第16話 ロバートとローズ
「本当にいいの?ロバート、あなた、矢面に立つことになるわよ」
蜂蜜を塗ってやったスコーンを食べ終わったローズが言った。
美味しいと嬉しそうにスコーンを食べていたときの柔和な雰囲気は消え去り、冷徹な、こちらの心の奥底を見透かそうとするような琥珀の瞳がこちらをみている。
「矢面とは?」
「助かる人は助かるわ。死ぬ人は死ぬ。そんなところに部外者のあなたが、ある程度有用な情報を持ってくる。助かる人が増えるでしょう。実際に増えているというし。ただ、助からない人は助からない。すでに死んでしまっている人はなおさら。そんなとき、余所者のあなたは、八つ当たりされる。あいつは助かったのに、こいつは死んだとか、なんでもっと早く来なかったとか。偽善者だとか。町の人ではないから、あなたに何かをいったところで、後々自分に害が及ぶことはない。謂れない非難の矢面に立たされるわ」
淡々と人の醜さについて静かに語り、紅茶を飲む様には、不思議な威厳がある。12歳頃の孤児だ。少しはましになってきたが、着いた当初は痩せぎすのみすぼらしい子供だった。
「それでもいいの?」
そんな威厳を台無しにするローズの口元についたスコーンの粉を、ハンカチで拭ってやる。ロバートと二人きりになると、ローズは普段よりも、より大人のような口の利き方になり、話題も変わる。
「ローズ、子供のあなたをそんなところに行かせることはできません」
背を屈め、ローズと視線を合わせた。こんな小さな子供なのに、大人のようなことを考える。生きづらいのではないのだろうか。
「だからといって、ロバート、あなたが行く必要もないでしょう」
「大丈夫です」
「根拠は?」
「私は背が高いですから。黙って見下ろしてやればいいのです。場合によっては、殿下の御威光を借りることもできます」
ローズが微笑んだ。
「身長と立場の有効活用ね。そういう考え方は嫌いじゃないけど。まぁ、言われても気にしたらだめよ。あなた個人に言っているわけではないわ。余所者だから八つ当たりされるだけよ」
「心しておきます」
「忘れないでね。八つ当たりだから。自分の怒りや悲しみを紛らわすために、手近にいるあなたに言うだけだから。誰でもいいなら、壁にでも言えばいいのに、なぜかそういうことはしないのよね。絶対にあなたのせいじゃないことだから、気にしてはだめよ。言いつのっている間に疲れてそのうち黙るから」
幼いのに、人の心の闇を語り顔色一つ変えない。この子は何を見てきたのだろうかとロバートは不思議に思う。
「もう一ついかがですか」
もう一つ蜂蜜のついたスコーンを手渡すと、ローズは、ふわりと笑った。ローズがジャムよりも蜂蜜を好むことに気づいたのは昨日だ。
「ありがとう」
ローズは、謂われない非難にさらされると知りながら自分が行くとっ言っていた。こんな小さな子供をそんな目に遭わすなんてできない。それに、子供の言うことに耳を傾ける者がどれだけいるだろうか。
「ちゃんと覚えておきますよ」
ソファに座っているが、床に足も届いていない。そのローズの隣にロバートは腰をかけていた。
「ローズ。一つ、お願いしたいことがあるのですが」
スコーンを食べるのをやめ、また、口の周りに粉を付けたローズが、ロバートを見上げるため、首をのけぞらせた。
ロバートには兄弟はいない。弟のような部下はたくさんいる。妹のような存在は、ローズが初めてだ。だからローズと、兄と妹のようなことをしてみたかった。
「町にいって、私が無事に帰ってきたら、ご褒美が欲しいのです」
「それは、国王陛下と王太子殿下が決められることでしょう?私、何も持ってないもの」
大人のような子供をからかったら、どんな反応をするのだろうかというのも興味があった。
「ご褒美に、あなたの頬に口づけをしてもいいですか」
「なっ」
突然真っ赤になったローズがスコーンを落とした。
「危ないところに行くのですから。物語の騎士はみんなそうです。帰ってきたらお姫様からご褒美を頂くのですよ。私もご褒美が欲しいです」
「お姫様は、王太子妃様よ!」
慌てている様が子供らしい。
「王太子殿下に叱られます。私と王太子様、王太子妃様では身分が違いすぎます。いくら乳兄弟でもそんなことは絶対に許していただけません。それに頬への口づけは挨拶の一つですよ」
嘘ではない。グレースと父親でアスティングス侯爵との挨拶を、ローズは見ている。その時に、ローズが驚いて目を丸くし、頬を染めていたのも見ていた。初心な反応をするローズはかわいらしかった。
予想通りのローズの反応に、ロバートは笑い出したいのを何とか堪えた。受け止めてやったスコーンをそっとローズに差し出す。
「ローズ?」
真っ赤になって下を向いてしまっている。
「ねぇ。ローズいいでしょう?」
小さな声でローズが何かいった。
「ローズ?聞こえませんよ」
うつむいたままのローズの耳元に、ロバートはささやいた。
「ほっぺただけよ」
ローズの小さな声が聞こえた。
片手にスコーンを持ったまま、ロバートは笑いが止まらなくなってしまった。そんなロバートからスコーンをひったくり、こちらに背中を向けてローズがスコーンを齧りだす。
「かわいいですねぇ。ローズ」
小さな背中を後ろから軽く抱きしめた。なにやら文句をいって抵抗しているのも可愛らしい。暴れていたのが、急にぴたりとおさまった。
「ちゃんと帰ってきてね。約束よ」
静かなローズの声がした。
「無論です。約束です」
グレースが侍女に命じ、手入れさせているためか、ローズの髪は艶やかな光を放つようになり、いい香りがした。
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