第2話 飛田香耶ですけど
「おまちどうさまです」
綺麗なお姉さんの前に、さきほど注文した生ビールと細切りネギがすっと置かれた。
お姉さんはジョッキに手を付けることなく、落ち着いた様子でバッグからヘアゴムを取り出すと、ぐっと艶やかな栗毛色の髪をひとつにまとめた。
首を下げたり、上を向いたり。
髪の毛が前に垂れないように、入念なチェックをしているようだ。
やる気(飲む気)まんまん。
そりゃあ、いきなりおつまみの細切りネギを注文するはずだわ。
今の時刻は夜9時。てっきり仕事帰りで、さっとラーメンでも食べて帰るのかなと思ったが、彼女が注文したのは、生ビールと細切りネギ。つまり、食事をするのではなく、「ちょい飲み」をするということだ。
しかも、そのチョイス。
なかなかに通。玄人好みだ。
日高屋といえば、まずは餃子。あのぷりぷりした皮とぱりぱりした羽を齧ると溢れ出す餡のジュースがたまらない。
一にも二にも、まずはこれを注文してから、次につなげる。
実際、俺も今日の注文は餃子を二皿頼んで、ビールをあおっている。
当然、酒はすすむ。勢いにのってから揚げでも頼もうかと思っていた。皆、王道を往く――はずなのだが、
それが、いきなり、細切りネギって……
アラフィフのおじさんじゃあるまいし。こんな綺麗なお姉さんが。人は見かけによらないとはよく言ったもの。真の酒飲みは、酒のつまみに「塩」を舐めるという。「塩」って
あんなのただの調味料で、つまみになるはずがない。小難しい酒飲みおやじの下らないうんちくに過ぎない。だが、このお姉さんなら「塩」を注文しそうな勢いが感じられた。
こんな可愛いのに……そのギャップ。
春――到来。
じゃないの?
腕を回し、首をごきごき鳴らし、すううっと深く息を吸い込み、静かに目を閉じるお姉さん。全ての準備が整った。
あとは――飲むだけ。
カッと目を見開き、ジョッキを持ち上げぽってりとした唇に近づけた。
ぐびぐび、
ぐびぐび。
喉が波のようにうねり、一気に2/3のビールが空になる。
お、お姉さん……いい、飲みっぷりい!
「あの……何か用かしら」
突然、目と目が合う。しかも、ちらっとではなく、ばっちりと。
モノ言わぬ顔で、じっと見つめられた。その距離わずか30cm。そりゃそうだ。だって、カウンター席だもの。こんな至近距離で、こんなにも隣の席に座る人をガン見したら、いやでも気付くし、不審がるのも当然。
本来ならばすみませんと謝るべき――なのだが。
俺は、思わずこう答えてしまった。
「好き……です」
当然、アンサーは。
「は?」
これ。
このシチュエーション。夜9時の日高屋のカウンター席で、年頃の男女(見知らぬ)が交わすファーストコンタクトではない。全てのプロセスを吹っ飛ばしすぎた。入社してから、あれだけPDCA(プラン・ドぅ・チェック・アクション)をしっかり回せと上司や先輩から言われてきたのに。これじゃまるで、
PDCA(ポジティブ・デザイア・チャレンジ・アスホールっ!)
つまり――猪突猛進な痛いやつ(俺、ゆくゆくはあなたとやりたいんですっ)。
だろ。
やっべ――っ!
「い、いや、好きというのは、決してあなたとかではなく、なんてゆうか、その、そうそう、そのおつまみのチョイス。それです、それ」
「えっと……どういう意味かしら」
「い、いや、やっぱりビールのおつまみは餃子かなと思ったんですが、確かに細切りネギって、ピリ辛で酒に合う万能おつまみですし、ちびちびやるなら最強だと思いまして」
強引に取り繕う俺こと、
未だ、というか当然のことながら彼女から向けられた疑惑の念は消え去りはしない。むしろぐんぐん増加中。レッドカードをとうの昔に通り越している気さえもする。
ま、まずい、そうだ。
素早く内ポケットから名刺入れを取り出し、
「あの、
深々と首を垂れて一枚の名刺を手渡す。どうか、受け取ってくださいと声なき念をつむじからむんむん発する。
すると――
「あら? なに、わたしとおなじ会社じゃない」
「え?」なんですと。
彼女はすっと名刺を受け取り、まじまじと眺める。
「ふーん、一二三ね。これ、なんて読むの? いちにっさん?」
「ひとに、みつ、と言います」
彼女はぷっと笑って、「そのまんまじゃない。あなた、距離を近づけるのが早過ぎよ。ああ、でも、こんなの誰も読めないから名刺にはフリガナをふった方がいいわね」
「えっと……。失礼ですが、あなた様はいったい……?」
「
「飛田……さん」
「ええ。
え?
ええ?
えええええ―――っ!
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