。


「破堂賢奈!」

「翔流健美!」


 賢奈は攻撃の瞬間、魔光剣を生成して斬りつける。

 健美はトンファーで剣を防御した。

 二つの闘気のぶつかり合いが空気を揺らす。

 それを横から見ていたジョージは自分の身の程を思い知った。


(ああ、私はなんて愚かなんだろうか。女と女の気高い絆の間に挟まろうとしていたなんて)


 賢奈と健美は互いに力を押しつけ合うと、二人の足下がひび割れた。

 パワーは拮抗している。賢奈は無意味な力比べをやめてバックステップする。

 健美が追いかけてきた。相手に飛び道具技を使わせないよう食らいつく攻めの姿勢。彼女のプレイスタイルは全く変わっていない。

前のめりに迫ってくる健美の額めがけて、賢奈は魔光剣を振り下ろす。

しかし、賢奈の攻撃を予測していたのか、健美は即座に対応した。

 

 射突された聖杭が魔光剣を砕く。

武器を破壊されたが賢奈に動揺はない。魔光剣は魔力がある限り何度でも作れる使い捨てだ。

 それに健美だったら必ず対応してくると確信していた。予定通りの事が起きただけだ。 健美が次の攻撃を繰り出そうとしている。賢奈は破邪の聖杭を持つ手首に手刀を当てて強制的に攻撃タイミングをずらした。

 聖杭が空を貫く間に、賢奈はさらに一歩踏み込む。

 

 脇腹を狙った賢奈のフックを健美は肘鉄で迎撃する。

健美は顎を下から狙って聖杭を射突したが、賢奈は首を動かして紙一重で躱す。

 賢奈は足首を狙ったローキックを放つが、健美は必要最低限の小ジャンプで躱した。

 一秒にも満たないわずかな滞空中に健美が回し蹴りを放つ。腰のわずかなひねりで攻撃の予兆を察知しなければ、賢奈の防御は間に合わなかっただろう。


 キスをするような超至近距離の激しい攻防が続く。驚くべき事に、どちらも有効打を与えられなかった。

 前世でゲームとしてのノーブルコンバットの対戦中もこうだった。賢奈も健美も対戦格闘の華である必殺技を一切使わず、弱攻撃とダメージを無効化するジャストガードのみで戦っていた。

 長い時は30分もお互いノーダメージで攻防を繰り広げていたほどだ。

 それはお互いの手の内を知り尽くしたためだった。ほんのわずかでも大雑把な攻撃をしてしまえば、相手は鋭くその隙を突いてくるのだ。


 彼女たちの勝負に逆転は存在しない。読み合いを誤った瞬間に、相手の超必殺技を受けて敗北する。

 それは現実の戦いである今も変わらない。

 もっと早く!

 もっと鋭く!

 賢奈と健美は懸命に攻撃を打ち込み、そして防御する。

 戦いは永遠に続くかと思われた。しかし、戦いに永遠はない。


 戦うからには、互いが勝利を目指すからには、必ず決着する。

 賢奈がアッパーカットを繰り出す。健美は上半身をのけぞらせて避けようとした。

 だが、賢奈が放ったその攻撃は、健美の読みよりわずかに速かった。

 顎に拳を受け、健美の体が宙に浮き、背中から地面にたたきつけられた。


 賢奈にとってこれは勝機だ。ここでしくじれば負けるのは自分となる。

 賢奈の両手から激しい魔力の光がほとばしる。フローレンスの超必殺技、極光魔剣が発動した。

 賢名が極光の大剣を振り下ろす。

 健美が素早く立ち上がると同時に、彼女が持つ破邪の聖杭が輝く。エレオノーラの超必殺技、聖光大射突だ。


 極光魔剣を紙一重で避けて聖光大射突を当てる。それが今の健美にとって唯一の勝機。

 だが、またしても賢奈の攻撃は健美の読みよりもわずかに速かった。

 タイミングを誤った健美は極光魔剣の直撃を受ける。彼女のお守りの液体魔力は一瞬で消滅した。

 破堂賢奈の勝利だフローレンス・ビクトリー

 

「今回は私の方が先立ったわね」

「ええ、そうね。でも次は私よ」


 賢奈と健美の戦いはいつも互いの実力が拮抗しているために、千日手も同然だった。それでもきちんと決着がついた理由は一つ。

 どちらかが戦いのさなかで成長したからだ。

 先に成長し、相手よりわずかに強くなった方が勝つ。それが賢奈と健美の勝負の本質であった。

 賢奈は空を見る。目が覚めるような青空と、全てを祝福するかのような暖かな陽光があった。

 

 賢奈は晴れ晴れとした気持ちになった。

 健美に勝ったというのもあるが、それ以上にまた彼女と戦えたのが心から嬉しさかった。前世で病に倒れた時の悔し涙が報われたのだ。

 これからも彼女と勝負できると思うと、賢奈はフローレンス・ヴァーノンとしての人生がとても素晴らしく、輝かしいものに思えた。



 フェイトキーパーとフェイトブレーカーは離れた場所からフローレンスとエレオノーラの戦いを見守っていた。


「あーあ。負けちゃった」


 ローブをまとい、フードで顔を隠した少女がつぶやく。


「あまり残念そうじゃないな」

「まーね。運命を守るって使命は大事に思っていたけど、フェイトブレーカー君の使命も少しだけありかなと思ってたから」


 これが国や世界を左右するような運命であるのなら、フェイトキーパーとフェイトブレーカーは互いに死力を尽くし、時には卑劣な手段を使ってでも自分の使命を果たそうとしただろう。

 だがノーブルコンバットが紡ぐ物語は世界ではなく個人の物語だ。

 実際、フェイトブレーカーも、もしゲームの通りにフローレンスが負けたのなら、世界それを望んだとして受け入れるつもりだった。


「これでお互い、使命は終わったね。フェイトブレーカー君はどうする?」

「さてな。とにかく使命を果たすので頭がいっぱいだったから、これから考えるさ。そういうお前は?」

「私はそうね、まずは普通の女の子をやってみようと思う」


 フェイトキーパーがローブを脱ぎ捨てる。

 この並行世界が発生してからの長い付き合いだが、フェイトブレーカーがフェイトキーパーの素顔を見るのは初めてだった。


「結構かわいいな」

「え? 何か言った?」

「いや、何も。それと、俺も普通の男をやってみようと思う」


 フェイトブレーカーもローブを脱ぎ捨てた。


「じゃあまずは住む場所と働き口ね。私たちは食べなくても生きていけるけど、人間やるならまずは最低限の生活を維持しないと」

「そうだな」


 こうして乙女ゲーム・ノーブルコンバットの物語を終えたこの並行世界は自らの歴史を歩み始めた。

 その中で、フローレンス・ヴァーノンとエレオノーラ・キャンベルの勝負は後世まで語り継がれた。

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