第17話 出発の朝

 出発する日の朝も、ロバートはいつも通りローズの髪を梳いて三つ編みにしてくれた。

「できました」

「ありがとう」

「どういたしまして」

いつもと同じ会話だが、次にこんな会話ができるのは、いつなのか、わからない。

 

 ロバートに櫛を渡された。男の人の手には少し小さく、花の模様が彫られている可愛らしい櫛だ。

「しばらく不在にしますから、その間、この櫛を使っていてください」

ロバートに渡された櫛は、使い込まれた、滑らかな手触りだった。香油が染み込み、光沢がある。


「髪馴染みが良いから、使いやすいでしょう」

ローズの髪を梳くときにロバートが使っている櫛だ。


「戻ってきますから、王太子宮で、アレキサンダー様と待っていてください」

榛色にも、緑色にも見える不思議な瞳に見つめられた。

「王太子宮から抜け出したり、髪の毛を売り払ってお金にしたり、イサカの町に来たりは、全部禁止ですよ」


 何気なく話したことだが、随分とロバートを心配させてしまったらしい。

「危ないですから、絶対に、無茶はしないでください」

 禁止だといわれると、少し嫌な気持ちになる。だが、ロバートが、ローズのことを真剣に心配してくれていることはわかる。


 あの日、西の館にローズを迎えにきたロバートに聞かれたから、正直に答えただけだった。

 「王太子宮に来た時、話を聞いてもらえないなら、シスター長に推薦状を書いてもらって、髪の毛を売ったお金を路銀に、一人でイサカの町の孤児院に行くつもりだったの」

 顔色を変えたロバートに、懇々と説得され、絶対にそういうことはしないと約束させられた。


「ちゃんとここで待っているわ。前にも約束したでしょう。やることが、沢山あるもの」

ローズの言葉に、ロバートは微笑んだ。

「約束ですよ」

「ちゃんと約束は守るわ」

ローズの返事を聞いたロバートは、いつもどおり笑顔でローズを椅子から降ろすと手をつないでくれた。次に会えるのはいつになるかわからない。それでもロバートは淡々として、普段と変わらない。本当に不思議な人だ。


「私の不在の間、あなたのことは、基本的にエドガーに頼んでいます」

ロバートがあげたのは、意外な人物だった。エドガーといえば、軽薄な態度をロバートにたびたび窘められている人だ。ローズの疑問を察したのだろう。


「エドガーは、あの軽薄な態度が問題ですが、優秀です。息子も二人居られるので、人の面倒を見るということに慣れています。何かあれば彼に相談して下さい。あの軽薄さは問題ですが、物事に柔軟に対処できますから、予想外の事態に彼は向いています」


ロバートの言葉は、エドガーを一応は褒めている。だが、明らかに予想外の事態とはローズのこととしか思えない。

「私はそんなに予想外なこと」

「梯子をひっくり返すなど、随分と独創的な使い方を編み出したのはローズ、あなたですよ」

反論できないローズをみて、ロバートが可笑しそうに笑った。


「意地悪言わないの」

ローズは、出発前のしんみりした気分をぶち壊しにしたロバートの足を思い切り踏んだ。

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