わたし、ひとりで飲むから邪魔しないでほしいんですけど ~俺と飛田香耶さんのちょい飲み恋模様~

小林勤務

第一章 飛田香耶ですけど

第1話 日高屋

 日高屋――


 関東を中心に400店舗以上を展開する、中華料理チェーン。

 創業は1978年。

 てっきり俺は創業者の名前をとって、日高屋と名付けたのかと思えば、そうではないらしい。

 創業者の出身地である埼玉県日高市にちなんでいることや、太陽が昇るが如く、日に日に高く勢いを増すという願いを込めて、この屋号にしたらしい。

 ちなみに、正式名称は――熱烈中華食堂日高屋。

 名前に嘘偽りはなく、熱烈に旨い中華食堂だ。

 しかも、リーズナブルでコスパもよく、まさにこの俺が熱烈に支持している。日高屋がこの屋号を使用するのも、俺のようなお客さんを熱烈に歓迎しているからに他ならない。

 ニーズと供給がベストマッチといえる。


 と。


 ひとりビールを飲みながら、しみじみとそんな思いを馳せてみる。

 ああ、今日も酒がすすむすすむ。もう、ジョッキは2杯目であり、ほろよい気分。ゆらりゆらりと日頃のストレスがアルコールとともに溶けていく。

 ところで、日高屋は中華料理チェーンという基本的な機能を持ちつつ、別の側面を併せ持つ。

 それが――


 今、俺こと、一二 三ひとに みつ、26歳独身が、はまりにはまりまくってる、ちょい飲み。別名ぼっち飲み。

 これだ。


 就職してから、早3年。毎日怒られっぱなし。まず、業務内容を覚えるのが大変。わけわからないし、残業なんて当たり前だし。そりゃあね、飲みたくなりますわ。皆とじゃないよ。

 そう、おひとり様で。

 上司に酒を注ぐのは面倒だし、注文係もメンドクサイ。気楽で、自分の自由時間を満喫できる、ちょい飲みっていうのが心のオアシスと化している。


 一人で居酒屋の敷居をまたぐのはそれなりにハードルが高い。まず、量は食べないし、なにより寂しい人間だと思われるしで、のれんをくぐり辛い。だけど、ちょい飲みならば敷居が低い。ふらりと夜飯代わりに立ち寄って、そのままビールとつまみでお腹いっぱい、幸せいっぱいとなる。


 ちなみに、今、彼女はいない。就職前に人生で初めて付き合った彼女から唐突に別れを告げられてしまった。今まで大した危機もなく、うまくいってたと思っていたのに。一体全体、どうしてだよ。そんな俺の悲痛な叫びは、こんな一言で容赦なくばっさりと切り捨てられた。


――わたし、好きな人が出来たの。


 おいおいまじかよ。灰色に固まる俺に背を向けて、


――ごめんね。みっつんも就職先で新しい出会いがあるといいね。


 風の噂で聞いたのは、元カノが好きになった相手とは、インターン先で知り合ったやり手リーマン27歳のようだ。俗に言う勝ち組。総合商社のエネルギー部門に勤める、エリートコースの旧帝大出身ってやつだ。


 なんでもアイビーリーグでMBAを取得してるんだって。

 

 そういえば、うちの会社にも今度、新しい役員が就任するって言ってたな。そいつと同じような経歴で、なんでも36歳の若さで経営陣の仲間入りだってよ。

 

 おいおい、そんなやつやめとけ。絶対に遊ばれてるだけだぞ。さくっとセックスしたら、ぽいって捨てられるのがおちだぞ。

 ――という負け犬の遠吠えは届かない。

 案の定二人の関係はそのまま終わり、元カノが最後に言い残した素敵な出会いなどもありはしなかった。俺が配属された営業部には体育会系のおじさんしかいない。右をみても左をみても、頭の中は数字のことしかない。飲み会では、当然下ネタとゴルフの話題しか盛り上がらない。セクハラ? なにそれ状態。てゆうか、そもそも社内に女性の影すら見えない。

 ザ・男の楽園だ。

 泳ぐ海は、在庫とリベート。こんな海ではいつか溺れ死んでしまうこと必定。


 そんなわけで、はあああと深いため息とともに、今日も夜が更けていく。

 素敵な出会いなどなく……


「いらっしゃいませ」


 だが。


「おひとり様ですか? カウンター席にお座り下さい」


 そんな俺にもようやく春が訪れようとしていた。


 ふわりと香る、甘い匂い。

 ふぁさっと羽が舞うような栗毛色のミディアムヘアのお姉さんが、同じくカウンター席に座る俺の隣に、すっと腰を下ろした。

 その横顔。


 まるで、「宮崎あおい」と「宮崎あおい」を足して2で割ったご尊顔。


 いや、違うな。


「松本まりか」と「松本まりか」を足して2で割ったご尊顔だ。


 まあ、どっちでもいい。

 とにかく、思わず胸がときめいてしまう御姿だった。

 年齢は俺よりも上だろうか。アラサー、いやアラフォーに近い落ち着いた雰囲気と、その身なり、その佇まい、その可愛らしさ、その美しさ。


 ザ・素敵なお姉さん。


 これ以上でも以下でもない。

 ビールを飲む手が止まり、じっと見惚れてしまう。


 彼女はカウンターに座るや否や、すっと白く細い手を伸ばした。

 その手に導かれるように、店員がやってくる。

 彼女は「んんっ」と艶っぽく肩のこりをほぐすと、開口一番こう言った。



「生と細切りねぎください」



 ……っ!


 いきなり、細切りねぎ……だと……



 まさかの、ちょい飲みガチ勢じゃねえか!






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